第百十四話 《黒輝のトラペゾヘドロン》

 《黒輝のトラペゾヘドロン》は覚えがある。

 《ロマブルク地下遺跡》の奥深くから出土したとされ、冒険者ギルドで保管されていた宝石状の魔導器であり、軍の手に渡っていた。


 灰色教団にとって重要な魔導器であったらしく、連中は《黒輝のトラペゾヘドロン》を狙って都市ロマブルクを襲撃した。

 その折には、マルティが交渉に応じなかったために大事件へと発展していた。

 どれだけ恐ろしい魔導器なのかは想像も付かないが、マルティとレーゼはその重要性を理解しているようだった。


 身体は限界だが、まだ何かできることがあるかもしれない。

 俺は《饕餮牙とうてつがグルイーター》を握り締める。


「下がっておきな、ディーン君」


 レーゼが大岩の上から飛び降り、マルティと正面から向かい合う。


「でも、魔導器も出さないで、そんな……」


「魔導器なら、今もいっぱい持っているんだけどネ。わかりやすく刃が付いているのよりも、ずっと危険な奴を」


 レーゼは飄々と俺へそう返す。


 ……《亜空の十字架》のような類のものをいくつか有しているのだろうか?

 彼に考えがあるのならば、と俺は身を引いた。

 立場上、協力関係であるし、強大な魔導器使いであることは間違いなかった。


「随分と余裕振っているな、シルヴァスの犬……! 貴様が目前にしているものが何なのか、本当にわかっているのか? 俺には扱えまいと高を括っているなら甘く見られたものだ! これが手に入ったからこそ、俺はシルヴァスの息の掛かった商会を焼き潰す手が取れたのだからな!」


