エピローグ
これは、自分の意思だ
「Memory Extended by Computerトランスレータ、ベースシステムとの接続を終了します…………ベースシステムとの接続を終了しました。これから脳との接続を終了します。以上を持ってシステムは終了します」
二人の脳裏に声が流れて、MEC臨床試験の、MECを使用する期間が終了した。
暦は一月。年が明けていた。
狩科が精神科医の面談を受けるために待合室に行くと、待合室の椅子には場違いなことに来海が座っていた。
「来海さん、なんでここに?」
狩科が呆けた声を出すと、来海はどうってことなさそうに答える。
「キョンタンの出所祝いに来たの」
「出所って……」
「囚われてたようなもんじゃん」
来海は自分の右隣の席をポンポンと叩く。促されるままに狩科は座る。来海は「まだかねぇ」と軽口を叩くが、狩科はあまり会話する気分でもない。
「二十八番の方、三番診察室にお入りください」
館内放送で案内されて狩科が立ち上がる。
「頑張ってね」
来海に声をかけられると、狩科は照れくさいような調子が狂うような。
「悩みを打ち明けるところだから、頑張るところじゃないんだけどね」
面談が終わると狩科はスマホを見る。なんだかんだあったので、深津と話し合う約束をしていたのだ。打ち上げと称して酒盛りするわけではなく、いつも通りコーヒーショップで語るだけ。
「あの人工ツンデレと会うわけ? 私も一緒に行く」
来海は有無を言わせず強引についてきた。
大学附属病院を出てすぐの、何度か通ったコーヒーショップに行くと、先に深津が座っていた。
「深津さん、お疲れさま。ちょっと部外者がついてきちゃったけど、いいですか?」
「狩科さん、面倒な友達をお持ちですね。仕方ありません。いいですよ」
深津は笑って許す。彼女はベージュのカーディガンを着て、椅子に似た色調のコートを掛けている。冬服になって深津のスタイルが分かりにくくなったのは残念だけど、そんなこと打ち明けられない。
狩科と来海が飲み物を買ってくると、来海は狩科の右の席をきちんとキープ。狩科には、来海の顔がやたら近いような気がした。
「キョンタン、結局試験はどんな感じだったの?」
来海に問われて、狩科は右手で頬をかく。
「いろいろあったんだけど……」
狩科が九里谷教授に大見得を切った翌週も、MECで再生された記憶は佐上優希と千波伊里弥の記憶だった。
暦は十月。カレンダーは進んでいるのに、二人は親しげに会話していた。
「今度の週末、空いてる?」
「映画でも見ようか」
なんの困難もなくつきあっている二人だった。二人で嘘つきと罵り合った後にどのように復縁したのか、一切の説明がなかった。
その記憶は佐上優希と千波伊里弥を愚弄していた。つまり深津瑠璃と狩科恭伽を愚弄していた。
MEC臨床試験で再生される記憶はいかようにも作られて、そこに矜持はないのだと知った。
深津には千波伊里弥としての責任を取ると言った狩科にも、MECが再生する記憶は、別人の、しかも作り話なのだと認めざるを得なかった。
そんな作り話が引き合わせた女性が目の前にいる。その女性が飲んでいるのは紅茶だろうか。薄い琥珀色の表面から狩科はそう思った。
「深津さん、試験はあまりにひどい内容でしたけど、MECの研究をやめる気になりませんか?」
狩科の問いに、深津は遠くを見るように、自分に言い聞かせるように、答える。
「コンピュータのセキュリティも、攻撃方法を知っている人でないと防御できないという話はご存じですか? 私たちはMECのあまりにひどい使われた方を見たわけですけど、他の人に同じ経験をさせないためにも、MECの技術を深く知る必要があるんです。科学技術は、開発される前の昔に戻ることはできません。MECは初歩段階に成功したんです。私たちはMECがある世界を生きていくしかないんです」
深津は、視線だけでなく、時間も遠くを見つめている。その姿が狩科にはまぶしい。
深津はカップを手に取った。
「いろいろありましたけど、狩科さんはよく試験についてきましたね」
深津は一口飲んで、カップを手に持ったまま言葉を続けた。
「最初に二人で会ったときの、別人になれれば誰でもいいと言った人とは、違う人に見えます」
狩科は、深津の予期せぬ一言に、どうしていいのか分からず気の抜けた返事しかできない。「本当ですか?」
「本当です」
「ちょっと。二人でなにいい雰囲気になってるのよ」
深津はもう一口飲んだ。ふてくされる来海のことなどかまわない。
狩科は気づいた。
別人になる。長らく抱いていた夢が叶ったわけで……
今は、その夢に比べれば夢見た期間が短いけれど、深津に会ってから思っていたことを言うチャンスだ。
狩科はかしこまる。
「深津さん」
「なんでしょう」
何の気なしに答えた深津を前に、狩科は言葉が詰まる。
「これからも、と、と、友達として、僕とつきあってくれませんか」
言い終えて狩科は真正面から深津を見た。「友達」と「つきあう」がどうにも意味がちぐはぐでつながりが悪かったけれど、彼の中の微妙な押しと引きの加減は言葉の通りだった。
深津は笑みを浮かべる。
「そういうところ、まだ抜けてるんですね。友達と言ったら、友達としてつきあいますよ。恋人ではなく、友達として」
そう言う深津の声は明るい。
もう少し押せば良かったか。すこし後悔もしたが、ひとまず願いが叶ったことに、狩科は心の中でガッツポーズする。
来海は持っていたカップをカツンと机において狩科を責める。
「キョンタン、面倒な女と関わると、男は大変な目にあうんだよ。考え直した方がいいって!」
とっさに言葉が出なかった狩科に代わって答えたのは深津だった。
「面倒な人間だと言われるのは慣れています」
深津は実に明るく笑う。
それを見て狩科は良いなと思う。
狩科には望みがある。
佐上優希と千波伊里弥の物語は、全て過去の記憶だった。
でも深津瑠璃と狩科恭伽のつながりは、これから続いていく。
一瞬先は闇。この先が悲劇だとは考えないのかと笑われるだろう。
でも、深津とこれから続く未来が見たい。
これは、自分の意思だ。
この恋と記憶は借り物で 村乃枯草 @muranokarekusa
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