第8話 にせもの
二十八
案内された道を遡り、勝太と総司は悲鳴が聞こえた場所まで向かった。
わらわらとごった返す雑踏の間を二人は器用に潜り抜け、女を無理矢理連れ出そうとする二人の男を視界に捉えた。
「た、助けてくださいっ」
目でそう叫ぶ女はあの時薬師が声を掛けた女中だった。今は口に猿轡を掛けられている。
男の一人は臙脂色の着流しに薄い黒色の羽織姿、そしてもう一人は新緑の袴に──見慣れた浅葱色の羽織。
隊士はもう京へ経ったはずだと総司が訝しんでいると、隣の勝太が男達に向かって何処かで拾ったらしい徳利を投げ付けた。
浅葱色の男に当たった徳利が反動で床に叩き付けられて見事に割れる。幸か不幸か、中身は空の様だった。
「やいやい其処の奴!」
やけに威勢のいい勝太が男の前に仁王立ちする。慌てたように浅葱色が振り返り、臙脂色に女を捨て渡して言った。
「早く行けっ」
臙脂色がコクリと頷き、女を連れていく。
「あっ!」
勝太は慌てて男の後を追おうと踏み出した。が、総司に肩を掴まれて制される。勢い余った勝太の頭が大きく頷いた。
どういうことだい、と文句を付けるために口を開けた瞬間、勝太と総司、それから浅葱色の男の横をすり抜けて店子が一人、駆けて行った。
訳あり顔の総司が「大丈夫さ」と穏やかに笑う。
後には困惑した顔の浅葱色の男だけが残った。
総司が大丈夫だと言うのならきっとそうなのだろう。
そう思って今度こそ目の前の男を仰ぎ見、叫んだ。
「やいやいやい! おいらの姉ちゃんを連れてったのはお前だな!」
「…………異なことを」
無駄に毅然とした浅葱色が苦笑する。
傍の総司が獲物の柄に手をやったのが見えて、勝太も真似して抜刀の構えをとった。
それでも男は楽に構えている。何か策があるのだろう。
勝太は構わず、もう一度大声でまくし立てた。
「おいらはお前が姉ちゃんを連れてったのを見たんだ! 新選組みたいな羽織着やがって!」
すると突然、男が顔に手を当ててわざとらしく忍び笑いを始めた。やけに癪に障る男である。
しばらくして長く浅い溜息を着いたあと、可笑しそうに笑って言った。
「……みたいな、などではない。我々は正真正銘『新選組』である。先程の女は攘夷過激派の魁となる長州へ肩入れした罪があり、我々新撰組が捕縛の命を受けて馳せ参じた次第だ。これ以上楯突くと言うのなら……其処の男共々切り捨てるぞ」
今度は総司が吹いた。誤魔化すように咳払いをして「失礼」と意味のよくわからない単語を吐いてみる。
勝太も総司も、この男が新選組でないことくらい一目見て分かっていた。総司は新選組の幹部だし、勝太も屯所に出入りしていたので在中していた者の顔は覚えている。
勝太と総司と対峙するこの偽隊士は、人員を把握しないまま騙っているようだ。仮に新参の隊士だったとしても、一番隊組長を目の前にしてその口の利き方は無いだろう。
総司はそれが可笑しくて仕方ないらしい。
「へえ、新選組か」
総司が驚いてみせる。
「将軍上洛に合わせて新撰組も京へ戻ったと聞いていたんですが」
「……上様から特別にお達しがあったのだ」
「へえ、京からまた下ってきたんですか? わざわざ?」
「き、貴様さっきから聞いていれば……我らを愚弄する心算か! 命が惜しくば早急に立ち去れ!」
もう限界だと言わんばかりに総司がまたどっと吹き出した。腹を押さえ笑い転げながら、カチリと鍔を押し上げる。
その様を見た男が声を上げた。
「無礼に値するぞ! 死にたいのか!」
「はは……は〜笑った。帰ったら土方さんに報告しなきゃなぁ〜」
そうして流れるように真剣を抜いた。
刀身が煌めき、驚きと恐怖に満ちた男の顔が反射する。
「貴様、一体──」
「芝居を打つ前に貴方もさっさと逃げれば良かったのに。まあ、まさか新選組の一番隊組長と此処で鉢合わせするなんて普通誰も思いませんよね。
何せ、今頃は京に居るはずなんですから」
「────くそ!」
逃げられないと悟った男が刀を抜いた。
