インプットがなければ、アウトプットもない
皆さんは、普段からインプットを心掛けているだろうか。
僕は暇さえあれば本を読んでいるようなクソ寒い人間なので、インプットに関しては割と自信がある。
自分の作品に生かせるよう、様々なジャンルの作品を読んできた。
今こうやってそれなりに賛同してもらえる創作論をかけているのも、そういった積み重ねのおかげだろう。
しかし、よく目にする文言で「自分の書いているモノと類似している作品は読まない」というのがある。
確かに理にかなってはいる。自分の作品とにているモノを頭に入れてしまうと、無意識で似せてしまう可能性は捨てきれない。
僕は娯楽のための読書とインプットは、少し違うと思っている。もちろん言葉通り「少し違う」だけで、大体は同じものだ。
そこにある少しの違いというのはずばり「学ぼうとしているか」だ。
娯楽のための読書は、100%楽しもうとしている読書。
対して、インプットにはそれに加えて学びという要素が入ってくる。
ここでの学びの割合というのは、その時「どれくらいの意欲で学ぼうとしているのか」や「学ぶことをどれくらい楽しんでいるのか」によって変わってくるが、そこはあまり関係ないので割愛する。
簡単に言えば、クラスに一人くらいは勉強がめっちゃ好きな奴がいるみたいに、学びながら本を読むことがクソほど楽しい奴がいる。という話だと思ってくれればいい。
もう一度問いたい。
皆さんは、普段からインプットを心掛けているだろうか。
恐らく「言われてみれば、学ぼうとしながら小説読んだことないかも」という人がいると思う。
さらに言えば「そもそもそんなに小説を読まない」という人すらいるかもしれない。
ここからは、そんなインプットしないマンの皆さんにインプットした方が良いよー。と語りかけていこうと思う。
まず、タイトル回収からしていく。
「インプットがなければ、アウトプットもない」
これは僕がいろいろな作品を読み、それなりの量作品を書いてきた中で、これだけは絶対と言えるほどに確証のあることだ。
水を入れてないタンクから、水を出すことはできない。
それと同じように、物語を接種していない人が、物語を生み出すこともできない。
しかもこの場合での接種は、単に「おもしれーなこれ」と思いながら読むことではなく「ここはこういう仕組みになっていいて、あそこへ繋がる伏線なのか」と、理解しながら、学びながら読むことだ。
僕は小説を読む時、気に入った作品は二度読むようにしている。
一度目は楽しみながら、二度目は学びながら読んでいる。
ここまで読んできてくださった皆さんには申し訳ないが、これさえやっていれば創作論なんて読まなくていい。
なぜなら、尊敬できる作家の書き方を、いい感じに混ぜ合わせて自分にとって気持ちの良いところへ落とし込めれば、小説の書き方というのはそこでおしまいだからだ。
あとはそれぞれの作者の発想力にかかっている。創作論では発想の手伝いはできても、発想そのもの代行することはできないので、書き方さえ学んでしまえば用済みである。
僕自身、二万字を超える創作論をこさえておきながら、他人の創作論を読んだことはない。
閑話休題。
小説を読め。面白いと思ったら二回読め。
と、僕は言った。
しかし「二回も読むの? しかも二回目は分析しながら?」という人は結構多いのではないだろうか。
そんな方は映画やアニメから始めると良いだろう。
試しに自分が今まで見てきた作品の中で「これは面白い」と感じたものをメモを取りながら見てみると良い。
アニメだとキリのいいところまで時間がかかったり、完結していなかったりするので、一時間半から二時間程度の映画がいいだろう。
実写には縁がないという方は、アニメ映画でもいい。
作品を視聴する際、気になる点があればそのシーンの時間と共になぜそこが気になったのかを書いていく。一時停止を利用してもいいし、それでもわからなければ保留でもいい。後から分析することにして先に進もう。
そして、全部見終わったらメモした時間に巻き戻し、再度見て、新たな発見がないかを確認する。もしかしたらその先のシーンを導く伏線かもしれない。
そんなふうに一個の作品を分析しながら見ていくだけで、作品を見る目、そして作る技術は格段に伸びる。
