彼女が僕に近づいてくる

四葉くらめ

彼女が僕に近づいてくる

お題:悪魔の証明、時限爆弾、ベーコンエッグ


 ちゃりん。

 テーブルの上に雑多にばらまかれた1円玉を1枚手に取って貯金箱へと入れる。

 百均で買った安っぽい貯金箱だが、お金を取り出させないという点では最低限の役目を果たしていた。

 中に入れた1円玉を、もう取り出すことはできない。

 テーブルの上の1円玉も、初めの頃からすると随分と数が減った。まだ目視で数えられるほどではないけれど、50枚は切っているかもしれない。

 僕はその乱雑に置かれた1円玉を片すことなく、ベッドの中に入り込んだ。


 こうして、今日も世界を終わらせる時限爆弾が1つ、終わりへの数字を減らした。


   ◇◆◇◆◇◆


 ジューっと油が熱される音と共に、ベーコンの焼ける香りが部屋に広がっていく。

「まだー?」

「まだ」

 彼女がそわそわしながらフライパンを見つめている。

 この少女はとにかく堪え性がないのだ。

 パンをトーストにしようとしたら半焼けだし、肉を焼かせてみたら生焼けだし、ゆで卵を作ろうものなら生卵となんら変わりがないものが出てくる。

 それなら焼かない食パンと生卵を食べれば良いじゃないかと(流石に生肉は薦めないが)言ってみたが、調理という行為自体が好きなのだという。自分でなにか手を加えて、それとともに気持ちを込めるのが好きなのだと。

 しかし、いかんせん堪え性がないものだから、結局ほぼ生のものが出てくる。

 流石に、それじゃあ調理という言葉が泣きかねないので、この間朝ご飯を作ってやったら、毎朝僕の部屋に来るようになってしまった。

「まだー?」

 ごつん。

 彼女が頭を軽く僕の頭にぶつけてくる。

 しかし、それだけなのに目がチカチカするような衝撃を受けた。

 こいつ石頭が過ぎるぞ!

「いたた……。まだだっつってんだろ、テレビ――はもうやってないか、とにかくリビングに行ってろ」

「ううん。見てる」

 見られているとやりづらいんだけど……。

 といっても、それを伝えたところでおとなしくリビングに戻るような奴でもなかったし、邪魔はしてこないので放っておく。いや、まあいま頭突きで邪魔されたんだけどさ。

 ベーコンにほどよく火が通ってきたところで今度は卵を2つ落とす。

 それとほぼ同時にトースターが、パンが焼き上がったことを音で教えてくれた。

「パンにマーガリン塗っといて」

「はいはーい」

 彼女も手慣れたもので、僕に聞くこともなく食器を取り出し、冷蔵庫から、少しわかりにくい位置にしまってあるマーガリンを迷うことなく見つけ出す。

 僕は僕で、卵が焼けるまでにコーヒーの準備をして、あっという間にベーコンエッグをメインにした朝食が食卓に並んだ。

「やっぱり私、あなたのベーコンエッグ、好きだなー」

「そうか? 普通のやつだろ」

 実際、味付けも普通、焼き加減も普通。不味くはないが、そんな言うほど美味しくもないだろう。

 少なくともうちの母親が作っていたベーコンエッグの方が出来はいいと思う。

「うーん、まあ確かに味的には普通? なのかもしれないんだけどー……。ま、そもそも私、あなたの料理以外食べたことないしねー」

 じゃあ比較できねぇじゃねぇか。

「ほら、アレらしいよ。『大事なのは、何を食べるのかではなく、誰と食べるかである』って。なんか格言集に書いてあった!」

 ああ、そういえばそんな格言があったな。誰が言ったのかは知らないけど。

 でもそれって、ベーコンエッグはぶっちゃけどうでもいいってことなんじゃないの?

 そう言ってみると、彼女はトーストを片手で持って咥えながら、首を傾げる。

「んー、……ごっくん。そうじゃないんだよねー。やっぱりこの言葉間違ってるんじゃない?」

 偉大な格言持ち込んどいてその言い草……。情緒不安定か、お前は。

「わかった! あなたが作ったベーコンエッグだから、可愛さ余って美味しさ100倍! みたいな?」

 少女が目をキラキラさせて僕を見る。どうこの発想? 天才じゃない? とでも言いたげだ。

「それを言うなら『可愛さ余って憎さ100倍』な。可愛さが余って美味しいって訳分からねぇよ……」

 そんなどうでもいい話をしながら、彼女との朝食が終わる。

 いつも通りの朝食で、でも、そもそも女の子と一緒に朝食を採っているというのが違和感ありまくりで、ましてやそれが世界の終わりをもたらす『悪魔の小惑星』なのだと思うと一周回ってありなのかとも思ってしまった。

