第10話 ようめい

 三十四



 天井に見慣れるも何も、朝起きた時は身体を横にしているので目に付くのは壁とかなんだよなぁとどうでもいいことを思いながら勝太は目を覚ました。

 外の暗さと比べるとやけに目覚めが良い。昨夜の騒動を思い出しながら、ふと夢見心地に聞こえた男たちの会話も思い出す。

『副長を呼び戻すか』

『それは土方さんの考え次第です。でも報告した方が良いでしょう』

『なら、連絡係つなぎに頼もう』

『ところで兄ちゃんたちよ、本当に坊主も連れていくのかい? 話を聞くかぎりじゃあ子供が出しゃばって良いモンじゃ無ぇとお見受けしたが。下手したら異国と戦争になるぜ』

『大丈夫ですよ、勝太の身体は子供でも力量まで子供じゃないですから』


「……ふふ、へへへ」

 おっと、いけねぇや。

 勝太は慌てて自分の口を押さえた。ここで調子に乗ってはいけない。

 調子に乗ってはいけないが、勝太は総司の言葉が何よりも嬉しかった。

 勝太の図体はそれほど大きくない。それどころか周りと比べれば小柄な方で、馬鹿にされることも多かった。言われっぱなしで試合に勝てないことが悔しくて、少なからず「勝太」という名前も好きではなかった。

 でも、そんなことを思い出すと自然に総司の顔も頭に浮かぶ。

 場面はいつも道場で、思い出すだけで全身がヒリヒリした。

 記憶の中の総司が笑って言う。

『型にまった竹刀剣法じゃ、人は斬れない。流儀がどうの、作法がどうのと言っているうちは斬り捨てられても仕方ないよ、足を引っ掛けようが、砂を掛けようが、斬られたほうが負けで、勝った方が勝ちだ。卑怯だなんて言っていられる世の中じゃない』

 傍にいた土方も、珍しく「そうだな」と総司に同意する。この人は子供相手に「物騒な」なんて言う人じゃない。それが現実だからだ。現実から目を背けた者から先に斬られる。

 怖くないと言えば嘘になる。それどころか内心はもう怖くて怖くて仕方がない。

 けれど勝太は総司や土方や近藤の顔を思い出すだけで何故か勇気が湧いてくるのだ。

 勝太は枕の下に敷いた自分の小刀を抱き込んだ。

 少しずつ白くなる空をぼう、と見つめていると背後で衣擦れの音がした。

「そこに何か居るのかい、坊主」

 起き掛けとは思えない明朗な由吉の声。いや、きっと、恐らく、寝ていないのだろう。はっ、と思って総司と山崎の息遣いに耳を澄ませると妙なくらいに呼吸が安定していた。ひとりは計ったように細く、もうひとりはそもそも聞こえない。

「たまたま目が覚めただけだい。総司兄ちゃんも、別に何もないから安心しなよ。みんな寝たらいいのに」

「私たちは寝れないのさ。新選組には夜襲訓練ってのがあってね、言葉通りいつ何時なんどき敵に襲われても対処出来るような稽古もしてるんだ。おかげでゆっくり眠れやしない」

 半分困ったように、もう半分自慢するように総司が囁くような声で言う。

 声の主は総司だ。由吉もさっき会話した。となると、聞こえない息は山崎になる。

すすむ兄ちゃんは?」

「外だよ。万が一のために見張りで動いてくれている。何かあったら人を寄越す手筈だ、何もなければ明日、奇襲する」

 奇襲、と聞いて勝太の胸はどきりとした。勝太とはもう切っても切り離せない言葉になっている。

「なに、新選組の屯所に単身乗り込んでくるくらいの気概があるんだ、勝太は気組みに関しては滅法強いし、剣も良い。私も付いてる、薬屋さんもいる」

 総司がそう言い切った瞬間、ぱっと外が明るくなった。

 夜明けだ。

「さて、朝餉を食ったら作戦準備だ。今夜までに精力を付けとかなくちゃあ」




 三十五



「攫われたひとたちがいるのは三カ所……地図で言うと、此処と此処と、此処。それから船は港のこの辺りに来る予定。異国船だから一目で分かるんじゃないかな。三カ所を襲って周るのが一番無難だけど、それじゃあ人手が足りない。だったら狙うは異国船ひとつだ、こっちの方が手っ取り早い」

「でも異国船ってでっかい大砲が付いてるんだろ? ぶっ放されたらひとたまりもないよ!」

「そこは安心しな坊主、奴さんらを襲ったところで、恐らくだが大砲は使われない。奴さんは別に御国の命で攫ってるんじゃないからな。どっちにしろ、この件が片付いちまったら長州は増々荒れるだろう」

