第9話 やっこさん

 三十



「港からほど近い場所に目に付かぬ小道がある。そこを行けば御屋形様おやかたさまの屋敷が見えるだろう。娘たちの出航は……明後日未明だ。だが、一か所に集められているわけではないし、俺も他の居場所は知らない。……ま、待ってくれ! 本当に知らないんだ! 御屋形様おやかたさま思慮深しりょぶかいお方で……慎重なのだ……さらい役の俺たちにはほとんど何も教えてくださらない。……本当なんだ、信じてくれ! ……何? 切腹と斬首……? おい待て、話が違うではないか! ……誰も殺さないなんて言ってない、だと? ふ、ふざけるな! この幕府の犬め! ………………はっ、う、薄汚い野犬のような貴様らが、我が物顔で刀を差して武士の真似事をしているなんぞ、虫唾が走るわ! 新選組の頭もどうせ大した人間ではないのだろ


 総司が刀身を返して刀を振り下ろした。

 切っ先が煌めき、男の武骨な首筋を捉える。

「うっ」と鈍い唸り声を上げた五郎太は白目をむいてそのまま昏睡した。

「……心配しなくても峰打ちだよ」

 総司は笑顔で言った心算なのだろうが、笑顔どころか口元が変に歪んでいるだけであった。

 新選組が罵倒されたことに怒っているのだろうか。

 それとも、新選組局長の、近藤に対する侮蔑を聞いたからか。

 もはや総司本人にすら分からなかった。



 三十一



「やっちまったな、兄ちゃん」

 総司は由吉の苦笑した顔と目が合った。

やっこさんが寝ちまった以上、情報はもう聞き出せねぇ。どうやら嬢ちゃんたちを乗せた船は明後日の朝に出航しちまうみてぇだが……どうするんだい?」

「……私たちの情報はそれだけでも充分です。そろそろ彼が戻ってくる頃なので」

「……彼?」

 その時、出入口を開ける音が勝太の耳に届いた。

「総司兄ちゃんたち、もしかしたら帰ってきたみたいだよ」

 勝太の言葉に各々が顔を上げる。

「帰ってきた? お前さんなんで分かるんだい」

「え? だって玄関の戸の音が聞こえたじゃないか」

 廊下を擦る一人分の足音が少しずつ近づき、物置部屋よりも離れた場所で止まる。

 どうやら勝太たちの居場所が分からないらしい。

「おいらちょっと見てくる」

 閉まりの悪い引き戸を持ち上げて、勝太はいそいそと物置を出た。




 三十二



 物置は勝太たちが案内された部屋の廊下をそのまま突っ切った突き当たりにある。宿の使用人でもあまり使われない場所らしく、薄暗い廊下をちょっと歩いた先に宿の賑やかさが別世界のように見えた。

 勝太の勘と耳が正しければ、足音はちょうど部屋の前で止まっていた。


 ……が、本当に目当ての人物なのだろうか?


 ばくばくと心臓がうるさい。

 勝太は頼るように小刀を握りしめ、

(もしさっきの奴だったとしても、おいらがけちょんけちょんにしてやるっ)

 と、さっきの騒動を思い出しながら先をじっと見据えた。

 五郎太を縛ったのは総司だが、倒したのは勝太である。道中の試合三昧から流れるように実戦を経験した勝太の身体はだいぶ限界に来ており、実を言えば深夜という時間帯も相まって今すぐにでも布団に潜りたい一心だった。が、それ以上になんだか胸が躍っていて、このまま潜ったところで寝付けないような気もしていた。

(姉ちゃんを見つける。それからうちに帰って腰抜け父ちゃんを一発殴る。それからおいらは……新選組に入る! 見習いなんかじゃなくて、ちゃんとした、新選組の隊士に!) 

