第37話 沙羅双樹 《シンボルツリー》
梅雨の間の晴れた日、沙羅は樹の前で手を合わせる。黄緑色の艶のある葉と五枚の白い花びらに優しい風が吹く。
「お母さん、お兄ちゃん、今日まで見守ってくれてありがとう。今日は
沙羅は小声でお祈りをする。沙羅、違うよ!と隣で声がして目を開ける。抱っこされている叶夢が沙羅の顔を見て微笑んだ。
「……
半年前、弘志から全てを聞かされた拓海は迷い、悩み、考えて……沙羅の元を訪れプロポーズした。沙羅は拓海に抱きしめられて、頷く。臨月に入ったばかりの頃、拓海の親の承諾を得て入籍した。
子供の名前は拓海が考えた。この子の夢が叶いますようにという願いを込めて付けた名前だ。
「信仰とか、神とかそんな難しい事じゃないんだ。沙羅のお母さんは、沙羅に幸せになって欲しいって思っただろう。沙羅はお母さんの願いが叶って欲しいと思った。信仰って愛する人の幸せを望むことなんじゃないかな」
拓海の屈託のない笑顔に癒される。新興宗教でがんじがらめにされた窮屈な心がとかれていく。沙羅は一番居心地のいい場所を見つけた。
「……沙羅、拓海君、お参りは済んだかな」
弘志と真美が息を切らせて近づく。見晴らしのいい霊園は駐車場から少し歩いた所にある。
弘志は双樹と久美子の為に樹木葬にしてくれた。
シンボルツリーは久美子が愛した夏椿。六月に白い花を咲かせる夏椿だ。
「やっぱり弘志さんの言った通りね。今日開花したのね。嬉しいわ」
真美が少し眩しそうに夏椿を見上げた。
「この花は一日花なの。今日美しく咲いたら明日は潔く散るの。久美子さんの生き方のようね。……久美子さん、今ごろ双樹君と仲良くおしゃべりしているかしら」
真美の目に涙が滲む。沙羅は清らかな心の真美に何度も励まされてきたのだと感謝した。
真美は弘志と、沙羅は拓海と手を繋ぎ、白い花を愛でる。
「叶夢ちゃん、きれいなお花でしょ、あなたのおばあちゃんが好きだった花よ、あっ、おばあちゃんなんて言ったら久美子さんに怒られちゃうわ」
「……ハハ、そうかもな。けど、真美だってこの子のおばあちゃんなんだぞ!」
真美は満面の笑みで弘志に寄り添い、沙羅ちゃん家族を見守って下さいねとお願いした。
「沙羅ちゃん、久しぶり。私たちも久美子さんと双樹君に会いたくて……」
後ろから聞こえた声の主は北村だった。雅人の両親もいる。彼らは教団の不正行為や隠蔽に傷つき失望し、断絶したのだという。そして久美子が被疑者死亡で書類送検された事を知り弘志に連絡をし……久美子に会える場所を聞いた。
「久美子さん、沙羅ちゃんの赤ちゃんとても可愛いわ。あなたも抱きたかったでしょうね。久美子さん、この一年、本当に苦しかったでしょう。教団に残るか断絶するか、とても迷ったでしょう。もう集いやご奉仕の束縛もないのよ。ゆっくり休んでね。久美子さん、あなただけが私の理解者でした、ありがとう」
北村は久美子を疑った事を詫び、感謝の言葉を述べた。
「……双樹君、君のおかげで目が覚めたよ!僕たちは親として、いや、人間として間違っていた。雅人をもう一人にしないと約束します。私たちの愛する息子だから。双樹君もお母さんと、ずっと一緒だね。ありがとう」
雅人の両親も自分たちの過ちを認めて、双樹に労いの言葉をかける。また命日には伺いますと深く頭を下げ駐車場へと向かった。
「……僕には難しい事は分からないけど、久美子さんも双樹さんもいい人だったんだ。沙羅、君のお母さんは愛のある人だったんだよ、宗教のせいで子供たちへの愛がちょっと間違った方向に向いてしまったけど、本当の愛を取り戻したんだ!」
拓海は叶夢をあやしながら言った。叶夢がキャッキャッと笑う。この人となら安心してこの先をゆっくり歩いていける。
「……私ね、幼い頃、お母さんに抱きしめられておでこにキスされたの。すごく嬉しかったな。私も叶夢にいっぱいキスするんだ」
沙羅の言葉はまだ分からないのに、叶夢は笑う。拓海は僕にもねと沙羅に言う。弘志は照れながら、笑顔で三人を見つめた。幸せになろうな、沙羅。今までたくさん泣いた分、幸せになるんだぞ、沙羅。
明日は散りゆく花、今日を精一杯美しく咲いて生きた証を残す花、沙羅双樹のようにこれからを凛々しく生き抜くんだ。沙羅は誓った。
「お母さん、お兄ちゃん、辛い事があったら、悲しい事があったらまたここに来るね」
沙羅はシンボルツリーの夏椿の幹に触れる。母の声が双樹の声が聞こえた気がする。
――沙羅、泣くな。お兄ちゃんが守ってやる!
─── 沙羅、沙羅ちゃん、いい子ね。沙羅、お母さんの宝物、愛してるよ。
夏椿は母親に愛されていた事を、思い出させてくれる。
完
沙羅双樹 星都ハナス @hanasu-hosito
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます