第26話 いっしょに海へ〈最終回〉

 メッセージアプリに入っていたそのURLに気が付いたのは朝の更衣室でだった。トミボンは夜中にこのメッセ流したのかなと思いつつ、その日は同僚が急きょ欠勤になってしまい昼休憩もろくろくとれないままだったので、帰りの電車で初めて開く事となった。

 その日は処方せん薬局の誰とも電車で一緒にはならなかった。エメラルド色のシートに座り、ほっとした気分でスマートフォンを手に取るとクリームパフェのチャームが揺れた。これはその夏、トミボンの甥っ子であり主任と佳織さんの長男、次男である可愛い双子のボーイフレンドからもらったものだ。

 URLを人差し指で叩いた時、何だかこの瞬間に少しだけ運命が変わる予感があった。軽く叩いたURLはすぐに白っぽいページにつながった。それはある雑誌の電子版のページみたいだった。雑誌名は「エッセンシャルライフ」という聞いた事があるような無いようなタイトルだった。

 タイトルに「人生のターニングポイントシリーズ⑤」とあり、「癒やしの医療を目指したとき」とあって三ヶ月位前の記事だった。



――何だろう、これ? キレイなページだけど、トミボンは私がそんなに精神的にアブないって思っているのかなぁ?――


そう思いながら指で画面をつーっと下の方まで引っ張ると、ふと視界に入った顔写真とその下の名前に目が釘付けになった。

 上品な口角の色白の女性は、年齢を重ねていてもかつて部屋に招いてくれてミルクセーキを作ってくれた人と同一人物だと分かった。その下にある名前は、「有島ヒトミさん」となっている。

 私はあらためて指で画面を上に持っていき、記事を読み始めた。それはインタビュー記事だった。



――有島さんはもう五年間、月の島リラクゼーションクリニック院長として、癒やしの医療に従事されていますが、初めからこの分野での医療を志されていたのですか?――


――元々は研修医時代もその後数年も内科医として、内分泌系を専門としていたんです。祖父が内科医として開業していた事もあります。でも正直、大学を卒業したばかりの若かりし私に内分泌系疾患に罹られている患者さんの気持ちを押し計れる器もなく、共感できるわけもなく、ただただ検査値ばかりを追う毎日だった気がします。医師には向いていないと感じました。――


――それでは精神医療へは途中から転換されたのですね?何かきっかけはありましたか?――


――大学時代に知り合った方と恋愛結婚をしまして、相手も医師で忙しかったので、私は出産を契機に仕事を一時辞める事になりました。ところがこの結婚はお互いの若さもあり上手く行かず結婚後三年半で破綻したのです。それからは元々結婚に反対していた親の手前、実家には戻れず

、手頃なアパートを見つけ娘と二人で生活するしかありませんでした。娘と二人でしたが押し寄せてくる不安や孤独感は並大抵ではありませんでした。でも…――


――でも?――


――その時、不安だったり孤独だったりするのは私のような大人だけじゃないって思ったんです。私達の部屋に遊びに来る子ども達がいて、子どもだけど孤独なんです。家に事情があり寂しさを抱えていて。それまで私は箱入り娘で大切にされ過ぎて、いつも周りに誰かいたので寂しい人の気持ちなんて分からなかっただけなんです。――


――それがきっかけとなって精神医療を目指されたのですか?――


――すぐにではありません。結局、私はそんな慕ってくれていた子どもの一人の不幸を救えなかった事もあり、個人的にではなく、そんな子を救うには医療として、また地域社会としてチームでやっていく必要性があると実感したんです。――


――そんな時カウンセリングを専門としているベテラン医師の事を知り、師事させてほしいと願い出たんです。そして子育てしながら本格的に精神科医としてイチから勉強を始めました――


――クリニックの名前が美しいと評判です。クリニックのロケーションの良さと関係がありそうですね。それとも「月の島」という言葉で癒やしを表現されているのですか?――


――もちろんその両方の意味もあるのですが、実は私の以前の名字、結婚していた際の名字からとっているんです。以前の婚家の名前を全面に出すのはどうかとも思ったのですが…。別れて数年離婚に応じてもらえない時期があり、この名字をしばらく使っていました。その際知り合った人達にも部分的にも自分の名前を入れる事で、気付いてもらえればと、このクリニック名を付けました。かつて慕ってくれた子や陰ながら心配してくれていた人達に、私はまだガンバってるって事を知らせられると思ったんです――


――なるほど。そんな理由があったんですね。気付いてもらえるといいですね。このクリニックは立地も素敵ではないですか。海岸の白い岬の近くで庭園には四季折々の花が咲いているとか…――


――クリニックに行くと思うと気が張ると思うんです。まずは花を見に来てくれるといいなって。そして気が安らげばそれだけでもいいですし――


――今おすすめの四季の花は?――


――今、きれいなのは朝顔です。昔の知り合いの女の子が好きだった花なので朝顔だけは毎年栽培して種類も増やしています。私の庭園の西洋アサガオはお昼過ぎまで咲いているんですよ。大学生の娘も帰省したと時には植物の世話を手伝ってくれます。――


その下にある「月の島リラクゼーションクリニック」のホームページと書かれたURLを私はそっと押してみた。


海の波の音が小さく流れている。白い岬に灯台、青い海。そして清潔そうな白い建物があり、外国風の庭園やその中の白いテーブルまで見えた。


――ミルクセーキの並ぶテーブルだ!――


私は思った。そしてどこかにいる前田君に向かって言った。

――ねえ、今から朝顔を見に行こう――


 眼を閉じた。私の中ではもうそこは夕暮れの電車の中ではなかった。潮風に吹かれる画面の中の海沿いの町だ。午後の黄金色を帯びた陽光が降り注いでいて、凍った湖も溶かすようだ。

岬に向かう山の斜面のらせん状の白い道まで見える。まるで、そうミルクセーキの入ったコップの縁をたどるような道。そこを夏の潮風に吹かれながらクルクル自転車で滑るように登っていく少年の姿。それは前田君だ。いつかさやちゃんと読んだ絵本の中の詩が浮かんできた。まるで言葉遊びのような詩が巡る。

「いっしょに準備」、「いっしょに外へ」、「いっしょにバスへ」、「いっしょに窓の外」

そこへ向かうバスの中で私は窓から透き通る海を見るだろう。そして目的地の建物と庭園が小さく見えてくる。初めて遠足に行く小学生が見たことのない景色にはしゃいではいても、心の中でもうそこで待っているものの輝きを知っているのと似ている。



はずむ声。

決してくじけない、傷だらけのしなやかな指。

終わらない塗り絵。


そして孤独を溶かす奇跡のミルクセーキ



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奇跡のミルクセーキ 秋色 @autumn-hue

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