第7話 みつくに

 二十五



 必然と出掛ける前よりも増えた自分の傷に半笑いした頃、聞き飽きた言葉が聞こえた。

「着いたぞ」

 勝太と総司の前を行く薬師が振り返る。疲労困憊の二人は「勘弁してくれ」と言わんばかりに死人のような目を向けた。

 道場で手合わせをし、薬を売りつけ、また歩き、道場の門を叩く。

 暫く邪魔をしたかと思えば今度は目先の民家に立ち寄り、漸くの休息だ、お茶でも出るかと胸を撫で下ろすも束の間、実は奥に道場が併設してあったりと二人にとっては散々な道中だ。

 初めは張り切って先頭を勇み歩いていた勝太も次第に沖田の隣を並ぶようになり、気が付けば手荷物が無くなっていた。

 盗賊に遭ったわけではない。ただ薬師が代わりに担いでくれているだけである。

 道半ばで気づいたことだが、薬師の「着いたぞ」は決して目的地を指しているのではなく、二人にとっては次の試合の合図にすぎなかった。

「……着いたって、もう夜ですよ」

 堪り兼ねた総司が珍しく溜息を吐く。

「なんで薬師のあんちゃんはそんなに元気なのさ」

 頬の次は額に掠り傷を増やした勝太も文句を垂れた。

 此処に来て不平不満が絶えない二人を薬師が笑い飛ばす。

「あっはっはっは! いやぁ悪ぃなお二人さん。坊主も兄ちゃんも手練れだからつい調子に乗って何件も周っちまった」

「私たちは良いように使われただけですか」

「そんな言い方されると堪えるな。ま、おかげで売りは上々だ。……つーわけで、今日はゆっくり休んでくれ」

 薬師の言葉に二人は目を見張った。

 てっきりまだ何戦かすると思い込んでいたので、目の前の建物が宿屋だとようやく気が付いたのだ。

 知り合いがやってるようなモンだ、と言いながら薬師が先行して入っていく。

「私たちも行こうか」

 勝太に差し伸べられた総司の手は、今日の試合のおかげで肉刺まめだらけだった。




 二十六



 やけに赤い柱が目についた。

 客人用に広い玄関の先には広間があり、広間を軸にして廊下が二手に別れている。目の前に伸びる廊下の奥は階段に繋がっており、其処から二階に上がれるらしい。

 右手側の廊下から「がははは!」と無粋な男たちの笑い声が聞こえた。

 勝太は何気なく天井を見上げてぎょっとした。

 屋根を支えている木材まで赤く塗られていたからである。

「気になるかい、坊主」

 薬師が訳あり顔で尋ねた。

「厄除けなんだとさ。ほら、お稲荷さんの社は赤いだろう? 其れと同じさ」

「……へぇ。おいらちょっと怖いや」

「なぁに、坊主の気合があれば妖怪でも何でも逃げ帰るだろう……嗚呼、ちょっと其処の方、薬屋の由吉が来たと旦那に伝えてくれねぇか」

 薬師に呼び止められた宿の者らしき女が「へぇ」と頭を下げて奥の廊下を駆けて行く。「旦那様、旦那様」と呼びかける声が聞こえた。

「旦那様、薬屋の由吉と云う者がお出でですが」

「なに! 由吉殿だと!」

 暫くしてからまた長い廊下の奥からドタドタと忙しない足音が近づいてきた。

 どうやら宿の主人らしい。

 ぱっちりと大きな瞳が斜め下に垂れ、でっぷりと腹の出た狸のような男だった。

 沖田が勝太の後ろで笑いを堪えるように溜息を零す。

「やぁやぁよくお出でくださいました!」

 主人はまるで役人か大名にでも会ったかのように三人を平伏して出迎えた。額が床に付くほど深々と下げる様はまるで武家に仕える爺のようである。

 肩の荷を下ろしながら薬師が応える。

「――――――ああもう……今夜は連れがいる。何時もの部屋で良いから案内あないしてくれるか」

 薬師の口振りもまた武士のようで。

「成程ね」

 今まで黙っていた総司が唐突に呟いた。

「薬屋のくせに腕が達者すぎると思ってましたが、そういうことですか」

「隠してたわけじゃねぇんだがな」

 薬師が苦笑いする。

 神妙な面持ちのまま頭を上げる主人と、困ったように微笑む薬師。それから「面白いもの見ぃつけた!」と言わんばかりの総司のいたずらな目。

「えっ、えっ、どういうことだい?」

 どうやら事態が呑み込めていないのは勝太だけのようである。

「ま、話は部屋ででも。空いてるか?」

「も、勿論でございます!」

