君と出会って、恋を知る。

氷堂 凛

君と出会って、恋を知る。

境界線——それは、時に残酷な結末を生む凶器となる。


 街は秋から冬へと衣替えをはじめ、少しずつ寒さが首を刺す。かれこれ生まれてから二十九回目の冬を迎えるが、どうも私は寒さに弱いらしい。こんな寒い季節は、人肌恋しくなるものだ。

『もうすぐ着きます!』

 短文ではあるが、なんとも元気のよい文章が画面に現れる。

 金曜日の仕事終わり。私は毎週とある少年とデートをする。特になにがあるわけでもないが、ただおしゃべりをするこの時間を活力に毎日を生きている。

 デートとはいうものの、そこに恋愛感情は存在しない。

 いつも彼より早く着き、彼が来るまでの時間を、ゆっくりとコーヒーを飲みながら待つのである。この時間が何ともワクワクする。まるで、彼氏を待っているような青春の甘酸っぱさを感じさせるのである。


「お待たせしました!」

「やぁ!今日も元気だねぇ~」

 夕方と呼ぶには遅い時間帯。私の仕事帰りと彼の予備校の帰りの時間。神様の悪戯か、偶然出来た交差点。

「もちろんですよ!僕には元気な所以外取り柄がないですからね!」

「何をおっしゃいますか……その整った顔に、モデル顔負けのスタイル。はぁ、若いっていいわね……」

「麻衣さんもまだまだ、若いじゃないですか!」

 まだギリギリ二十代。やはり二十代というのは大切な称号だ。ただ、彼とはもう一回り年齢が違うと考えると、胸が痛くなる。

「そういえば、もう少しで麻衣さん三十代ですね~」

「痛いところを突かないでくれ……」

「ということは、僕たちが初めて出会った日からも、もうすぐ一年経つ……ということですね!」


 彼との最初の出会いは、私の二十代最後の誕生日。この喫茶店で、私がカフェインに酔いしみじみと泣いている時だった。

 私は、去年の誕生日までは大学から連れ添った彼氏がいた。ただ、その彼氏にその日フラれ、自分を慰めに居酒屋に行こうとしたが、残念なことにアルコールに弱いのでここのコーヒーでヤケを起こしに来たわけである。そんな時たまたまカウンターの横の席に彼がいた。

 彼は当時高二だった。模試の成績表とにらめっこしながら、うす茶色のコーヒーを啜っていた。

 その様子をじっと、見つめていると、彼が気づき何か慌てた様子で成績表を鞄にしまった。それを取り上げるようにして、成績表を見た。

『ふ~ん』

『な、なにするんですか!』

『いやぁ、気難しい顔してたから。こりゃ、気難しい顔するのも当然か……』

 彼の成績表にはごく一般的な偏差値と、大量のEの文字が等間隔に並んでいた。

『一体何なんですか!』

 彼に成績表を奪われた。

『少年。君は大京大学志望なのか~』

『お姉さんには関係ありません』

 成績表を見られて恥じらっているのか、ふてくされた態度をとる。

『私、そこの文学部出身なの』

 自慢じゃないが、大京大学は私立大学のなかでもかなり高いレベルに入る。いくら学歴社会から脱したとはいえ、やはり難関大学を出ているというのは大きなアドバンテージだ。おかげで、今の編集社で働けているわけであって……

 少年は先ほどとうってかわって、キラキラと目を輝かせていた。可愛さも加味されまるで別人のように思えた。

 大学の話に始まり、勉強の話、そして他愛もない話をしていく内に、いつのまにか毎週金曜日に彼と会うようになり、連絡先を交換した。


「ねぇ、麻衣さん」

「なんだい少年」

 私は相変わらず、彼の事を少年と呼ぶ。本名だって知ってはいるが、ほぼ見知らぬ人という私たちの関係上『少年』と呼ぶ方がしっくりくるのである。

「やっぱりなんでもないや」

「そうかい。……そうだ一つ話しておかなければならないことがあるのだよ」

「なんですか?」

「君と会えるのは……あと十回ってところかな?」

「え?それは一体どういう事でしょうか?もしかして寿命宣告されている悲劇のヒロインだったりしますか?」

「中々面白いこというね。でも残念。転勤だよ。たまたま東京の本社からお声がかかってね~本社勤務は私の夢でもあったし、嬉しいといえば嬉しいんだけどね」

「本社からお声がかかるってすごいじゃないですか!!!」

 驚いた。彼はもっと、落胆すると、思ったのに……

 勝手に期待して勝手に落胆して全くご都合主義もいいところだ。

「まぁね。でも少年と会えなくなることだけが悲しいかな」

「そんなこと言わないでくださいよ。まだ十回も会えるんですから」

「君は本当にポジティブだね。そのポジティブさを胸に勉学に励むんだぞ」

「もちろんですとも。僕も現役で麻衣さんの後輩になって見せますよ」

「それは頼もしいことだ。じゃ、今日はこの辺で失礼するよ。また来週ね」

「はい、お仕事お疲れ様です!」

 軽く手を振って先に店を出る。


 それから月日は風のごとくすばやく流れた。

『着きました!!』

 会社を出たところでいつもとは違う文字が現れる。

「へぇ~」

 彼が先に着くという初めての事に、驚きより好奇心の方が擽られる。

 今夜私は東京へ発つ。つまり、本日が彼とのファイナルデート。


「お待たせ~」

「のんびりとコーヒーを啜りながら待つのもいいですね」

 彼は黒くて湯気の立っているコーヒーをゆっくりと啜る。

「私もそのゆっくりと流れる時間が好き。この忙しく回る世界から自分が切り離されたようで」

 店員さんに、アイコンタクトで合図をする。いつの間にか、店員さんとも顔見知りの常連の域に達してしまっていた。それほど、彼と過ごした時間も長かったというわけだ。

「引っ越しの準備は終わりましたか?」

「ばっちりね!もうお部屋はすっからかん~今日の寝台特急で東京に発つわ」

 彼と同じコーヒーが私の元へと届く。

「東京ってすごいですよね。同じ時間帯を生きているはずなのに、一気に時間が早く過ぎてしまうような。不思議な場所です」

 自分も社会人になって出張で訪れた時その魔法のような感覚を痛感させられた。

「ほんと不思議だよねぇ。そんな調子で私もいつのまにかお婆ちゃんになってるのかな……コワイコワイ~」

 三十路を迎えると時間は更に早く感じるというし。

「麻衣さんはまだまだ大丈夫ですよ~」

「お婆ちゃんになる前にいい人見つかるかなぁ~」 

 いい人が見つかるもこうも、基本的に仕事に追われている今の私に恋愛なんて、縁もゆかりもないんだけどね。


 カップの中は空っぽになり、時計の長針が来店時から丁度一周したところだった。

「少し外を歩きませんか?」

「え?えぇ……」

 突然の彼の提案に、少し驚きつつも承諾をする。

 最後の来店ということもあり、普段よりも多めに支払って店を出た。


 月が綺麗に夜道を照らす。

 相変わらずの寒さが私たちを包む。

 近代化された都市の中にある緑地公園。ここもある種の別次元のようで、敷地内だけが透明なカーテンで仕切られているように空気がおいしい。

「今日の列車は何時発ですか?」

「えっと、0時30分だからここから乗車駅までの時間を考えて……ここを11時に出れば間に合うわね。そこまで居る気かい少年」

「最後に伝えたい事がありまして。別れのギリギリで言おうかと」

「なるほどね、止めはしないけど、君は私立高校なんだから明日も学校でしょ?支障の出ない程度にね」

 ただ、池に映る月を眺める。時々風が立てる音が妙に心地よい。

「少年。君の夢はなんだい」

 今まで敢えて聞いてこなかった事を聞いてみる。

「僕の夢は、教師になることです」

「教師か、理由を尋ねてもいいかな?」

 少年はコクッと頷いた。

「教師を志し始めたのは実のところ半年前くらいなんです。元々は小説家になりたかったんですけど、麻衣さんと接していく内に、色々大切なことを学んだ気がして。自分も誰かに大切なことを教えてあげたくて」

「私と接しているなら、むしろ小説家の方が近いような気がするのだけど……」

「小説家の夢も捨ててはいません。でも小説が認められるまでは教師でいようと思って。人生は強欲に、って麻衣さんのアドバイス……すごく胸に響きました」

 『強欲』それは一見すると嫌われる典型かもしれないが、成功する人間が誰しもポリシーとしていることだ。現に、私はそれで夢をつかむことが出来た。


 時計の短針が十一を刺した。

「そうか。立派な先生になるんだぞ。それじゃあ、時間だ。君と過ごしたこの一年。すごく楽しかったよ。ありがとう」

 分かっていた別れのはずなのに、目の裏が熱くなるのが分かる。

「麻衣さん!」

 今まで、子供のようにみえていた少年の顔つきが、月の光に照らされて普段とは別人のように凛々しくみえる。

「最後に一つだけ。あなたをきっと困らせてしまうことを言わせてください」

 少年はニコッと微笑んだ。

「麻衣さん、あなたが大好きです」

 彼の笑顔は私の胸に突き刺さった。

 その言葉に、私は約一年間封印していた女としての心が解き放たれたような気がした。

私は彼に駆け寄り、力いっぱい抱き締め、彼の唇を奪った。

「ありがとう。ありがとう……私もあなたが大好き」

 涙が頬を伝う。私は、知らない内に彼に恋をしていた。本当はその恋心の存在を分かっていたのに、気づかぬフリをしていただけだった。

 彼をゆっくりと解放し、彼の手を握った。

「強く生きろよ。少年!!!」

 私はその言葉を残し、走ってその場を立ち去った。


 叶ってはいけない恋。年齢差という運命の悪戯によって結ばれなかった私たちの恋。

 この世界で生きる上で、人間はどこかで必ずラインを引かなければならない。

 『人生は強欲に』——それは絶対に得られないものがあると分かっていながらも、尚それを求める惨めな人間たちの台詞である。

 ラインを引くことに抵抗し、散らない花を生かし続ける夢遊病患者のように。

 ただ、その境界線は抗おうともいずれ決断を迫ってくる。

 彼の本当の幸せを願い、私はそのラインを引いた。

 今の彼に、私はどう映るだろうか?でも、これでいい。


「0時30分発 東京行き 発車致します」

 出発合図のベルが鳴る。

「幸せになれよ、少年」

 彼のにおいと感触が唇に残るまま私は寝台特急へと乗り込んだ。

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君と出会って、恋を知る。 氷堂 凛 @HyodoLin

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