人類圏(コロニー)
森を抜け出て約半日。
帰り際に魔獣に襲われるような事が何回かあったが、信頼する愛竜の尽力により、特に困難なものと出会う事もなく、覆面は帰路を進んでいた。
更に一時間後。
覆面は激しい砂風が常に発生する一帯まで来ていた。
手綱を引かれた銀竜は勢いのついていた速度を僅かな距離で殺し、その足を止めた。
「ありがとな」
その背から降りた覆面は短くそう告げるとバックから干し肉を二枚取り出し、若干息を荒くする相棒へと差し出した。
差し出された当人である銀竜は一度舌なめずりすると、覆面の手から干し肉を二枚同時に
その代わりと言わんばかりに下顎を優しく掻いてやる覆面。
そんな主従の微笑ましい行いも十秒程で終了する。
覆面は地面へと手を伸ばし、確認するような手つきで地面を撫でる。
乾ききり、砂しかない大地から覆面が探り当てたのは開閉式の蓋のついた小さな緑のスイッチだ。
それを迷いなく押す覆面。
すると「ゴゴゴッ」という音と同時に、大地を捲りあげるように十メートルはある巨大な壁が現れた。
横から見れば直角三角形状に見える壁に覆面は近づいた。
そして、壁に右手を置くと、縦横三メートル程の綺麗な正方形に凹みができ、縦に開いた。そこにあったのは地下へと続く道だ。中央は一メートル程度の低い鉄壁で線引きされており、入り口から見て階段のある左側が人用、階段のない緩やかな傾斜のある右側が竜用の道だ。
吹きすさぶ砂風から逃げるように愛竜と共に中へと入り込む。
五分ほど奥へと進むと人里の光が見えてきた。入り口が近いようだ。
そのまま進み続け、入り口に入れば──
「────」
そこに広がっていたのは巨大な地下施設だ。
とても大きいとは言えないが、人が住むには苦労はしない程度の大きさの木造の家がいくつも並んでいる。本来なら暗い闇に包まれているはずの地下世界を照らすのは地下の天井に無数に張り付く
だだっ広い空間をほとんど余すことなく活用できているその様は、非常に効率的と言えるだろう。
無事、帰還を果たした覆面を迎い入れたのは周囲で自分達の作業に勤しむ人々の歓喜の視線──
「────」
のような気持ちの良いものではなかった。
それはどちらかと言えば、自分達の領域に入り込んだ異物を見るような、どこか淀みを含んだ粘性を持った視線だった。
だが、全身を纏わりつくそれを覆面は全く意に介しない。このような視線はもう慣れた。慣れて、しまった。
それはいつものことなのだ。だから、
「──こら! あんた、どこ行ってたの!」
次に起こることは既に予知していた。
こちらに向かってくると同時に怒気のこもった音を放ってきたのは翡翠色の髪と同色の瞳を持つ、実年齢より幼めの童顔の可愛らしい少女だ。
無事に拠点へと帰れたことで安堵し、衣服に付着している砂を払い落としている覆面にズカズカと近づいてきた少女はそのまま覆面の前で止まると、「アタシ、怒ってます!」と言いたげな翡翠の瞳を真正面から向けてくる。
「はぁ⋅⋅⋅⋅⋅⋅」
非常に長い溜め息をつく覆面。
その様子に少女は不満げに頬を膨らまし、更に叱責の言葉を羅列する。
「ちょっと。何よ、『はぁ⋅⋅⋅⋅⋅⋅』って! こっちはずっとあんたを心配して待ってたんだから! いつも言ってるでしょ! 外に出るなら一声かけてからにしてって。それなのに何でまた──」
「ハイハイ、分かった分かった。説教はいらん。俺もう疲れたんだ。静かに休ませてくれ」
「あ、ちょっと! 人の話はちゃんと聞きなさいよ! ちょっと待ちなさいったら!」
怒声を無視し、そのまま荒ぶる少女の口撃から避難しようと、立ち去ろうとしたときだ。
