本当に付き合っちゃおうか
佐藤ぶそあ
本当に付き合っちゃおうか
「ねえ、本当に付き合っちゃおうか」
放課後の図書館。丸ヶ峰女学院の誇る我らが『菫の君』にして、私の恋人ということになっている三条が、囁くように言った。
私は今月の恋人料徴収の真っ最中で、深く考えずに否定の言葉を返した。
「嫌」
そのあとでようやく三条の台詞を反芻して、もしかしてもったいないことをしたんじゃないかと、数式の並ぶノートから顔を上げた。
三条は切れ長の目を細めて、にんまりと笑っていた。顔の良さだけで面倒ごとを背負い込むタイプの女は、表情がいちいち様になる。
「早矢香さんならそう言うと思った」
言葉が出てこなくて、私は金魚みたいに口をパクパクさせた。
「どうどう」
三条が落ち着けというように手のひらをこちらへ向ける。私は馬じゃないし、もちろん金魚でもない。息を吸って、吐いて、頭の中で言葉を組み立てて、改めて口を開いた。
「菫子さん。あなた、そうやって人を試す癖は直した方が良いと思うわよ」
もしも私が三条の申し出を受けていたら、この女は喜んで私に見切りをつけたのだろう。新しい風除けのあてもないくせに。
「試すだなんてそんなこと。考えてもいないよ」
「どうかしら。だって、否定されたかったんでしょう。それとも、恋人料として私に勉強を教えるのが嫌になった?」
私の問いかけに言葉を返そうとした三条は、すんでの所で口をつぐんだ。一呼吸を置いて、両手を挙げる。
「なるほど。私が悪い。望んでいる答えを返させようとする問いはずるいね。早矢香さんの言うとおりだ。ごめん」
「……分かれば、いいのよ」
そう返しながら、本当は私も分かっていた。三条がもっと察することのできない人間だったなら、どれだけ顔が良かろうと女子校の王子様ポジションなんてものに祭り上げられることはなかったはずなのだ。
◆
「ごきげんよう。早矢香様」
「ごきげんよう。良い朝ですね」
廊下ですれ違った名前を覚えていない誰か相手に、表情の筋肉を総動員して微笑む。編入したての頃におはようと挨拶してごきげんようと返された時は「マジか」と思ったものだけれど、数ヶ月経った今でも感想は同じだ。マジか。令和だぞ。
中高一貫どころか幼稚園から大学まで欲張りセットのお嬢様学校はやはり格が違う。転入生というだけで、他のクラスの生徒にまで名前を知られている。外様に厳しいわけではないのだが、情報格差が大きすぎた。半分……いや、七割くらいは三条の恋人というプロフィールのせいだと思うけれど。
そんなことを考えていると、廊下の向こうからキャーなんて黄色い悲鳴が上がった。私の恋人様のお出ましだ。
「菫子様よ」
「今日も麗しいわ」
登校するだけでこれだ。しかも私に聞こえているということは本人にも間違いなく聞こえている。
別にスマホ所持が禁止されているわけではないし、家に帰ればテレビだって見られるのだから、世間のアイドルとか芸能人とかを知らないわけではないはずだ。それでいて三条がこの人気なのは少し解せない。
いや、むしろ逆だろうか。生徒たちは誰も彼も、いろんなメディアから仕入れることができる『お嬢様学校』を全力で楽しもうとしているのかもしれない。私が前の学校で女子高生を楽しんでいたのと同じように。
「ごきげんよう、早矢香さん。朝から会えるなんて良い日だね」
……前言を撤回する。ごく自然な動きで私の手を取って微笑む三条は、そんじょそこらのアイドルよりも、よほど顔が良い。
「ごきげんよう、菫子さん。放課後も付き合っていただける?」
「もちろん、早矢香さんの頼みならいくらでも」
私が恋人になる前は、お茶会の誘いを断るだけで休憩時間が終わるなんてこともザラだったらしい。朝から会えたことを喜んでいる三条の言葉は、掛け値なしに本音だろう。このやりとりの情報はすぐに広まって、きっと三条の休憩時間を僅かながらも自由なものにする。
キャーを超えてギャーになりかけているお嬢様らしからぬ黄色い悲鳴を浴びながら、私と三条は放課後デートの約束をした。
◆
「ブレンドコーヒーのアイスをひとつ。ブラックでお願いします」
「三種のベリーのタルトレットと、本日の紅茶をひとつ。お砂糖はいらいないので、ミルクだけお願いします。はい、以上です」
私と三条は注文を済ませて、ちらちらとこちらを振り返る店員を見送った。初めて来た喫茶店でこの対応なのだから、三条も苦労の多い人生を歩んでいることだ。
「早矢香さんはコーヒーだけで良かったの? 付き合って貰ったんだから、奢るのに。有名なんだよ、季節ごとのフルーツタルト」
三条が残念そうな顔で言う。普通の高校生らしく、食べたスイーツの感想を言い合いたかったのかもしれない。できるだけ放課後を一緒に過ごすポーズを取るという契約ではあるものの、本当は駅で別れても良かったのだ。今日はたまたま、三条が食べたいものがあると誘ってきたからこんなことになっていた。
「にきびができるから、嫌なの」
