黙れ

「──はっ!」


 緊迫感を伴う声量で跳ねるように上半身を起こしたのは白髪赤目の少年、ハルだ。

 まだ僅かに脈拍の速い心臓を押さえ込むように、右手で左胸を押さえ込む。


「⋅⋅⋅⋅⋅⋅なんだ。夢、か」

 

 眠っていた時に見た夢をただの夢だと思い出し、安堵したように息をつく。

 額を濡らす汗を拭い、ベッドに隣接する机の上にある懐中時計へと手を伸ばす。

 時刻は朝六時半。皆、まだ寝静まっている頃だ。最も、夜以外は常に赤いこの世界に朝昼なんて呼べるものがあるのかはまた別の話だが。

 閑話休題。ともかく起きてしまったなら行動するだけだ。

 幸か不幸か、思い出したくもないものを夢で見てしまったせいか、いつもなら寝起きで目すぐには覚めきらない体もすぐに動かせるようになっていた。


「着替えは⋅⋅⋅⋅⋅⋅いいか」


 外出着に着替えようと思ったが、よくよく思えば昨日は帰還して自室に戻り、一度ベッドに全身を預けてから記憶が途切れていた。おそらく自分はそのまま完全に熟睡してしまったのだろう。

 いつもなら帰還してすぐは採取してきた“サンプル”の解析と保存に時間を使ってからベッドに入っているはずだったが、


「花、か⋅⋅⋅⋅⋅⋅」


 脳裏をよぎるのは昨日、森の最深部でひっそりと生えていたあの赤い花だ。

 鮮やかな赤に染まる十センチにも満たない丸い小さな花。図鑑でちらと見たことがあるが確か名前は⋅⋅⋅⋅⋅⋅、


「センニチコウ、だったか」


 丸みのある独特の形状、鮮やかな赤色を見て、何となくそれだと分かった。最もその図鑑は“あの夜”に燃え尽きてしまい、ここにも無い今、他に現存しているとは思えない。

 いや、そもそもあの花を見かけたこと自体がおかしな事だ。何故なら、


「花は五百年前に滅びたはず⋅⋅⋅⋅⋅⋅」


 そう、この星の花は五百年前に起こったとある『ウイルス』の影響で全て枯れ果ててしまったはずなのだ。⋅⋅⋅⋅⋅⋅いや、花だけではない。

 動物も、大気も、海も、この星は全て淘汰されてしまったはずなのだ。

 この星を殺した要因にして全ての元凶。その名は──


「『アポカリプス』から生き延びた種が存在したのか」


 ──アポカリプス。それがこの星を殺した最大にして最悪の災厄。

 五百年前、何の兆しもなく突如発生したこの最悪のウイルスは三日で大陸を侵食。その一週間後には星の全土まで勢力を拡大した。

 突拍子もなく現れた敵に人類は抵抗を試みようと、一度は特効薬さえ完成しようとしていた。──だが、事態は更なる急激な変動を見せた。


 恐るべき感染力と致死性を誇ったアポカリプスだったが、感染したら絶対に回復不可能というわけではなかった。

 実際の例でも、感染したが死線を彷徨った末に完治し生存できた者もいたことにはいたのだ。自然回復にすら至ったものもある。

 故に苦戦は強いられていたものの、何も手も足も出なかったということは決して無かった。

 

 ──だが、一つとてつもなく大きな誤算があった。

 

 それはアポカリプスは人間以外の動物に対し感染すると“進化を促進する”という恐ろしい性質を備えていたことだ。

 進化を促された事でそれぞれ巨大化、凶暴化を果たした動物達は人類に対し、激しい攻撃性を示した。

 魔に犯されし獣⋅⋅⋅⋅⋅⋅後に『魔獣』と、そう呼ばれるようになった彼らを抑えようにも、ただでさえウイルスに手を回すのが一杯で、かつ要であった軍兵の多くもアポカリプスに感染しており、軍事力という点に関しても壊滅的な被害を受けていた。

 そこからは一方的で、ウイルスとそれに犯された魔獣達に挟まれた人類の衰退は想像に難くないだろう。

 

 そして現在。既にハル達のいる大陸以外の全ての人類は死滅し、勢力圏を著しく減少させ、今や別個で集団となり、各地で集落を作って暮らしている始末。

 それは人類だけではなく、動けぬ植物や星を覆う大気も同じ事で⋅⋅⋅⋅⋅⋅。


「いや、今はそんなこと考えてる場合じゃねぇ」


 己の煩悩を取り払おうと両頬に強めに掌を叩き込む。

 無駄な考えで時間を喰ってしまった。あの二人が寝てる内に出なければ、面倒な事になる。

 地面に投げ捨てられたバッグから昨日、採取したサンプルを取り出し、培養液に満たした通常より少し大きめの時計皿に浸し、愛用の黄色の縁取りのゴーグルと黒いマフラーを手に取り、そのまま部屋を出ようとドアを開ける。その先にあるのは大広場へと続く長い階段だ。 

