最終章 祈り

「――帰れよ、ロイ」

 答えあぐねていたぼくに、カーロが口を挟んだ。イナがびっくりしたようにカーロの顔を見る。

「お前の両親も、兄貴も、生きているんだろう? 会いに行ってやれよ」


 その優しい表情を見て、ぼくは自分の目に涙が溢れて来るのが分かった。最近泣いてばっかりだ。慌てて拭った手のひらが、カーロが槍を振るってつけた傷跡に触れた。


 母さんの顔を思い浮かべる。朝から晩まで根を詰めて働き、ついに体を壊してしまった母さん、ぼくが見舞いに行った時に、少し疲れたような、でも嬉しそうな表情を浮かべる母さんを。


 続いて父さん。三年前、黙って家を出て行った、父さんの顔を。父さんと呼びかけた途端に切られ、受話器から聞こえてきたあの無情な電子音を。


 最後に兄ちゃんを思い浮かべる。

 なぜだかいきなりキレた兄ちゃん。母さんに暴言を吐き散らし、家の中を荒らし回り、怖い顔でぼくを睨みつけた兄ちゃん。そしてさっき、ぼくと戦っていた兄ちゃんの顔を――。


「――兄ちゃんは、ぼくのことなんか待ってないよ。兄ちゃんは……ぼくのこと……何とも思っていない……」

 カーロは少し息を吐いて、それから優しく笑った。

「弟のことが嫌いな兄貴なんか、いるわけないさ」

 ぼくははっと顔を上げた。


 カーロの弟は不治の病にかかっていて、それを儚んだ父親が一家心中を目論んだ。それで母親も弟も死んで、父親はつかまって獄中で死に、カーロは独り残された――。

 カーロは静かにぼくを見つめ、答えを待っている。きっと――不治の病にかかった弟の看病は大変だったんだろうけれど、それでも、ごくごく、好きだったのだろう。


「うん……」

 ぼくは答えを言った。

「……帰るよ」


 ガイアは信じられないというように首を振ったが、何も言わなかった。


「ロイ……」

 イナはそうぼくのことを呼んだけれど、続く言葉が出てこなかったみたいだ。言いかけて、口をつぐんだ。


 再度カーロが口を開いた。

「――自信を持って行けよ。お前は勇者なんだから」

 ぼくはカーロを見て、しっかりと頷いた。ガイアはため息をつくように教えてくれた。


「月に向かって強く祈ればいいわ。クッバ・オゴ・ナワ・イア。こうやって唱えなさい」

「クッバ オゴ ナワ イア」

 ぼくが繰り返すと、ガイアはぼくに向かって頷き、光を纏いながら姿を消した。

 そして元の三人だけが残された。


 ガイアが消えてショックから覚めたのか、イナが慌てたように言った。

「ロイ……本当に……気付かなくて……」

「うん、いいよ」

「まさか……本当にロイじゃなかったなんて……」

 イナはそれきり黙りこくってしまう。それで、次はぼくが口を開いた。

「イナさん……カーロさん……。……あの……その……本当に……ありがとう」

 カーロもイナも、ただただ、首を振った。

 それ以上に、言いたいことが見つからない。起きていた時間も短いし、あんまり働いていなかったのに、何故だかとてつもなく長かった三日間のように感じられた。

 イナが、おずおずと口にした。

「正直……ロイじゃ心配だったのよ。あなたが来てくれて……魔王を倒してくれて……本当に……本当に……」

 ぼくも黙ったまま首を振った。


 それから、空で煌々と鮮やかに輝く二つの月を見上げた。心の中で、先程ガイアに教えてもらった祈りの言葉を唱える。

 クッバ オゴ ナワ ……


「ロイ」

 カーロがぼくを呼び止めた。ぼくはそれで振り返って、もう一度、二人の顔を見る。そしてカーロが聞いた。


「お前の本当の名前、なんていうんだ?」


 それで、ぼくの胸が熱くなった。また涙がこぼれた。本当に、泣いてばっかりだ。ぼくは面を上げて、ゆっくりと言った。

「黒井隆広。隆広っていうんだ」

 カーロはちゃんと聞き取って、繰り返してくれた。

「タカヒロ。お前に会えてよかったぜ」

「うん」

「じゃあな」

「……うん」

 カーロとイナが頷いたのを見て、ぼくはまた、月を振り返った。


 帰ったら、まず、兄ちゃんに話を聞こう。兄ちゃんがどこで、どうして道を踏み外してしまったのかを知りたい。兄ちゃんの話をぼくの耳で聞いて理解して、ぼくの言葉でぼくの思いを伝えたい――。

 兄ちゃんのあの、憎悪に似た表情がフラッシュバックする。

 胸の中に一抹の不安が生じた。もしかしたら、兄ちゃんはぼくの話を聞いてくれないかもしれない。ぼくに何も話してくれないかもしれない。そんな思いが、一瞬、ぼくの足を躊躇わせたけれど――。


 ぼくは勇者なんだ。きっと、できる。

 前へ向かって一歩踏み出し、月を見上げた。

 ――そして、祈りの言葉を唱えた。




『祈り』 終

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祈り 朝斗 真名 @asato_mana

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