 マルティの手許の《黒輝のトラペゾヘドロン》に黒い光が宿る。


「遠き古に万魔を束ねた、暗き森の無貌の王よ! その力の片鱗を示し、夢界リラール現界イルミスを繋げろ! 《デモルディ》!」


 魔核の悪魔を具現化する造霊魔法トゥルパ……《デモルディ》だ。

 《プチデモルディ》より遥かに魔力消耗が激しいはずだが、引き出せる悪魔の力はその分桁外れだ。


 黒い魔法陣が浮かび上がる。

 その前方に、黒い布に全身が覆われた何者かが姿を現した。

 布からは二本の異様に長い腕と、数多の不気味な触手が覗いていた。

 そして顔があるべき部分には多色の光が怪しげに渦を巻いており、その奥には無限に虚ろな空間が広がっている。


 それが現れた瞬間、場の空気が変わった。

 周囲一帯に淀んだ気が広がったのがわかった。


『無貌の王……! 千年前、輪廻龍ウロボロスについて現界イルミスに降りた悪魔の大将である! そうか、奴が封じられておったのか!』


 ベルゼビュートの言葉に息を呑んだ。

 剣聖ザリオスの終わらせた、《暗黒の時代》に関与していた悪魔ともなれば、灰色教団が躍起になって求めていた理由にも説明が付く。


 レーゼは無貌の王を前に、ただ棒立ちしているままであった。

 本当にどうにかなるのか不安になってきた。


「無貌の王よ、この場を裏返し、この国を夢界リラールの悪魔で覆い尽くせ! お前にはそれだけの力があるはずだ!」


「リ、夢界リラールの悪魔を……!?」


 夢界リラールは、神々が実在した神代に、性質の凶暴な者や、自身の膨大過ぎる力を制御できない者を追放するために創った世界だと言い伝えられている。

 恐らく、夢界リラールの悪魔は、一体一体が最低B級以上になる。

 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーが群れを成して乗り込んでくるようなものだ。

 俺達だけではなくリューズ王国を巻き込んだ大災害になる。


 無貌の王の、顔のあるべき部分に開いた空洞がどんどんと大きく、広がっていく。

 いや、気が付けば、空洞の中に、この世界の景色が浮かんでいた。

 渦を巻いているが、地面や木々が見える。


 そしていつの間にか、俺達の周囲が、怪しげな光に包まれた空間へと変化している。

 遅れて理解する……無貌の王の顔に開いていた虚ろの先の世界と、俺達のいた世界が、置き換えられたのだと。


 周囲に、ぽつりぽつりと悪魔が現れ始める。

 それは不気味な大きな仮面だったり、猿のような頭を三つ持つ道化師だったり、人間に似ているが顔のない、全長三メートルの怪人であったり……ばらばらだ。

 外見から戦い方もさっぱり想像が付かないが、一体一体から、恐ろしい圧を感じる。

 そんな悪魔が、十、二十と存在していた。


「あ、ああ、こ、こんな……」


 俺は恐怖のあまり、声も上手く出なかった。


「へえ、ここまでできるんだネ。大したものだ」


 レーゼが周囲を見回し、感慨深そうに呟く。


「ハ、ハハハハハ! 俺も無事では済まないだろうが、貴様も道連れにしていくぞ! 死ね、レーゼェ!」


 マルティの声と共に、悪魔達が動き始めた。

 レーゼを狙って一斉に飛び込んでくる。


 レーゼは自身の軍服の胸部に手を突き入れると、黄金色の懐中時計を取り出した。


「《クロノス》」


 多色の輝きを持つ魔法陣が浮かび上がり、周囲一帯を包み込む。

 俺はその眩さに目を閉じて……目を開いたとき、悪魔達が消え、元の場所へと戻っていた。

 無貌の王は、変化前の元の形態へと戻っている。


「えっ……い、今、何が……」


 状況に全く頭が追い付けない。

 それはマルティも同じことらしく、目を見開いて周囲を見回していた。


「な、何が起きた……? 貴様、何を……!」


「《時忘れポーラ》の、時空魔法パラドクスだヨ」


 いつの間にかマルティの背後にいたレーゼが、彼の額へと手を触れる。

 指先に小さな魔法陣が広がり、白い光が宿った。


「そしてこれが《白夢の環モルペウス》の《デイドリーム》」


「きさ、ま……!」


 マルティが膝を突く。

 瞼が閉じていた。

 対象を眠らせる魔法だったらしい。


 マルティも最後の悪足搔きのようではあったが、彼をあんなにあっさりと倒してしまった。

 実力は間違いなく本物だ。

 というより……噂には聞いていたが、三魔官がここまで圧倒的な存在だとは思っていなかった。

 こんな人が後二人……いや、シルヴァス魔導将も合わせて三人存在するのか。


「た、助けてくれて、ありがとうございます。あの、どこかで会ったことが……」


 レーゼが仮面を取る。

 俺は息を呑む。

 冒険者ギルドで一度顔を合わせた、《黒輝のトラペゾヘドロン》について俺に教えてくれた、不気味な男だった。

 《魔喰剣ベルゼラ》を値踏みするように見ていたことを覚えている。


「お前……!」


「久々だねぇ、ディーン君。伸び伸びと私生活を送るために、仕事中は顔を隠すことにしているんだ。セリアちゃんをここまで護衛してくれたこと、感謝するヨ」


 魔導将の部下だったのか……。

 あのときギルドで顔を合わせたのも、マルティの動向を探っていたのだろう。


 レーゼはマルティの手から《黒輝のトラペゾヘドロン》を取り上げる。


「これは私が管理することにするヨ。簡単に破壊できるものじゃないし、もしも悪人の手に渡れば《暗黒の時代》の再来になり得る代物だからねぇ、ンフフ……。シルヴァス魔導将を敵に回したくないなら、これについては今後見聞きしない方がいい」


 レーゼは不気味な多面体の手のひらの上で遊ばせながら、そう口にする。


「さて、パルムガルトまでもう近いからネ。少し休んだら、シルヴァス魔導将の許まで案内しよう」






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 こちらも読んでいただければ幸いです。(2022/1/15)


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暴食妃の剣 猫子 @necoco0531

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