 ハル達の住む人類圏コロニーはドーム状に広がり、地下四十メートル超、面積62500㎡にもなる一つの人類としては最も巨大な部類に入るものだ。故に多くの人間がここに住むことが出来、実際にここには二千人にも昇る人間が暮らしている。

 そして特筆すべきはその隠蔽力の高さ。地下四十メートルにもなるこの人類圏は自分達から招き入れない限り、まず魔獣の侵入はあり得ない。

 入り口を探すにしても常に激しい砂風が吹きすさぶ砂漠地帯の中、小さなスイッチ一つを探し出すなど事前に正確な位置を知っていなければまず不可能な話だ。

 住みやすい。見つかることもない。広く必要施設を置ける有用スペースも多い。これ程好条件の整った人類圏はおそらくこの場所だけだろう。それだけ優遇された安全圏だということだ。

 

 階段を上り終えたハルは起きた人間の気配を探ろうと周囲へと視線を向ける。


「誰もいない⋅⋅⋅⋅⋅⋅みたいだな」


 人の気配がないことを確認し、大広場へと出てきたハル。ハルから見て左側に見えるのが、この人類圏の出入口。その手前には竜が過ごす竜舎が設けられている。

 ハルの部屋は出入口付近に設けられている。人類圏の出入りが激しいハルにとってそれは非常に嬉しい事だった。


 早速ハルが向かったのは、人類圏の出入口⋅⋅⋅⋅⋅⋅ではなく、その手前の竜舎だ。

 中へ入ると、当然のごとく、多くの竜が寝息を立てていた。中には両親と共に床につく雛の姿もある。

 仲睦まじい竜の親子を見て、胸が疼いたハルだったが、気のせいだとそれを無視し、目的の相手の元へと向かう。

 長く続く竜舎の一番奥まで足を進めたハルは目的の相手を気遣い、なるべく音を立てないようにしてはいたが⋅⋅⋅⋅⋅⋅。


「⋅⋅⋅⋅⋅⋅何だ、起きてたのか」


 じっとハルを見つめるのは見るも美しい一頭の銀竜だ。ただすっかり見慣れたハルからすればそれはいつものような優しい瞳ではなく、少し⋅⋅⋅⋅⋅⋅いや、かなり怒っているような感情が瞳の中に映った気がした。

 何故、怒っているのかを聞こうと手を伸ばした時だ。


「シル、お前何怒ってるん⋅⋅⋅⋅⋅⋅だぁ!?」


 突如、繰り出された頭突きに額を押さえてハルは唸った。

 竜の鱗は非常に硬度が高い。少なくとも武器を振り慣れていない人間のものなら剣や槍でも弾く程には硬い。

 今のハルはさながら岩に衝突したようなダメージを受けているはずだった。最も竜は非常に高い知性を持っている。それはシルでも例外ではなく、だからこそ手加減をした上で行った行為であり、実際の威力は少し速めの速度で飛ぶ小石を受けた程度に抑えられていた。


「痛ぇ⋅⋅⋅⋅⋅⋅。何すんだ、急に⋅⋅⋅⋅⋅あ」


 若干、涙目になりながら痛みを堪えて、突然の不意打ちに抗議を申し立てようとしたハルだったが、途中で口を止めた。

 そうだ。自分は昨日、


「⋅⋅⋅⋅⋅⋅ああ、昨日は勝手に置いてって悪かった」


 そう、時は人類圏に期間直後の事だ。

 帰還してすぐにアオとヒスイの二人に捕まり、その場で説教染みた事を言われまくっていた時だ。説教など聞きたくもないと思っていたが、説教による苛立ちであの場を後にしたのではない。あの時、湧いた黒い感情はヒスイの発した最後の言葉によるものだ。

 『あの人』と。そう、ヒスイが指し示す誰かを察してしまったことが最大の要因だということをハルは知っている。その人物が自分にとってどんなものなのかをハルは知っている。

 故に湧いた激情。決して抑えることの出来なかったそれは本当にどうしようもないもので⋅⋅⋅⋅⋅⋅。


「────!?」

 