 ……いや、やっぱりねぇよ。



 僕は大学生だったが、学校はない。というかもはや社会がまともに回っていないのだ。

 世界が――というと少し大げさで、地球が終わりに近づいていることが発表されたのは数ヶ月前だった。

 曰く、小惑星が近づいており、世界最高峰のスーパーコンピューターで小惑星の軌道を計算してみたところ、地球直撃コースだったらしい。しかも、小惑星の大きさから推定するに、人類が――なんなら地球上の生物が生き残れる確率は万にひとつもないらしい。

 そんな大事なことはもっと早くに分かっておけよ人類の英知はどうした、とでも言いたいところだったが、どうやらその小惑星は突如として宇宙空間に出現したらしく、世間からは『悪魔の小惑星』と呼ばれた。

 それが普通の小惑星であれば、数年前から発見され、対策を立てられもしたのだろうが、に対してたった数ヶ月でできることはなにもなく、人類のほとんどは未来を諦めたのだった。

 彼女はそんな折りに出会った自称『悪魔の小惑星を擬人化した美少女』で、もうちょっと正確に言うと、小惑星に向けられた人類の負の感情が形を成した存在らしい。

 当時の人々の不安と言えば並大抵のものではなく、暴動は起きたし、政治や外交は破綻したし、食べ物はすぐになくなった。何故か疎開する人なんかも出てきた。

 とにもかくにも皆が皆不安を抱えていて、その不安の行き着く先は確かに『悪魔の小惑星』だっただろう。

 でもだからって感情が形を成すって言われても信じられなかったし、まだ、女の子がパニックになって頭をおかしくしてしまったと言われた方が想像にたやすかった。

「そんなこと言われても本当なんだもん。もうほんっとうに大変だったんだからね? 小惑星の中で生まれてからもじゃんじゃん負の感情が飛んできてさ、私が一体何をしたっていうの!? って感じ。気分は悲劇のヒロインよ」

「小惑星がなにヒロインぶってやがるんだか。それに悲劇なのは地球こっちだからな? 言っとくけど」

 そもそも『悲劇』なんて言ってこいつ物語とか読んだことあんのかよと思ったものだが、どうやら聞いてみると記憶にはあるらしい。

「もちろん直接はないよ? だって私、美少女小惑星なわけだし? 人間の文化なんてそりゃ見たことはないよ。でも伝わってくる思念を追っていくと結構色々分かるんだなぁ。これが」

 と、意味の分からないことを申しており。

 僕からしてみれば随分としっかり設定を作り込んでるなぁとしか当時は思っていなかった。



 初めて彼女が異常であると気付いたのは2人で街に出たときのことだった。

「なぁ」

「んー?」

「なんでお前他人に見えてないの?」

「え? 今更……じゃないのか。そっか、一緒に歩くの初めてだっけ?」

 そう。彼女は他人から見えていないようなのだ。

 人通りも開いている店も減った商店街――と言っても人がまったくいないわけではなく、初めての商店街にはしゃいでいた彼女は人とぶつかりそうになったのだ。しかし、相手の男はまるで何事もなかったかのように彼女を避け、しかも避けたことにすら気付いていないようだった。

 むしろ、彼女に対して僕が掛けた「危ない!」という声に驚いていた始末である。

「どう? これで私が美少女小惑星だって信じてくれた?」

「幽霊だって言ってくれたらまだ信じられるんだけどなぁ……。それから美少女の部分は否定出来ないのが質悪いんだよなぁ」

 そう美少女なのである。どこからどう見ても。

 残念ながら他の人には見えないようだけど、もし見ることが出来たのなら、10人中9人は振り向くであろう、そんな美少女。

 その割にたたずまいというか、喋り方は少し子供っぽくて、そのズレが可愛い女の子なのだ。

 とても小惑星には見えないのである。

「ううっ、酷い! 私、日本は擬人化に寛容だって聞いたからこの国に来たのに!」

 誰だよそんなこと小惑星に思念で飛ばした奴は!

 まあ、否定はできないけどさ!