「そんなこと考えるのは私たちじゃなくて副長の仕事です」

 そんな話をしながら、由吉が半紙に文字を書いていく。

「恐らく出航するのは夜だ。真昼間から人間を乗せてちゃあ否が応でも目に付く。決行は今夜で異存ないな」

 由吉が「即時行動」と筆を走らせる。

「見張りは……本命を異国船と見て問題ねぇな」

「そうですね、そこにさえ張っておけば入口を塞ぐだけで未然に防げる」

 港へ続く用水路に線を引き、近隣の宿屋を丸で囲う。

「山崎さんには事前に伝えてます。あとは彼が臨機応変に動いてくれますよ。さて、私たちは今夜に備えて腕鳴らしでもしに行こうか」

 総司がそう言ったところで勝太の耳が床を擦る音を拾った。

 足音は少しずつ離れていき、次第に聞こえなくなったのを確認してからようやく勝太は口を開く。

「総司兄ちゃん」

 細くて短い息が勝太の頭上に流れた。平常なら硝子玉のように曇りの無い総司の瞳がキッと遠くを見つめ、ぎらぎらとしている。

「それじゃ、後を頼みましたよ」

「そいつは俺の言葉じゃねぇのかい」

 由吉の声を背にして、総司と勝太は流れるように部屋を出た。




 三十六



 客か否かは気配で分かる。どことなく余裕の無い雰囲気を纏った背中を見つけ、総司は迷いなく後を付ける。

 刀を抜きざまに勝太を斬ることのないよう、左側を歩いてもらいながら歩幅と呼吸に集中していた。勝太には少しでも近づいてくる足音が聞こえれば袖を引くようにと言ってある。

 確かに勝太は子供だ。自分の信じるものには無鉄砲で、そんながむしゃらな性格がどうにも土方を彷彿とさせる。本人が自覚しているのか総司には知る由もないところであるが、それにしても勝太の思慮深さと洞察力には目を見張るものがあった。

 だから土方は自分に任せたのか。

 総司は左に勝太の気配を感じながら、浪士隊として上洛する直前の出来事を思い出していた。


『私が子供だからですか!』


 あのとき叫んだ自分の言葉を、今でも思い出す。


 近藤と土方が同年代なのに比べて、総司は彼らから十歳も離れていた。丁度、勝太と総司の差も十歳になる。

 年齢だけ見ればもう立派な大人であるのに対し、周囲はさらに上ばかりでいつまで経っても子供扱いされていた。

 限界に達したのが昨年の冬。きっかけは浪士隊の募集だ。

『総司、お前は残れ。残って試衛館を継げ』

 近藤が言った。

 脳天を木刀で割られたような衝撃だった。

 残れ。

『嫌です』

 無意識に口をついて出た。

『お前はついて来るなって言っているんだ! 分かれ!』

 土方が声を荒げる。総司も負けじと声を張った。

『嫌だと言ってるじゃないですか! 近藤さんが行く、土方さんも行く、永倉さんも、山南さんも行く、みんな行く! どうして私だけ駄目なんです!』

『お前は試衛館の塾頭だ。残って天然理心流を繋げてくれ。ここからは竹刀でも木刀でもない真剣勝負になる、危険なんだ。死ぬかもしれないんだぞ。お前はまだ、若いんだ』

『それは近藤さんたちも同じでしょう! 若いからってなんですか、いつもいつも、いつも、私を子供扱いして! 私では足手纏いですか、私は弱いからですか、私が子供だからですか!』


 あそこまで必死になったのは初めてだ。無論、自分が足手纏いになるとも、弱いとも思ったことはない。総司には自信があった。

 自分は剣が強い。この腕は誰よりも役に立てる。だから先生は真っ先に私に言うだろう。「お前の力が必要なんだ、共に来てくれないか」。

 浪士隊の話が来た時は本気でそう思っていたから、心底腹が立った。

 あれからどうやって説得してきたんだっけ。

 詳しいことは忘れた。ただただ本当に悲しくて腹が立って必死だった。


『勝太の身体は子供でも力量まで子供じゃないですから』


 子供だからという理由の理不尽さは総司が一番理解している。

 自分と勝太の年齢差を考えればやむを得ないかもしれないと一瞬だけ納得したが、それでも当人の話を聞かずに勝手に決めるよりは良い。勝太にはやる気がある。

 (――それに、才もある)

 勝太、という名を聞くのは実は二人目だ。

 一人は目の前の勝太。

 もう一人は島崎勝太――のちの近藤勇。

 土方と揃いの喧嘩屋気質、近藤と揃いの幼名、それから総司直伝の剣捌き。


(――きっとこの子は強くなる)


 総司の左側の袖がキュッと引かれた。

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だんだらの兄ちゃん! 喜岡せん @yukiji_yoshioka

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