「──そうだよ、ハル。人の話はちゃんと聞かないとね」
そう言って二人の間に割って入ってきたのはこれまた覆面を脱いだ白髪赤目──ハルと同年代の青髪の少年だ。
真正面から見据える蒼の瞳と視線を合わせたハルは、
「チッ⋅⋅⋅⋅⋅⋅」
と、舌打ちをした。
「おいおい。親友の無事を喜んでるのに舌打ちはひどいんじゃないかな?」
「誰がわざわざ出迎えてくれなんて頼んだよ。そんなこと一言も言ってねぇぞ」
「つれないこと言うなよ、ハル」
「そうよ。アオの言う通りよ。聞いて、アオ。ハルったら帰ってきてすぐこんななのよ。心配してあげてたのにひどくない?」
「そうだね。ヒスイの言う通りだ」
「ほら、アオもそう言ってるじゃない。素直に感謝しなさいよね」
早く部屋に戻りたい一心のハルの進行方向を阻みながら、叱責を垂れる二人を見て、ハルの顔に苛立ちが浮かぶ。ただでさえ収穫が少なく、とても喜べるとも言えないような心境のハルからすれば、この二人の笑顔がいつもよりも心に深く刺さったような気がして⋅⋅⋅⋅⋅⋅。
「────チッ」
どけ、と。そう言って二人を押し退けようとした時だ。ずっと後ろで控えていた愛竜が苛立つ主を宥めるようにハルの首筋に頭を擦り寄せてきた。
「シル。お前⋅⋅⋅⋅⋅⋅」
「あ、シルちゃんもお帰り。どうだった? またハル、無茶してなかった?」
「別に無茶なんかしてねぇ⋅⋅⋅⋅⋅⋅って痛っ!?」
余計な心配をするヒスイに否定の言葉を叩きつけようとしたハルだったが、首筋で頭を擦り付けていた相棒の不意打ち(とは言っても甘噛みだが)に目を丸くせざるを得なかった。
その様子に確信を得たようにアオは頷いた。
「無茶してたっぽいね」
「やっぱりね。いつもシルちゃんが一緒で助かるわ。ハルもあんまりシルちゃんに心配かけちゃダメよ。彼女の気持ちも考えなさい。もしあなたが死んじゃったら、あの人も⋅⋅⋅⋅⋅⋅」
「──うるせぇよ」
数えて五文字と言う短い言葉。
その中に込められた激情に当てられた二人は先程までとは打って変わり、表情を凍らせながら沈黙した。
その二人の間を抜け、立ち去ろうとするハル。
その背は余りにも儚く、重いものを担いでいるような気がした。
歩き去っていくその背中を沈痛な面持ちで見つめていた二人と一匹だったが、
「──ハル」
不意にヒスイがハルの名を呼んだ。
並んで立っていたアオはそれを見て驚いたような表情でヒスイを見つめている。シルもハルに向けていた視線をヒスイへと動かした。
反応したのはアオとシルだけではない。ズンズンと先へ歩いていくハルは一向に進み続けていたが、明らかにその速度は落ちていた。
「一人で背負うことないんだよ。あなたは一人じゃない。アタシ達も、このコロニーの人達も皆、あなたの味方なんだよ。だからお願い。──たまにはアタシ達も頼って」
それは彼女の細やかな願いだ。自ら孤立しようと、どれ程、皆から嫌われ煙たがられても自分達を思い、未知を探求し、救おうとしてくれている少年へ向けた切実な願望だ。
だが──
「────」
それを少年は受け取ろうとはしなかった。
ヒスイも願いを抱くのは初めてじゃない。これまで幾度もそのような事を願い、告げてきた。
が、それは少年の心に届いたことは昔も、そして今もなかった。
遂には少年──ハルは返事をするわけでもなく、ただ、ただ真っ直ぐと二人と一匹を残し、歩いていった。
──ああ、俺はバカだ。
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