不幸な目に遭ってばかりの少年が恋をして、でも不幸であるが故にそれを諦めようと奮闘するお話。
というか、その半生を綴った手記、という形式の作品。実際、この世に生を受けたところからお話が始まっていて、でもメインはあくまで彼の初恋の顛末。つまり初々しく甘酸っぱい恋物語ではあるのですけれど、でもそれ以上に青春と成長の物語であるような気がします。
といっても恋愛の比重が少ないとかそういうことはなく、むしろしっかり主軸になっていると思うのですけれど、でも実質的にはその恋によって何が起こったかこそが一番の要点というか、もうぶっちゃけてしまうのならこれは〝主人公が自分にかけられた呪いを解くお話〟ではないかと思います。
タグで示された対照的なふたつの要素、「不幸体質」と「ハッピーエンド」。つまり不幸を書くことで逆説的に幸せを描き出すお話で、となれば畢竟、〝不幸とは何か〟という点は避けて通れません。このお話の主人公はいわゆる不幸体質、やることなすことすべてうまくいかない特異体質の持ち主で、それが故に性格がすっかり後ろ向きになってしまった——と、少なくとも序盤ではそのように書かれているのですけれど。話が中盤に差し掛かり、恋模様が描かれる段になると、なんだかだんだん「どっちかというと因果が逆なのでは?」という疑念が頭をもたげてきます。
不幸が彼をネガティブに変えたのではなく、ネガティブが彼を不幸に誘っている。なにしろ目の前にあるとてつもない幸運、諦めたはずの恋の成就への入り口を、でもまったく信じようとしないわけで……こうなってくると前提であった「不幸体質」も怪しいというか、そこから逆じゃないかとも思えてきます。
自分のことをついていないと思い、その認識に合致する出来事ばかりに目を向けているから不幸になる。自分で不幸ばかりを見るようにして、それ以外を勝手に不可視化している。ある種の偏向、あるいはバイアスのようなもの。つまりありもしない不幸を自ら現実にしているのだとすれば、この「自分は不幸である」という認識は、まさに呪いそのものとしか言いようがありません(もっとも、本当に運がない側面も多々あるっぽいのですが)。
自ら作り上げた呪いの牢獄に囚われた主人公と、それを救い出す白馬の王子様。まあ伝統的・一般的なそれとは性別が逆ではあるのですけれど、でもそこがかえって魅力的でした。背が高くスポーツの得意な彼女と、それよりも小柄でしかも救いを必要としている彼。あべこべなはずなのに、でも絵面的にはむしろ似合うような気がするこの不思議。
主人公自身のいうところによれば「自伝」、つまり彼自身の書いたものという形式が好きです。中でも特に最高だったのが最後の結びの部分。手記であるからこそ書かれない(ぼかした)ものが際立つ、というのもあるのですけれど。でもそれ以上にこの最終盤、どこまでが手記なのかあやふやだと解釈できるところ。ずっと使われなかったカギカッコ、少なくとも単体の会話文としての用法は一切なかったそれが、でもここにきて急に(そしてやっと)使われていること。こういうところに仕込まれた想像の余地が、なんだかとても楽しい作品でした。