3エピソードなので、起承転で終わりつつ、結は読者の脳裏に押し込みました。みたいな作品。余韻が残りますわ。
尻切れ蜻蛉みたいは不満は抱きませんね。読了後も真相は藪の中なんですが、しっとりとした本作品の世界観にドップリ浸かる愉悦を楽しめます。まるで主人公の大八になったと錯覚するくらいに。
私は、歴史ジャンルの投稿作品を読んだ後、大抵はWikipediaで関連しそうなキーワードを探ってみます。作者の空想による付加価値と言うか、アレンジの妙を確認したいじゃないですか。
今回であれば「内藤新宿」。
まさか登場人物が実在するとは思わないでしょう。でも、主人公の名前がWikipediaに有ったんですよ。私ゃビックリしました。
本作品は半分以上が史実です。そう言い切っちゃうと語弊があるか。少なくとも、現実に流布された伝承に基づいています。
それを知ると、余計に読みたくなりませんか?
短編にはMAX2つが信条なんですが、星3つ付けました。
ところで、作者の別作「狐と剣士」も良い味を出してました。
最初に断りを入れておくと、私は時代小説に明るくない。
読んだことがあるそれを思い出せと云われたら、せいぜい頭に浮かぶのは鳥羽亮先生の剣客同心鬼隼人シリーズくらいのものである。それゆえ、件の作品を時代小説として掘り下げられないことが、まっこと心苦しくもあり──。
当初主人公・内藤大八は「第3話 嘘か実(まこと)か」のある出来事をきっかけに"捨て鉢"となったのだなぁ──くらいに思っていたのだが、改めて読み直してみれば自身の置かれていた立場もあり、冒頭から中々の"捨て鉢"っぷりである。
このように件の作品、詞(ことば)の掛け具合(とでも云えば良いので?)がやたらと巧い。
「嘘か、まことか」というキャッチコピー。字面は違えど第3話のエピソードタイトルにもなっているのだが。
一見、おもんの定かではない胸中(大八からすれば"そこ"はまさしく始まりの場所だが、彼女は単に「神様と仏様がいなさる」という理由からそこを選んだのやもしれない)を指す一方、内藤新宿廃宿の影に鯨の大八事件があったこと自体伝え話の域を出ない──すなわち「嘘か、まことか」という所謂ダブルミーニングになっているのではないかと。
少なくとも、私にはそう思えてならないのだが──いかがか。
と、さんざ技巧面にフォーカスして作品を語ってみたわけだが、時代小説に疎い私から見ても良き物語なのである。
ただでさえ破れかぶれだった男がさらに破れかぶれとなる引き金は非常に人間臭く魅力的で、時代を超えて甚だ共感し得る。