ばっさりと三条のお勧めをたたき切る。
クリームか、バターか、チョコレートか、あるいはその全てか。私は洋菓子という存在から嫌われているらしく、食べると覿面ににきびができる。教員に見逃される程度のメイクでは隠しようがないくらい、赤くなって腫れるタイプのやつがだ。
「へえ」
向かいに座る三条が手を伸ばして、私の頬に触れた。
「早矢香さん、格好良いなあ」
ぺしり、と手をはたく。
「見せる相手もいないのに、何をしているんですか」
「本音だからいいじゃない」
「尚悪い。菫子さんが心安らげる貴重な風避けを口説いてどうするつもり」
私たちは、もっと当たり障りのない話をした方がいい。進学校らしくかなり進んでいる単元の話とか、お勧めの和菓子の話とか。
「どうもしないよ。口説いてもいない。私はあまり、我慢が得意じゃないから」
「ばっ」
馬鹿なの、と言いかけた言葉を飲み込んだ。
店員さんが飲み物とタルトを持ってきたからだ。
「ブレンドコーヒーと本日の紅茶、三種のベリーのタルトレットでございます」
カタリ、カタリと私の前に置かれたのは二つ。紅茶とタルト。三条の前にはコーヒーが置かれていた。先ほどとは違う店員が戻っていった先で、トレイで口元を隠しながら最初に注文を取っていった店員と何事か話している。三条の顔のことで盛り上がっているのかもしれない。
「タルトの似合う顔に生まれたかったな」
「そのうち刺されるわよ」
甘いものを我慢もせずに、その見た目が維持できている女の言って良い台詞ではない。逆に置かれた紅茶とタルトを三条の側にあるコーヒーと交換する。だいたい、それだと私はタルトが似合う顔ということになる。夏に食べる甘味と言えばもっぱら羊羹になる私への挑戦だろうか。
「だいたい、我慢が苦手な人は『菫の君』なんて呼ばれてへらへら笑ってないでしょう」
きょとんとした表情になる三条。いつもより大きく見開かれた目が、ぱちくりと二度ほど瞬いた。
「そうかな……そうかも。なんか、伝統だからそういうものだと思ってた」
「三学年で一人?」
「代替わりするから、二人とか三人とかいることもあるけど。なんとかの君、って呼ばれてちやほやされる」
漫画みたいな話だ。順番が逆か。そういう伝統がある学校があって、そこへの憧れが創作で表現されていたはずだ。今はさらに逆輸入されている気もするけれど。
「でも息苦しかったのは本当。だから、早矢香さんには感謝してる」
「……どういたしまして」
にやけそうになったのを悟られたくなくて、コーヒーに口をつけた。酸味は抑えめで、苦みが勝っている。好きな味だった。
タイミングを見ていたのか、三条もタルトを口に運んでいた。よほど美味しかったのか、顔がほころんでいる。どちらかと言えばクールな印象が強い三条の、花が咲いたような笑顔は珍しい。
「そういうところを見せていけば、王子様扱いもされないんじゃないの」
「……どういうところ?」
「スイーツ食べて笑顔になってるところ」
三条はフォークを置いて、顔を隠すように手で覆った。
「笑ってた?」
「すごく」
「早矢香さんの前だと表情が油断するな……」
私は仰け反って視線を外して、壁際の観葉植物を眺めた。聞いた話によると、気合いの入った飲食店では香りが料理の邪魔をしないように、花をつけない品種を置くものらしい。本当だろうか。なんて、そんなよそ事を考えて気をそらして、言葉を組み立てた。
「私を、試さないで」
「試してなんかいないってば」
困ったように三条が眉を寄せる。
「分かっているのよ。菫子さんの好みは『自分の顔に興味がない人』だってことくらい」
学校で一番、なんて称号すら生ぬるい顔面に恵まれておいて、なんという贅沢なことか。
「早矢香さんには、そういう風に見えていた?」
「ええ」
三条は視線をきょろきょろと惑わせた。もしかしたら自分でも気づいていなかったのかもしれない。
「……じゃあ、早矢香さんは私の顔に興味ないんだ」
そういう問い方は直した方が良いと、つい昨日も話したばかりなのに、三条はもう忘れている。あるいは、わざとなのかもしれない。
「お生憎様。私は菫子さんの顔、好きよ。綺麗だもの」
「えっ」
「えっ」
三条が、馬を落ち着けるようにして手のひらを向けて、ゼスチャーをした。私は言葉が出てこなくて、金魚みたいに口をパクパクさせている。
いつものように、してやったりと、三条がにんまりと笑う。
「顔を褒められて嬉しいのは、初めてかもしれないな」
「菫子さん、照れると耳が赤くなるんですね」
指摘したこっちが驚くような早さで、三条は両手で耳を隠した。
私は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「……ねえ」
<本当に付き合っちゃおうか・了>
本当に付き合っちゃおうか 佐藤ぶそあ @busoa
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