   ◇◆◇◆◇◆


「で、いい加減教えて欲しいんだけど、お前はなにしにここに来てるわけ? 僕にだけ見えるのもよくわかんないし」

 朝食を食べ終わって僕らにすることはない。小惑星の擬人化であるという彼女には、もちろんやるべきことなんて無かったし、僕だって世界終了のお知らせと共に大学の授業がなくなってしまったので、言うなれば暇なのだ。

「証明をしたいのかな」

「証明?」

「そう。悪魔の証明」

 悪魔の証明と言えば、不可能な事柄の証明のことだ。

 有名なものが『消極的事実の証明』というもので、『幽霊がいないことの証明』だとか、『殺人現場にいなかったことの証明』などである。

「私を愛してくれる人がいるっていう証明」

 それは……悪魔の証明と言えるのだろうか。

 消極的事実では、ない。

 いや、しかし……。もし、彼女が本当に『悪魔の小惑星』だと言うのならば、確かにそれはある意味で『悪魔の証明』と言えるのかもしれない。

 もちろん、彼女が『悪魔の』という形容を持つからという意味ではなく、、という意味でだ。



 自分を殺しにくる非人間を愛する者が存在することを証明せよ。



 そんなことはそれこそ物語の中ですら不可能に近いだろう。

「なんだろうね。別に私はなにか目的があって生まれたわけじゃないはずなんだけど、いつの間にか――地球を見てたらそんなことを思ったんだ。

 証明したい。

 自分を愛してくれる人がいることを証明したい。

 自分はその人に愛してもらうために、その人が私を愛するために私自身は生まれてきたんだって」

 もしそれが、この少女の願いにして、存在理由なのだとしたら、この少女の在り方は矛盾している。

「それじゃあなんで誰にも見えないんだろうな」

 そう、それなら色んな人に見えて然るべきだろう。

 もし証明したいのならば、より多くの人と出会い、交流をすべきだろう。

 たった1つのサンプルからしか見えないのでは、証明なんてできやしないだろう。

「あなたにさえ見えればいいからだと私は思うんだけどなぁ」

 まあ何を言われているかはわかるんだけど。

「小惑星に愛の告白染みたことを言われてもね」

「あ、ちゃんと気付くんだ。てっきり鈍感路線で行くものかと」

 そんなの漫画や小説の中にしかいねぇよ。

「大体さ、君を愛したところで、ちょっとしたらぶつかってくるんだろ?」

 小惑星がぶつかってくるまであと何日だったか。

 正確な日付は覚えていないけど、貯金箱に入れる予定の1円玉はもう50枚も残ってはいない。

「そういうのを超えるから愛って素晴らしいんじゃない?」

「あいにく恋したことは数あれど、恋人は今までできたことないからな。愛とかよく分からん」

「じゃあ私とかどう? ほらほら、絶賛恋人募手中の愛に飢えた女の子だよ? しかも自慢だけどスペックかなり高いよ? キスとかしようよ。ファーストキスは檸檬の味とか言いたいんだったら今からスーパーで買ってくるよ!?」

 必死すぎるだろ!?

 あとファーストキスに檸檬の味を強要するほど童貞をこじらせてはいない。……童貞だけど。

「せめてその石頭を柔らかくしてから来いや石女」

「それは流石に酷いんじゃないかな!? 小惑星だからってひとまとめに『石』っていうのは雑すぎるよ! もし時間があったらあなたを博物館とか色んな地層とかに連れて行って石の多様さとロマンを教えてあげるのに! あー、行きたい行きたい行きたい!」

 う、うるせぇ……。

 その時間を――というか未来を消し飛ばそうとしているのはこの少女自身なのだが……そんなことは棚に上げてプリプリと怒っていた。

「ああ、わかったわかった! 流石に博物館はやってないだろうけど、どこかてきとうに地層見に行くぐらいは今日でもできるだろ。連れてってやるよ!」

「え? いいの!? あ、もしかして石に興味が出てきた? それとも私に興味が出てきた!? ほらほら、愛して恋して一緒に石を見て顔をとろけさせましょう!」

 う、うぜぇ!

「石だろうが地層だろうが小惑星だろうが恋もしねぇし愛しもしねぇよ! あんまうるさいと寝るぞ!」

 そうして、今日も――そう、実は昨日や一昨日もだったが――彼女と一緒に一日を過ごすのだった。


   ◇◆◇◆◇◆


 彼女は証明をしたいのだという。

 誰も彼もが彼女小惑星を憎むこの世界で。

 誰かが小惑星彼女を愛してくれることを。



 ちゃりん。

 テーブルの上に雑多にばらまかれた1円玉を1枚手に取って貯金箱へと入れる。

 こうして、今日も世界を終わらせる時限爆弾が1つ、終わりへの数字を減らした。



 小惑星が、近づいてくる。


   〈了〉

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彼女が僕に近づいてくる 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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