名の無い道場で身に付けたらしい付け焼き刃の構えから、刀を振り上げて向かってくる。
狙うは総司──ではなく、勝太。
「うおおおおおお!!」
勝太は若干躊躇しながら助ける気のない総司を察し、頭上の切っ先を見上げて腰を落とした。試合よりも容易い、と直感で思う。
振り下ろされた真剣をいつの間にか抜いた小刀で受ける。
立て続けの試合で疲れたからか、妙に頭が冴えていた。しかしおかげで身体に叩き込まれていた試合の動きが咄嗟に機転を利かせてくれたらしい。
力は圧倒的に男の方が強かった。
が、勝太は大人との戦い方を既に心得ている。
短い刀身で男の刃を受け流す。まさか小僧が刀を使えるとは思わなんだ男が驚いた顔で慣れない背の低い相手に大きく体制を崩したところを、勝太が足元を払った。
大きな音を立てて男が前のめりに倒れる。手を離れた刀を掴む為に延ばした腕は総司の足に阻まれた。
「さぁて、話をしてもらいましょうか」
総司の愛刀が男の首筋を捉えていた。
二十九
男は
驚くことに、男の家系は代々神事を司る仕事をしているそうだ。
しかし重宝されるのは跡継ぎとなる長男と、もしものための予備である次男だけ。末っ子の五郎太など目もくれない有様だったという。
男はついに耐えかねて家を飛び出した。
飛び出したまでは良いものの、手元にあるのはその日暮らしの小銭だけ。そうして食うに困っているところを今の「仕事」に誘われたらしい。
初めは異国船との物々交換だった。いつの日か五郎太が出した京土産の人形を、思いの外先方は痛く気に入り、次第に人形では飽き足らず日ノ本の女そのものを要求しだした。
勿論、対価はそれ相応に高くなっていく。
不純物の一切無い真水を掌で救ったまま形を保っているような透明の
五郎太が新選組の名を知ったのは、彼らが上洛して間もなく筆頭局長だった
その芹沢が酒乱を起こした部屋の隣に偶然居座っていたらしい。大変な騒ぎだったと総司も聞き及んでいる。
五郎太は「しめた」と思った。
芹沢を殺して羽織を奪おうかと思ったがそんな度胸は無く、この目にしかと焼き付けてから馴染みの染物屋で似たようなものを作らせた。
仕上がったものは、中々の出来だった。
それから五郎太の仕事は益々やりやすくなった。
知る者が見れば向こうが勝手に解釈し、知らなければ騙るのみ。
勝太は
知っていたからこそ新選組を黒と確信してしまったのだ。そうでなければ夜中の襲撃は有り得ない。
「そんな話どうでも良いから、姉ちゃんの居場所を教えてくれよ!」
柱に縄で括り付けられている五郎太に勝太が憤った。
勝太に転がされたことが余程威厳を傷つけたのか、悔しそうに顔を歪めている。
「此処が屯所だったら、逆さ吊りにして足の裏に五本釘を刺してその傷口に蝋燭を垂らしたり、指を一本一本切り落としたり、焼石を押し付けたりするんですけど……あ、指は此処でも落とせますね」
にこやかに言う総司の笑顔が今この時ばかりは勝太にさえ恐ろしく思えた。
「だんだらの兄ちゃんならうっかり殺しちまいそうだな」
更に重なる薬師の言葉に五郎太が「ヒッ」と悲鳴を上げた。
宿屋の最奥にある小さな物置で、勝太と総司、それから様子見に来た薬師の由吉と宿屋の主人が捕らえた五郎太を見下ろしている。
総司は別に大勢の前で見世物のようにしてやって良いと言ったのだが、事を大きくしたくない主人の「ご勘弁を」と一見慈悲にも見える言葉で今に至った。勝太は総司のことを今の今まで温厚で少々手厳しい青年だとばかり思っていたが、さすがは新選組、罪人に対する躊躇など微塵も感じられないほど残酷冷淡であった。此処が京ならば、五郎太はもう既に息絶えていたかもしれない。
四肢を切り落とすだの火炙りにするだの平然と言ってのける総司に恐れを為した五郎太は大慌てで白状したのだった。
つくづく肝の座っていない軟弱な男である。
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