 ささ、どうぞどうぞと訳ありな主人と薬師を先頭に一行は長い廊下を真っ直ぐ歩いていった。




 二十七



 部屋の四つ角を蝋燭が照らす。

 それほど広くはない六畳の座敷に三人は各々で座り、女中が夕餉を持って来る間、薬師の話で暇を潰した。

 暇どころか肝が潰れるような話だったが。

「さっきの由吉って名は俺の幼名でな……俺の名は高良光圀たからみつくにという。俺は元々武家の出だ」

 薬師の髪飾りが蝋燭の灯を反射して赤々と燃えている。

「俺の家は代々旗本を務めていてな、父上は将軍様と謁見したと大層自慢しておられたよ」

「へぇ、そりゃすごい」

「すごいのはそこまでだ。俺も餓鬼の頃は乗馬の稽古だ剣術の稽古だと父上にこっぴどくやられていたんだが、ある時突然皆揃って家を追い出された。何があったのかは覚えちゃいないが、父上があらぬ罪を着せられてな……ようするにまあ、体のいい厄介払いをされちまったんだよ。挙句当然のように没落して、皆は散り散りになってしまった」

「それで今は薬屋になっていると」

「ま、そんなとこだ。最近じゃ良くある話だぜ。坊主の前で言いたかないが今の幕府は衰退の一途を辿ってる。近いうちにひっくり返されるかもな」

「……幕府がひっくり返る?」

「幕府自体が無くなっちまうかもって話だよ」

「そりゃないでしょう」

 総司が一笑した。

 要するに「倒幕とうばく」だ。

 確かに異国が入ってきてから幕府の対応はあやふやだ。不満に思っている者は大勢いる。

 が、徳川幕府が始まって早二百五十年。歴史的にも見てここまで基盤が強大で長く繁栄している幕府が倒れるなど想像に難い話である。

「どうだかな」

 薬師は自嘲気味に笑った。それから声を静めて総司に向き合う。

「そういやだんだらの兄ちゃんは新選組なんだろ? ……どうなんだよ、長州の奴らは」

「どうにもこうにも……。難しい話は私には解りませんが、私の目から見ても馬鹿だなぁと思う人はたくさん見掛けました。俺たちは国に尽くす報国忠心の武士だ、だからタダで呑ませろなんてやからがいましたよ。言ってることとやってることが滅茶苦茶だ」

「あはははは! 流石の俺でも馬鹿に付ける薬はねぇな!」

 大人二人が声を上げて笑う。

 そうこうしているうちに徐に障子が開き、夕餉が運ばれてきた。

 其々で膳を取り、厳かに箸を進めながらまた薬師が話す。

「正直俺は坊主が羨ましいよ」

 突然の名指しに手元の魚を取り損ねた。

「お、おいらが?」

 おいらにとっては没落したとはいえ武士らしい生活をして武士のように腕が立つあんちゃんが羨ましい。

 そう思っていた言葉は一時飲み込むことにした。

 薬師が箸を止める。

「自分の意思を持って武士になりてぇって思えるお前さんらが、俺には眩しくて仕方ない。確かに食うには左程困らないが」

「……薬屋さんは武士が嫌いだったんですか」

「嫌いとまでは言っちゃいねぇさ。ただ、思うところあり、ってくらいだな。……上の連中が坊主や新選組みてぇだったら良かったのに。権力を持てば人間は変わっちまう」

 昔を思い出しているのか、今を憂いているのか。長い睫毛を伏せた薬師がほう、とやり切れないような溜息を吐いた。

 それから吹っ切れたように勢いよく顔を上げる。

「まあなんだ! 起っちまったもんはしょうねぇし、今の俺はただの薬売りに違いねぇ。さて、美味いもん食ってさっさと寝ようぜ」


 そう高らかに宣言したその時だった。


 勝太の耳が何かを捉えた。

「……兄ちゃんたち」

「どうした?」

「………………声が」

 傍に置いていた小刀を腰に差し直して、声を辿ろうとゆっくり立ち上がると、隣の総司も重い腰を上げた。

 疑いつつ障子を開けると、今度ははっきり女の声が聞こえた。


「助けてぇぇぇ!」


「……総司兄ちゃん!」

「これって隊務のうちに入るのかなぁ……! 薬屋さんは此処で待っていてください、私と勝太で見てきます!」


 総司も自分の愛刀を一振りだけ構えて、先を行く勝太を追いながら慣れたように廊下を駆けた。

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