第4話 仰ぎ見る巨人

 マックから教えてもらった事の顛末は酷いものだった。黒いガスボンベは北軍がトラックで移動中に、誤って落としたものだった。落下の衝撃で塩素ガスが流出し、ガス対処の方策を知らない輸送隊は、そのまま逃げ出したのだ。


 しかし北軍が、それを認めることは絶対にない。当初の予定では南軍の攻撃であると発表する筈だった。それで集落の人々は全員、見殺しだ。

 そこに事情を知らないマックが、参謀本部に飛び込んだのだ。彼が知る限りの内容を大佐に報告し終わった瞬間に、いきなり殴りつけられたと言う。

「忘れろ!」

「できません。今も北軍兵士が懸命に集落の救助を行なっています。塩素ガス系の毒ガスですから、一刻も早い対処が必要です」

「・・・ガスの種類まで」

 大佐が自室を飛び出して、戻ってきた時には、マックはトラックの助手席に詰め込まれていたのだという。


「恐らく救援の用意は出来ていたんだろう」

 お爺さんは、マックの応急処置を終え呟いた。

「しかし上層部に止められて、大佐も手を拱いていたんだろうな」

「でも爺さん。この後、軍医に後を譲るんだろ。手柄を攫われて悔しくないのかよ」

「儂らだけで出来ることなんて、タカが知れている。さっさと専門機関に受け渡すのが正解だ」

「でも、クーメル中将の先生だったなんて驚きです。これまで失礼いたしました」

「あれはデマカセだ」

「?」

「クーメルは軍医学校卒、儂は公立医学部出身だ。学会で挨拶をしたこと位はあるがな」

「じゃ、あの話は・・・」

「その位、話を盛れば、大佐も動きやすくなるだろう。帰還してから、輸送部隊の上官にも説明がつく。輸送部隊にしてみれば事が露見するより、集落全員、行方不明になってくれた方がいい。下手をしたら儂らも含めて皆殺しになっていたかも知れん」


 ポカンとした顔をしていたジャンが、次に僕、マックが笑い始めた。いつの間にか、お爺さんも大笑いしている。僕たちの命を助けてくれたのは、あの苦虫を噛み潰した顔の大佐だったなんて。


「ああ。笑ったら腹が減った。何か食べるものはないかな」

「しょうがない爺さんだな。何か作ってやるから、チョット待っとけよ」

 ジャンはテントに行って、あっという間に食べ物を持って帰ってきた。

「あれ? 爺さんは?」

「シー」

 お爺さんは患者の引き継ぎが終わった安心感からか、あっという間に眠りについていた。

「おい、死んだんじゃないだろうな」

「馬鹿を言わないの。考えてみたら昨夜から一睡もしていなかったんだから」

 眠っているお爺さんは、起きている時の気迫が見えないせいか、小さく見えた。いま気付いたけど、僕より背が低いかも知れない。


「・・・大した爺さんだぜ」


 ジャンの言葉に僕たちは頷いた。



「お。早いな」


 ジャンとマックが小さな塚の前にやって来た。僕が置いた花束と手に持っているチョコレートを見て、ジャンが鼻を鳴らす。

「花束にチョコレートか。軍の習慣が抜けていないな。マックを見ろ」

 陸軍士官学校を首席卒業したばかりのマックの腕にも、花束とチョコレートがあった。この組み合わせは、休日に上官の家に招かれた際の、手土産の定番なのだ。彼は来月から見習い期間を飛び越して、参謀本部勤務が決まっている。

 ジャンは、大きなバスケットを4つ担いでやって来た。中にはご馳走が詰まっている。彼は18歳で満期除隊をした後、正式な調理師になった。近々、自分の店を持つらしい。

「ここで爺さんと喰おう。お前、顔色悪いぞ。これを喰って元気だせ。授業には付いていけているのか?」

 僕は苦笑いしながら、バスケットを受け取った。僕は軍医学校の5年生になる。1日でも早く辞めたかった衛生兵の仕事から、医師を目指したのは当たり前だが、お爺さんと出会ったお陰だ。


 いつか僕たちは、お爺さんのようになれるだろうか。その道は遠く険しすぎる。小さかったお爺さんが、仰ぎ見る巨人のように思えた。

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仰ぎ見る巨人 @Teturo

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