第6話 おしうり

 二十二



 砂利道を歩く音が永遠と繰り返される。

 慣れぬ道と人に好奇心で目を輝かせる勝太。と、その隣を歩く薬師の二人を総司が数歩下がってのんびりと付いて行く。

 薬師は余程行き来をしているらしい。通りを行く人らに軽く挨拶をしながら、時には此方が話しかけられながら、目的地へと足を進めた。

「ちなみに薬屋さん」

 総司は何気なく声を張った。

「兵庫まではどのくらいかかるんですかね」

「ああ、馬がありゃ半刻いちじかんぐらいで着くんだが、歩いていくにゃあ……」

 薬師は総司に背を向けたまま応えた。

「半日ってとこか」

「半日かぁ」

「なんだい、新選組ともあろう奴がもう根を上げたか」

「あはは、ちょっと気になっただけですよ」

 実際は四刻はちじかんかからない程度だ。京から下阪する距離とさほど変わらない。

 丸三日をかけて江戸から上洛をした経験のある総司には大した問題ではなかった。

 ちなみに、国の中心である京都へ向かうことを上洛じょうらく、また京から大阪へ向かうことを下阪げさかという。


 これからまた数年も後になる話だが、日本の首都が京都から東京(江戸)へ代わったが為に「上洛」の言葉は廃れ、代わりに「上京じょうきょう」の言葉が流行するようになった。駅の東京行きが上りで、残りは皆下りであるのと同様である。


 それはさておき。


 事実、距離的に大した問題は無かった。

 総司は腰に差している打刀を見やった。刀の持ち手である「つか」と呼ばれる部分に手を置き、小さく溜息を吐く。

 前を行く薬師の背には商売道具である大きな棚と、棚と薬師の背に挟まれるように木刀が二振ふたふり挟まっていた。


 ──鬼の副長といい、喧嘩屋気質のある勝太といい、目の前の薬師といい、自分はどうしてこうも似たような人間と関わってしまうのだろう。


 薬師と肩を並べて歩く勝太の嬉々とした顔が、総司の目には太陽のように眩しく見えて思わず視線を空に移す。

 昨日の曇天と比べれば多少青空が見えていた。

 興奮した勝太の声が聞こえる。

「おいら、薬師のあんちゃんがあんなに強かったなんて知らなかったよ!」

「そりゃあ言ってなかったからな。それにしても、お前さんもやるじゃねぇか。大の大人を打ち負かしたんだからな……俺は肝が冷えたぜ」

「へへん! おいらはもう武士だからね!」

 ふはっ、と総司の口から乾いた笑いが零れた。

 前を行く二人が同時に振り向く。

「……いやぁ、稽古した甲斐がありました。初めは木刀もまともに振るえなかったのに」

「ちがっ……くはないけど! でも総司兄ちゃんたちが使ってる木刀っておいらの道場にあったやつよりもすっごく重かったんだぞ! やっと振り回せるようになったけど!」

「そりゃそうだよ。私たちのは真剣よりも重いんだから。おかげで強くなれたでしょう」

 かく言う総司も、試衛館時代から使っていた木刀が他よりも違うことに気づいたのは新選組になってからである。総司にとっては他よりも重くて太いらしい新選組の木刀こそが当たり前だった。

「へぇ! 新選組ってのは変わった稽古をしてるんだな」

 薬師が驚いたように感嘆を零す。

「何はともあれ、何事も一番大事なのは気組きぐみですよ」

 総司も笑顔で返した。




 二十三



 朝方に薬屋を訪ね、そのまま兵庫へ向かうのかと思えば実際はそうではなかった。「手伝ってもらおうか」とおもむろに木刀を取り出した薬師を見て、初めは道中の用心棒役かと思ったが知らぬ道場の門を潜った所でようやく気づく。

