武蔵野の思い出

沢田和早

武蔵野の思い出

 ずいぶんと辺りが騒がしい。

 無数の小石が岩肌にたたきつけられているような音だ。

 まどろんでいた武蔵野は眠そうに目を開けた。夜明けの空に低く垂れこめた灰色の雲。暴風に揺さぶられる樹木。その葉から振り落とされる大粒のしずく。巨大な嵐に襲われているのだ。


「ああ、オレを目覚めさせたのはこの暴風雨か。いや待てよ。それだけではなさそうだ。腹がモゾモゾする」


 武蔵野は己の腹を見た。天にも届けと言わんばかりにそびえたつ尖塔群。立体交差しながら網の目のようにへばりつく無数の道。光を明滅させながらうごめいている模造品。どれもこれも初めて見るものばかりだ。


「ほう、数百年ほどしか眠っておらぬのにたいしたものだな。これほどの復興を遂げるとは。最近二千年の変わりようときたら目を見張るものがある」


 腹の上の有象無象を眺めながら思い出す。

 まだ武蔵野という名すら持たなかったはるか昔、国造りの二神である那岐なぎ那美なみからこの地を任されたあの日の出来事は今でもはっきりと覚えている。


「なんという壮大さ。これぞまさしく神の御業みわざ!」


 眼前に繰り広げられる光景は驚天動地の連続だった。那岐と那美の二神によって混沌こんとんの大地は次々とその形を成していく。最後にひときわ大きな島が生み出されたとき二神は言った。


「これほどの巨大な島を一人の者に背負わせるのはこくと言うものだ。そこでいくつかに分割して任に当たらせようと思う。そなたには島の中央、東の果てに近いこの地を治めてもらう。よいな」

「はい。仰せのままに」

「うむ。ならば未来永劫の礎としてそなたをかの地に封じよう。今日より武蔵野と名乗るがよい。行け!」


 二神の発した言葉はすぐさま武蔵野を生まれたばかりの島へと運んだ。島に降り立った武蔵野は地に伏した。その体が大きく広がりゆっくりと地中へしみ込んでいく。こうして武蔵野は大地と一体化しこの地を見守ることとなった。


「変わらぬな」


 最初は荒涼とした原野に過ぎなかった。動いているのは天だけで地上の全ては止まっているように思えた。時には遠方の山が火を吹いたり大地が激しく揺れたりもしたが、めったにあることではなかった。

 武蔵野はそのほとんどを眠りながら過ごした。眠っていても天の動きはわかる。昇る太陽を夢の中で数えながら武蔵野の時は過ぎていった。


 やがて樹木が生い茂り、子を産んで育てる動物たちが闊歩かっぽし始めると地上は活気に満ち始めた。

 退屈から解放された武蔵野は毎日腹の上の景色を眺めた。見ているだけで楽しかった。地から生えた草を食べ、子を産み育て死に、その亡骸は地に還って草を養い、その草を子が食べて育つ。そこには調和があった。何世代も繰り返される単調な生の営みを武蔵野はまどろみながら楽しみ続けた。


「彼らは少し変わっているようだな」


 いつの間に現れたのだろう。火を使う動物が現れた。彼らは他の生き物とは違っていた。藪を払い、木を切り倒し、土をこねて器を作り出す。平地には焼畑が作られ、草地には馬が放たれ、雑木林には炭を焼く煙が上がり始めた。彼らの作り出すモノが腹のあちこちに置かれ始めた。


「これはしばらく楽しめそうだ」


 武蔵野はほとんど眠らずにこの生き物を眺め続けた。彼らの営みは実に興味深かった。規則的な自然の変化に比べ彼らのもたらす変化は想像がつかない。思いもしなかった建造物が突然出現し、寒々とした荒野には知らぬ間に作物が実っている。目まぐるしく変化する腹の上の光景は飽きることがない。

 なにより興味を引いたのは彼らが名付けを始めたことだ。南の玉川、北の荒川、遠方に連なる山々や、腹を横切って延びていく街道にも名が付けられた。それらをひとつひとつ覚えることもまた武蔵野の楽しみとなった。


 だがその楽しみは長くは続かなかった。争いが始まったのだ。命は奪われ田畑は荒らされモノは破壊される。それを作り直してまた争う。また破壊される。それは他の獣たちの争いとはまったく違う、あまりにも不毛な繰り返しだった。


「なんと愚かな生き物なのだ」


 武蔵野の楽しさは憂うつへと変わっていった。もう見ていたくない、そう思った。

 やがて争いが収束し武蔵野が権力の中心地となったところで深い眠りに入った。今日までに目を覚ましたのは二度。激しく大地が揺れた時と他国との大戦が勃発した時。いずれの時も腹の上では多くの命が奪われ多くのモノが破壊された。


「それでも彼らが数百年に渡って奪った命と破壊したモノに比べればカワイイものだ」


 武蔵野は再び眠った。そして今日、たいした嵐でもないのに目を覚ました。それが武蔵野には不思議だった。


「何がオレを起こしたのだろう」


 武蔵野は天を見上げた。知らぬ間に嵐は去っていた。見慣れた星空が広がっている。西には沈みかけの満月。目覚めたのは夜明けだったはず。物思いにふけっているうちに一日が過ぎてしまったのだ。


「そうか。今日は彼らが月に移住する最初の日なのだな」


 武蔵野には見えていた。満月の表面には彼らの建造物が作られている。その地を目指して暗黒の空間を進んでいく飛行物。そこに搭乗しているのはこの地に住んでいた彼らに違いなかった。ついに彼らはあの月までも自分たちの住処すみかとしてしまったのだ。


「この地を、武蔵野を捨てるつもりか」


 地に対する彼らの興味はすでに希薄になっている、武蔵野はそう感じた。だがそれは今に始まったことではない。武蔵野の月は古来から多くの関心を引き付けてきた。歌が詠まれ、絵画が描かれ、物語が作られてきた。月は昔から彼らの憧れだったのだ。

 武蔵野はあらためて腹の上を見回した。広大な雑木林は切り倒され、澄んだ流れは濁り、大気は煙り、地表だけでなく地中まで彼らのモノがひしめきあっている。だがそこに息吹は感じられない。命の躍動は微塵も感じらない。もはやここは彼らにとって生きるに値しない地となったのだろう。だからこそ次なる荒野を目指してあの月へ行こうとしているのだ。

 だがそれでも構わないと武蔵野は思った。もともとこの地には何もなかった。動物も樹木もない広大な荒れ地に過ぎなかったのだ。彼らがこの地を荒廃させ見捨てたとしても最初の姿に戻るだけのこと。武蔵野にとってはむしろその荒れ地こそがもっとも慣れ親しんだ光景なのだ。


「それではまたひと眠りするか。次に目覚めた時にはどんな光景が腹の上に広がっているのだろう。おまえたち、せいぜい大暴れしてみるがいい」


 武蔵野は目を閉じる。悠久の歴史がまぶたの裏によみがえる。たとえ何が起ころうと、どんな生き物がはびころうと、日は昇り、星は巡り、生き物は生まれて死ぬ。そのことわりだけは何者も変えられぬのだ、そう思いながら武蔵野は深い眠りに落ちていく。

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