白い霧 暗い雨

柏堂一(かやんどうはじめ)

白い霧 暗い雨

 秘境駅と呼ばれる山の奥深くの駅に僕は立っていた。近くには道路も無く、人の住んでいる民家も無い。


 ここから山の中を歩いて1時間ほどの所にある茅葺きの古民家の調査の帰りだ。

 誰も住まなくなった家は、移設も修復も出来ないほど酷く朽ち果てていた。


 けれど何かが棲んでいる気配がした。


 ここに長く居てはいけない。駅で電車を待つことにして、その場を離れた。


 この駅には待合室も無ければ、屋根も無い。電車を待つための椅子も。


 有るのはひび割れの隙間から雑草の生えたホームと、駅名の書かれた錆びた看板。

 そして文字が薄くなって読みづらい時刻表には次の電車の来る時刻が書かれている。


 19時20分。これが今日この駅に来る最後の電車だ。


 鬱蒼うっそうと生い茂る木々の隙間から霧が流れ込んできた。


 外灯が2つしかない暗い駅は深い霧に覆われ始め、辺りは白い世界に変わった。


 外灯の近くはとても白く輝き、離れていくと闇に通じるように薄く暗くなっていく。


 静寂の中で木々の葉を打つ雨音が聞こえ始めた。篠突く雨と寒さで背筋が寒くなった。


 傘は持っていたけれど、白く深い霧、ホームに跳ねた雨、風で流れてきた雨、それらのものが僕を濡らす。


 この場所では僕は自然の一部でしかない。


 僕は傘を畳んでこの場所に身を委ねた。


 遠くから汽笛が聞こえた。黒い闇の向こうから霧を白く照らすライトが近づいてきた。


 この駅には止まらない特急電車が通過した。霧と雨は渦を巻き僕の身体をさらに濡らした。

 特急電車が闇に消えると、僕は人の住む世界から切り離されたように感じた。


 そのとき、何かが居る気配を感じた。振り返ると駅名の看板の上で真っ黒な烏がこちらを見ていた。じっと動かずに黙ったままこちらを見ていた。


 見据えられ身動きが出来ないまま暫くすると背後で音がした。


 木々の間から一匹の白い犬が現れ線路の上で立ち止まった。


 雨に濡れた犬は線路の上を何度もこちらを振り返りながら少しずつ遠ざかり、しかし霧と暗闇の中に消えてしまいそうになると、こちらをじっと見て立ち止まった。


 人の住む世界に戻るのは、この鉄路しかない、そんな錯覚にとらわれた。


 これ以上ここに居てはいけない。この雨はやまない。この霧も晴れない。僕はふらふらと犬のあとをついて線路の脇を歩いた。


 身体に纏わりつく白い霧を暗い雨が洗い流してくれている。


 やがて僕は雨に濡れた犬を見失い、霧の中に烏の姿を見た。




「ここに荷物だけが残ってたんだね」


「そうです。始発の上り電車の運転席から見たときに気になってたんですけどね、どこかで持ち主が雨宿りをしてるのかも知れないと思ってそのままにしておいたんです。でも下り電車で戻るときにも有ったんで連絡したんですよ」


 運転士が警官に答えた。


 ホームの片隅に雨で濡れた鞄が置き去りになっていた。


「持ち主のわかるようなものは入っていないし、忘れ物かそれとも山の中で迷っているのか…次の電車で応援が来るから念のため周辺を捜索するよ」

「霧は晴れたけど大雨だから大変ですね」

「しばらくやみそうに無いな…」


 雨に濡れた烏が、駅名の看板の上でじっと2人を見つめていた。

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白い霧 暗い雨 柏堂一(かやんどうはじめ) @teto1967

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