 気づけば、自分の不甲斐なさに憤慨するハルの頬に顔を擦り寄せているシルの姿があった。それは苦悩する主を慰めているようにも見えて。


「⋅⋅⋅⋅⋅⋅ああ、お前は優しいな」


 自分をおもんぱかってくれている優しい相棒の姿を見て気が落ち着いたのか、ハルは頬を少し緩ませた。

 だが、それでも少し拗ねていたシルはざらついた舌でハルを慰めると同時に困らせる事に成功して、満足げな様子だった。


 そんな主従のほほえましいやり取りはやがて終わりを迎える。

 戸を開けてやり鞍を装着させ手綱を引き、シルを連れてハルは竜舎を出た。そのまま、誰にも見つかることなく外出しようとしたハルだったが、


「──もう、行くつもりなのかい?」


 突然、後ろからかかった声に思わず動きを止めた。

 その聞き慣れた声は自分が絶対に見つかりたくなかった人間のものによく似ていた。いや、実際にその人物ではあったが、頭の中では随分と否定したがっている自分がいた。

 しかしそんな思いもむなしく、


「⋅⋅⋅⋅⋅⋅何で、お前がいんだ」


 そこにいたのは見慣れた青髪青目の幼馴染み、アオだ。

 苦い顔で自分を見つめるハルに対し、アオは口の端を少し緩ませ、微笑を作った。


「君の事だ。どうせ何も言わずに行こうとすることは分かってたからね」


 その回答にハルは苦い顔を更に歪めて疑問を露にした。

 アオは自分が知る限り、最も理性的な人間だと思っている。やって出来ること出来ないこと、無駄なことを省くことが出来る合理的思考の持ち主のはずだ。

 故にハルにはアオの今の行動の意図が分からなかった。


「じゃあ、何でここにいんだ。まさか力ずくにでも止めようってか? 俺とお前じゃ勝負にすらならねぇ事ぐらい、分かってるはずだよな?」

「ああ、それも分かってる。僕は君に勝てる程の腕っぷしはないってことくらいね」

「じゃあ、何しに来たんだ? まさか、あのバカみたいに感情に流されただけのバカ事言いに来たんじゃあ──」

「そうだよ」

「⋅⋅⋅⋅⋅⋅あぁ?」


 短くそう返された言葉にハルは驚嘆していた。

 ずっと、理性的だと思っていた幼馴染み。その彼が自分の今言った当てずっぽうな推測に肯定の意を示したのだ。

 分かっている。だが分かりたくないその真意を言葉通りに読み取るのであれば、


「僕は君を説得したくてここに来た。そういうことだよ」

「────っ!」


 アオは自分を止めに来たのだ。

 ヒスイが何度も人類圏からの遠出を止めようとする手を自分が払いのけているのを目にしているはずにも関わらず、何を言っても止まることはないと分かっているにも関わらず、理性的だと思っていたこの幼馴染みはこの場に現れている。

 一体、何故⋅⋅⋅⋅⋅⋅。


「君は何をしたいんだい? 何を成し遂げたいんだい?」

「黙れ」

「何が君をそこまで固執させる? 仲間に楽をさせてあげようって事かい? いいや。僕から言わせればそれは違うと思う」

「⋅⋅⋅⋅⋅⋅黙れよ」

「いいや、黙らない。君が何を思って行動してるかは僕にははっきり分からない。だからこれはあくまで僕の推測だ。君がそこまでして何度も出ていく理由。それは──」


「黙れっつってんだろうが!!」


 先程までの周囲への配慮など存在していなかったのような怒号にアオは言葉を詰まらせた。

 妙に痛む頭を抑え、先程の怒号が嘘のように、か細い声をハルは漏らした。


の名前を聞くたびに、察しちまう度に、酷い頭痛がするんだ。頼むから、頼むから俺の前でその名前を出すな⋅⋅⋅⋅⋅⋅」


 脅迫のような強い口調で放たれたハルの声は先程までの鬼気を無くし、懇願するかのような細く弱い声に変化していた。

 それはトラウマから逃げようとする弱い子供のようにすら思えて。

 その細くなった声に滲む激情を読み取ったアオはほんの一瞬、青の瞳に憂いの光を見せたがそれを悟られないよう一度瞑目すると、


「分かった。これ以上、ここではその話を出すのはやめるよ。けど一つ、言わせてくれ」


 それ以上の余計な追求を止めたアオは一つだけハルに言葉を与えた。


「何でもかんでも一人で背負い込もうとするのはめてほしい。それを続ければいずれ壊れるときが必ずやって来る。だから、──いい加減、孤独になろうとするのは止めろ」


 そう言うと用は済んだと言うかのようにアオはハルに背を向け、「無事、帰ってこいよ、親友」と告げ、軽く手を振りながらその場を後にしていった。残っているのは未だに響く頭痛に顳顬こめかみを押さえているハルと、それを「元気になって」と言いたげに寄り添い、頭を擦り寄せるシルだけだった。









 




















 ──また一つ、後悔が募る。





 




 




 


 




 



 



 


 

 


 

 

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