 決意新たに前方を見据えて悠々と歩く。もう何があってもだ。

 しばらくすると幾人かの客に紛れて、ぽつんと立ち竦んでいる男を見つけた。

 勝太たちの部屋の隣は宴会でもしているようで、やかましいくらいの笑い声が響いている。この調子だと玄関先まで聞こえているに違いない。

 小豆色の着流しに、前掛けをしている。伸び切った髪は無造作に結われていて、一目で客ではないことが分かった。さっきの男でもない。

 けれど、勝太は男を追って出て行った店子の顔を覚えていなかった。

(しまった。総司兄ちゃんも連れてこなきゃわかんないや)

 どうしたものかと頬を膨らませてみるも妙案は浮かんでこない。

 諦めて総司を呼んでこようかと溜息を吐いた時、向こうがこちらに気づいた。

 知り合いでも見つけたかのように手を振られ、次いで

「やァ、勝太」

と、名前を呼ばれる。

 聞き覚えの無い声と、見覚えの無い顔である。

「………………兄ちゃん………………誰だい」

 勝太は一歩、後退あとずさりした。余所者には気を付けろ、知らぬ奴には疑ってかかれと、いつもは呑気な父ちゃんが珍しく真面目な顔で言っていたのを思い出したのだ。

 男はそんな警戒心むき出しの勝太を邪険にするでもなく、むしろ感心したように顔に影を落として笑った。

 どことなく土方に似ている気がする。

「君の師は、余程の者とお見受けした。小僧にしては疑い深い眼をしている……突然声をかけてすまなかった、考えれば俺が一方的に君を知っていただけだからな。


君がいるということは沖田くんも近くにいるのだろう。監察方かんさつがた山崎丞やまさきすすむだと伝えてはくれないだろうか?」




 三十三



 気絶した五郎太を物置に放り、一同はようやく部屋に戻って一息を吐いた。

 事を大きくすれば他に潜伏しているかもしれない犯人たちに勘づかれる可能性があるからと、宿屋の主人には平常通りで良いと伝えてある。

 そういえば夕餉の途中だったと食べかけの膳を目の前に座り、取り換えて貰った後、当然の様に居座っている「山崎」と何か知っていたような総司が残りの二人を尻目に話し込み始めた。

 山崎という男、どうやら新選組の隊士らしい。

「隊務中に失踪した隊士をしょすべく後を追っていたところ脱走ではないことが判明し、副長の命を受けてこの宿場で潜伏していた最中さなか、運良く沖田くんが改めに来たという次第だ。正直君が残ると言い出した時は救われた心地がしたよ」

「運が良いのか悪いのか……。結局目的は同じってことですね。まったく土方さんはひどい人だ……山崎さんも知ってたんなら教えてくださいよ」

「ははは、すまぬ。俺もついこの間までは連絡係つなぎだったしな」

「……で、戻ってきたのはその、山崎の旦那だけか? 女が連れて行かれただろう」

 二人の間を縫うように由吉が顔を出した。ややあって「薬売りだ」と思い出したように付け加える。

 山崎は嫌な顔ひとつせず、にこやかに笑った後、「知っているよ、二日置きにここら辺を回っていただろう」と聞く人が聞けば悪寒が走るようなことを言ってのけた。

「悪いが店の女にはそのまま人質になってもらった」

「あらひどい」総司が言う。

「女も同意の上だ。彼奴、女にしておくのは惜しいほど中々肝っ玉の据わった者であったぞ。お陰で正確な場所を掴めた。ついでに明日には俺の仲間が助けに向かうからと伝えておいたから、確実に向かえよ」

「なんて勝手な」また総司が呟いた。

「その、掴めた正確な場所ってのは何処なんだ?」

 尋ねたのは由吉だ。

「だんだらの兄ちゃんが潰しちまった彼奴の言い分じゃ、いくつか散らばってんだろ? まさか全部分かったってのかい?」

「……そのまさかだが」

 山崎が方頬だけを釣り上げるようにニヤリと笑った。

 不敵な笑みに心強さを感じる。

 そんな山崎の様子を見た総司が、何故か得意げに胸を張って、

「うちの監察方は有能だからなぁ〜」

と笑って言ったのだった。




 *



「そういや小僧は……」

「居るよ、居るけど座布団に頭突っ込んで事切れてます」

「流石の小童もとうとう限界が来たか。沖田くんの叩きすぎではないか? 勝太の指南役が君だと聞いたときは彼に同情してしまったよ」

「そんな〜言いがかりですよ〜。むしろ今日は薬屋さんのせいだと思いますけどね」

「なははは、悪かったって。あ〜、俺も眠くなっちまった」

「ちょっと、大事な話はこれからなんですから起きててください。一回居眠りするごとに指の爪剥いでいきますからね、爪の次は指落としますよ」

「おお、こわ」

「ははは、副長の指導がよく身に付いているようだ……さて、先程の議論に話を戻すが…………」

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