もちろん簡単なことではない。かかる時間もさることながら、上映中は神経を使い続けるので、疲労感もバカにならない。しかし、それでも「創作のためなら」と狂えるのがかっこいいのではなかろうか。
映画やアニメでインプットするのに慣れてきたら、次は本を読む。ただし、二度は読まなくていい。
とにかくたくさん本を読もう。
映画でのインプットが板についてきた皆さんは、きっと一度読んだだけでもいろいろなことに気がつけるようになってきているはずだ。
作者の手癖はもちろん、情景描写の特徴や地の文リズム感、登場人物の傾向、伏線の貼られた気配など、作品全体の構成が見えてくる。
その上で気に入ったと思える作品に出会えたら、今度はこれを穴が開くほど読んでいく。
僕は『Re:creators』というアニメ作品が死ぬほど好きなのだが、この作品はかなり特殊で、原作者が「字コンテ」と呼ぶ、プロットと小説の中間のようなものを二巻に分けて出版しているのだ。
死ぬほど読み返した。3ヶ月くらいこれしか読んでなかった。
なぜこんなにも面白いのか、できるだけ考えた。
そこで出た結論というのが僕の中での創作論の大部分を占める。それがキャラクターの設定の仕方だったり、情景描写の仕方だったり、魔法の理論だったりするわけだ。
そして、ある程度自分の中に創作論ができてきたなら、読む量を減らして書く量を増やしてみるといい。修行を始めた頃よりうんと書けるようになっているはずだ。
もちろんインプットを止めるわけではない。気になる本や映画、アニメがあるなら積極的に触れていった方がいくべきだ。
ここまで書いてきたことを簡単に示すと、
インプット→分解吸収→アウトプット
こうなる。
これこそが、小説を書くプロセス。
どうしてもアウトプットばかりに気が向いてしまうが、上記の三つの要素というのは、全てが同じ比重で重要だ。
しかし、僕が述べた通りにインプットを行っていけば、分解吸収も同時に行うことができるため、アウトプットを磨いていくより、単純計算二倍で小説を書くのが上手くなる。
というのは流石に言い過ぎだとしても、効率がいいのは確かだ。
もちろんここまで言ってきたことが、全ての人にとって有効な訓練であるとは思っていない。
しかし、方法こそ違えどインプットは、創作活動をする上で絶対に行うべきである。
そこで話題を最初の方へ戻そう。
「自分の書いているモノと類似している作品は読まない」
という主張、このエピソードを読んで皆さんはどう思うだろう。
最初に言った通り、これはこれで理にかなった考え方だ。この考え方自体を否定するつもりは毛頭ない。
実際『リアル鬼ごっこ』という作品を書いた山田悠介はほぼ全く本を読まない人物なので、面白い作品を書くのに読書は必要ないという考え方も、完全に間違ってはいないと言える。
あの作品も実際に読んでみると設定としてはかなり秀逸だが、日本語としておかしなところが散見されるので、読みやすい日本語を書く練習くらいはした方がいいとは思う。
とにかくそう言った例も鑑みた上で「映画の分析くらいはやってみようかな」と思っていただけたら嬉しい限りだ。
これも最初に言ったことだが、水を入れていないタンクから水を出すことはできないのだから。
ということで、今回はインプットについて書いた。
書きながら自分自身でも「あまり要領を得てないな」と思ったので今回のエピソードはかなり読みにくかったかもしれない。
ただ、書いてあること自体は僕が六年間小説を書いてきて、いろいろな創作物に触れてきて、大事だ確信していることだ。
分析しながらのインプットは本当に大事だ。簡単に手の届きやすいところから、自分が好きな作品から、是非始めてみて欲しい。
次回は国と歴史と地形について書いていこうと思う。
国家には必ず歴史があって、そこには地形の要素も少なからず関わってくるという話だ。
前回から異世界モノにあまり関係のない内容になっているが、皆さんのためになっているだろうか。
もし、ここまでで書いていない内容で異世界と絡めた話して欲しいネタがあるようなら、是非コメントで教えて欲しい。
僕は大嫌いな異世界モノが消えて欲しいのと同じくらい、皆さんの助けになりたい。
それでは次回更新までさようなら。
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