第27話 【最終章/夏 ぬけがらを、抱きしめて】⑦

《エピローグ》


 都会の空は、星なんか見えないとよく言う。

 だが、灯りの少ない中、屋上のような高い場所に寝そべってみると、星座を結べそうなくらいには見えるものだ。

 しかし残念ながら、おれも幸も星座のひとつもわからない。

 ふたりで星をなぞりながら、勝手な星座を作ってふざけているうちに、彼女はふっと電池が切れたように眠ってしまった。

 どうしてだか、幸は木のベンチの下に寝そべりたがっていた。

 花嫁姿の少女がベンチの下で眠っている、そんな妙な光景も、不思議と幸なら違和感がない。

「……ごっ」

 幸は可愛げのない、いびき交じりの寝息を立てた。

 潤が眠っていたときは、いびきの一つもない静かな寝姿だったのを覚えている。思わず、呆れたような笑みがこぼれてしまう。

 だが、いつもまでもこうしてはいられない。夜が明ける前には、ここを引き払う準備をしなくてはいけない。

 そうすれば、この魔法がかかった時間は終わる。

 おれはイギリスに戻り、幸は潤に戻るのだろう。

 もう、本当にお別れだ。

 幸ともっと話がしたいと思う半面、起きてしまったら終わりが近づいてしまう。ずっとこのまま眠っていてほしい、そんな風にすら思った。

「つか、お前なんでこんなとこ潜りたがるんだよ? ドレス汚れるぞ」

 おれは幸の真横に寝そべり、寝顔を横から見る。

 すると、ベンチの裏にペンで落書きされていることに気づく。

 今日ここに来る前から、ずっとあったものだろう。

 そこには。


 ――がんばれ、なきむし


 幸の拙い字で落書きがしてあった。

 いつ、どんな想いで、これを書いたのだろう。

 短いその一文から、幸がおれに対し、心を近づけようとしてくれた葛藤が伝わってくるようだった。

「……幸」

 おれは、幸のウェディングドレス姿を映したポラロイド写真を眺めた。

 驚きながらも、照れてはにかんだような、弾けた笑顔。

 幸の煌めきが、ぎゅっと詰まっているようだった。

 おれは写真にそっと鼻先を寄せる。遠い夏のにおいがしたが、それは一瞬だけだった。

 今の感じている空気が、あの頃の夏のものか、今おれを取り巻いている夏のものか、もうわからなかった。

「あれ、あたし……」

 幸が微睡みながらも、ゆるやかに目覚める。おれは目を細め、笑いかけた。

「まだ、眠っていていい」

 おれのその一言に、幸は安心したかのように目を閉じた。

 いつか終わるのはわかっている。

 でも、もう少しだけ。

 幸の頬の上に、一しずくの涙が落ちる。それが自分の目から零れたものだと、しばらくわかりさえしなかった。

 おれは幸のために、泣かないでいようと決めた。

 どうにか涙を堪えようとしたが、それは今にも崩れてしまいそうだった。

 再び寝息を立て始めた彼女の左手に、ゆっくり手を重ねる。

 そして、薬指に静かにセミのぬけがらを置いた。

「幸。結婚してくれ」

 おれにとって、どんな結婚の証しより、輝いて見えた。

 幸を起こさないように腕をまわし、抱きしめた。

 ぬけがらを壊さぬよう、そっとつかむように。


【最終章・終】

【了】

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