 勝太も総司も、気がつけば道場で試合をやる羽目になっていた。

 一件目に向かった先は勝太が通う道場と同じような、農民が護身用に刀の使い方を覚えるような道場だった。


 薬師の手伝いとして荷の整理をしていた時、勝太はふと声を掛けられた。

「お前、良い刀差してるじゃん。俺と試合して俺が勝ったらそいつくれよ」

 勝太よりは横に図体のでかい少年だった。歳は大差ないように見える。

 両の目の間隔がやけに広く、一度見ればしばらく忘れられそうにない印象的な顔をしていた。

「いいか、約束だからな」

 少々、かんさわる言葉に断りの文句を入れようと口を開いた途端、あろう事か傍の総司が面白がって返事をしたのだ。

「へー、いいじゃん。やりなよ」

 新選組屯所襲撃事件の夜に突き飛ばされて以来、勝太が総司に対して二度目の殺意を覚えた瞬間だった。

 やりなよ、といけしゃあしゃあと言った総司の顔を思い切り睨む。

 この小刀は確かに家の蔵から引っ張り出してきたものだ。当然、誰も使っていなかった。

 だからといって賭けの代償に出来るほど安物でもない。

「深く考えなくても、勝てば良いんだよ。負けるような稽古は付けてないはずだけど?」

 総司が自分を試しているんだと知った時は、もう既に少年を打ち負かした後だった。

 悔しがる少年を傍目にしていると周りの大人たちがどっと押し寄せる。

「坊主上手いな! 何処の出身だ?」

「道場主はさぞお強い方だとお見受けした! 因みに何の流派なんだ」

 大人たちが興味本意で勝太の肩を叩く中、一番驚いていたのは勝太自身だった。

 喧嘩には勝てるが試合に負けると話したのはほんの数日前である。

(……そのおいらが、勝った)

 困惑したまま助けを求めるように視線を泳がすと、暢気のんきに猫とたわむれている総司と目が合う。それから総司が自慢げに笑った。

 ──言ったでしょう。

 そう言われているようだった。

薬棚から小さな包を取り出した薬師が傍にいる男に声をかける。

「──じゃ、さっきの少年にも渡しといてくれよ、こいつぁ打ち身によく効くんだ」

「全くあんたは本当に商売上手だな! あいよ、任された」

 そうして薬師の手元にいくらかの代金が乗せられた。




 二十四



「押し売りですね」

「んだぁ、なんか文句あんのか」

 既に二つの道場で売り捌いてきた薬師がニヤリと笑う。

「しかし、まさか坊主がこんなに上手うわてだったとは知らなかった。初めはだんだらのにいちゃんだけを頼りにする心算つもりだったが」

「なんですかそれ」

 悪態を吐く総司も何処か嬉しそうにしている。

 勝太はそんな二人の背を眺めつつ、人知巡察への同行許可が出た際に土方が言っていた「十回じっかいも総司とやり合えば充分だ」との言葉を反芻はんすうしていた。


 ──確かに総司の稽古は大変だった。


 今でも傷は癒えないし、今朝方の稽古で新しくできた痣もある。

 別れ際に近藤からひどく心配をされたが当の勝太は誇らしげに胸を張って、

「大丈夫だよ、おいら、武士になるんだから」

 と、言ってみせたのだった。

 冬の北風に撫でられるとひとたまりもないくらい痛む擦り傷だらけの腕をさすり、水仕事で赤切れが増えた指を眺める。

 正直「武士になる」だなんて「なりたい」と同義語で使っていた。


 が。


 ──もしかしたら……と。


 ──もしかしたら、本当に。


 新選組にいれば、おいらも強い武士になれる。


「ねぇ、総司兄ちゃん」

 気がつけば前にいた総司を呼び止めていた。隣の薬師も足を止める。

 ばくばくと脈打つ心の臓の辺りの着物を襟をぎゅっと握り、勝太はしっかり総司と目を合わせて訊いた。

「新選組って、おいらも入れる? 見習いとかじゃなくてさ。……強くなりたいんだ」

 総司が目を丸くする。

 一時の沈黙に「やっぱり駄目か」と視線を落としたが、その後、相変わらず暢気で明るい総司の声が降ってきた。

「新選組の入隊条件は、浪士隊ろうしたいとほぼほぼ変わらないよ」

「……えっ、と」

 勝太は首を傾げた。

 総司のにこやかな声が続ける。


「『腕に覚えがある者ならば、身分を問わず、罪人だろうが農民だろうが構わない』。流石さすがに罪人は藩に突き出すけどね。


帰ったら新選組一番隊組長の沖田総司が直々に局長に推薦してあげよう」


 総司の手が勝太の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 永倉よりも小さく、土方よりも細い手だったが、勝太は今まで一番優しい手だと思った。

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