15
「ああ、もう昼の定時連絡か」
「要望されていた林檎飴、送りますよ」
「いいよ。どうせ調整されたら、全部消えるんだし。そんなのを希望していたことも含めて」
扉に向かいかけ、ホシノはタキを振り返る。
「……そうしたら、御堂君の本当の思い出って消えてしまうんでしょうか」
ずっと動いていたタキの手が止まる。
「また奥深くに沈むだけだ。消えないよ。……ああ、それとホシノ」
「はい?」
「ぼちぼち、次のアンカー候補を探しておけよ」
ホシノは胸に抱いた端末を強く握りしめ、低い声で「はい」と応える。
タッチパネルを操作して開いた扉の向こうにはテーブルとマイク、そして椅子があった。扉が閉まると無音となり、ホシノは椅子に腰かけてマイクに向かう。そして横のスイッチを押し上げ、息を吸い込んだ。
「──……こんにちは、ミドー。そこにいる?」
海猫が鳴いていた。ミドーは夜明け間際の薄明るい外を歩いている。木綿の半袖シャツ、ジーンズ、黄色い長靴、手にはペンと用紙を挟んだバインダー。海から寄せる風はまだ夜の気配を残して、肌を涼しく撫でて去っていく。
鳥山、薔薇、風見鶏、磯の魚たち、天候、風、雲、観察記に記すべき事柄は多い。常に五感を総動員して立ち向かうのがミドーの仕事だった。
今日は静かな朝だった。海猫たちも穏やかに風を掴んでいる。波は静かに寄せるだけで、白波の数もまばらであった。たまにはこういう朝もいい、とミドーは涼しい風を吸い込む。
諸々を観察し終えて灯台に戻ると、備えつけのポストから入りきらなかったらしい荷物が飛び出ていた。紙の包みを引っ張り出してみると僅かに重く、灯台の中に入って封を開けてみる。中にはビニール袋で丁寧に包まれた林檎飴が二個、入っていた。大きく真っ赤な林檎を透明の飴が覆い、艶やかに辺りの光を拾い上げる。
「やった!」
時間はかかると言っていた品物だった。しかも二個も入っていたことにミドーは喜びを隠せない。こんなにも食べたかったのか、と自身で不思議に思うほどであった。
うきうきと包みを持ってテーブルに置いたところで、ふと、ミドーはテーブルが広く感じることに気づいた。本に鉱石ラジオ、雑多に物が置かれているのはいつもの通りだが、何かが足りない。窓の近く、もう一つ何かを置いていたような気もするが、それが何なのかがわからなかった。
椅子に座って頬杖をつき、ぽっかり空いたような気がするテーブルの一画を見つめる。何かが浮かび上がってきそうな気もしたが、その内に静かすぎる波音に誘われ、眠気の方が一足先にやってきた。あくびを噛み殺し、ミドーは思い出すのを諦めてテーブルを立つ。今、思い出せないのならそう大事なことではない、とミドーは結論づけた。
少し早いが朝食の用意をする為、林檎飴を持って台所へ向かったところで窓の外で明るさが増す。遠慮のない日差しが白々と海を染め、静かな朝の帳を割いていくのが見えた。
「……うわ、暑くなりそう……」
ミドーは目を細める。青天を上り、陽射しが容赦なく肌を焼くのが容易に想像出来た。うんざりとして呟きながら冷蔵庫を開けると冷気が零れ落ち、ミドーは今、自身の手元に宝物があることを思い出した。
ミドーは今晩食べるつもりの林檎飴を入れ、そっと、その扉を閉めた。
終
ミドーの海 かんな @langsame
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