ずっと好きでも、綺麗でも!

成井露丸

ずっと好きでも綺麗でも。

「あ〜、ニキビだ〜。お姉ちゃん可哀想!」

「うるさいよ!」

 洗面台の鏡で顔を洗った後に化粧水をつけていると、後ろから妹の麻耶まやが声をかけてくる。まだ麻耶はパジャマ姿。大学生の朝は呑気なもので羨ましい。と言っても私もほんの一年前まではそういう呑気なご身分だったのだけれど。今じゃ立派な企業戦士――もとい社畜? ブヒブヒ。


「この年になってニキビってあんまり無いんじゃないの? お姉ちゃん日頃からスキンケアしなさすぎ〜」

「だから、うるさいってば! 麻耶は私のお母さん?」

「妹だよ〜。お嫁にいけなくなるかもしれないお姉ちゃんの未来を心配する心優しい妹」

「……ちょっと私、そこそこ急いでいるから、あっち行っておいてくれる?」

「は〜い」

 洗面所の入り口から顔を覗かせていた麻耶はつまらなそうにキッチンの方へと引っ込んでいった。

 それにしても、なぜ妹という生き物はああやって人の気にしているところにグサグサと突き刺してくるのか。あ……もしかしてウチだけ?

 乳液をつけて、ヘッドバンドを外して軽く櫛を通して一旦終了。ファンデーションとかホニャララは一旦後回し。本当にお化粧にかかる時間は私たちの苦労だよねって思う。男性陣はこの大変さをもう少し分って欲しいものだ。


 まぁ、女子力の高い女性陣からすれば「え? 何言ってんの?」って感じかもだけど。お化粧苦手勢で社会人デビューした私みたいなのからすると、朝のケアとメイクの負担は未だに慣れないわけで。


「お姉ちゃん、アップルパイとライ麦パンだけど、私、アップルパイ食べて良い?」

「ん〜、良いよ〜。好きな方どうぞ〜」

「は〜い」

 朝からアップルパイとかカロリー気にしなくて良い勢は凄いなぁ。

 かくいう私も大学生までは適当していました。私の大学生時代は化粧にも気をつけず、カロリーも適当で、ちょっとだけぽっちゃりで、結果的に周りの男性陣にも男友達と同等に扱われて、女性扱いされなかったタイプなのだ。あ、友達は多かったので、「中性的な魅力に溢れていた」ってやつですかね。あはははは(汗)。

 それに引き換え、妹は何もしなくても太らないタイプで、お肌も艶々。世の中って不公平だよね。

 私、二宮杏耶にのみやあやは、そんな世知辛さを日々感じる社会人一年生なのである。


 働きだしてからは先輩にも何度か説教されつつ、スキンケアとお化粧はするようになって、ちょっとは女性らしくしている。

 それにしても仕事に女性としての美容を求める社会はマジでガッデムだ。別に女性を売りにしたいわけでもなんでもないんだけどなぁ。ジェンダーフリー万歳。


 しかし、そんな私の努力を見ておきながら、嗚呼神様、なぜにあなたは「おでこニキビ」ちゃんを私にお与えになられたのですか?


「今日だよね? お姉ちゃん、陽介と一緒に企画している合コンって?」


 キッチンでライ麦パンをトーストして、超高速でベーコンエッグを焼いて、温かいミルクティーとともに食卓へ運ぶと、アップルパイの皮を口周りに付けた麻耶が顔を上げた。

 ていうか妹よ。なんでその状態で可愛いのよ。反則じゃない?


「そうね〜。だから今日はそれなりに気合い入れていかないといけないから、余計に朝余裕ないのよ。わかる?」

「はいはい。ていうか、お姉ちゃんお化粧するの遅いのよ。あといちいち買っている化粧品がコスパ悪い感じするし、……やっぱり私が教えてあげようか?」

「ケッコウデス!」


 ケッコウ、ケッコウ、コケコッコー!(家畜)

 なんだかそれだけは姉としてのプライドが許さないのだ。いや、別に今更プライドも何も無いのだけれど。なんなんでしょうね。よくわかんない。


 妹の麻耶はプチプラの化粧品とか上手く使って安くあげているんだよね。私もそういう器用さやセンスがあれば良いと思う。……まぁ、妹が可愛いのは素が良いからだけではとも思うのだけどね。


「それから、合コン。陽介に変な虫がつかないように気をつけてよね〜」

「はいはい。ていうか、そんなの陽介に直接言ったらいいじゃない。私なんかに言わないでさ」

「それは言っているわよ。でも、お姉ちゃんも気をつけてくれたって良いでしょ〜。 ダブルチェックって言うの?」


 ダブルチェックの意味が違う。頑張れ、妹。


「――それに、そもそもお姉ちゃんが独り身じゃなかったら、今日の合コンだって陽介が企画することとか無かったんだろうしさ! そのくらいの責務は果たしてよね〜」

「――はいはい。分ったわよ」


 そう言われると「ウググググッ!」てなるけれど、反論しがたいものもある。


 今日の合コンは何も私が無理に開いて貰ったわけじゃないのだ。そもそもは私の先輩が「出会いが無さすぎるー! あんたたち誰か合コンセッティングしなさいよ!」と無茶振りをしてきたことがきっかけなのだが。なぜか回り回って、私と高校時代からの友人――巽陽介で合コンをセッティングすることになってしまったのだ

 巽陽介たつみようすけは私の高校時代からの友人で、もう三年ほど妹の彼氏もやっている。私とは、なんだろうなぁ、腐れ縁って感じだろうか。


「じゃあ、行ってくるからね! きっと晩は遅くなると思うからちゃんと鍵かけて寝るのよ!」

 朝食を頂いて、手早くお化粧を済ませて、身支度を整える。


「なにそれ、お母さんじゃないんだから! 分ってるわよ。いってらっしゃ〜い。……あ、なんなら朝帰りになっても良いからね〜」

「ならないから! ほんとうるさいよ!」


 そう言いながらバタンと玄関を閉めた。

 いや、本当に怒っているわけじゃないんだけれどね。うちの姉妹はいつもこんな感じだ。


 それでも麻耶の言葉が引っかかる。「朝帰り」。出会った日にそんな関係になるなんてやっぱり考えられないけれど、そんなくらいになる出会いがあればいいなとも思うのだ。いざ出陣。


 ☆


 川沿いのレストランは二人で探したお洒落スポット。ぐるっと見回して、我ながらイケているロケーションだと満足。


「遅いじゃん、杏耶〜!」


 会場のレストランの前には仕事帰りスーツ姿の巽陽介が立っていた。

 その他、男性陣三名。

 その内一人が、やたらスラッとしていて目を引いた。一人仕事上がりっぽくない格好。男性相手にこんなことを言うのもなんだけれど、随分と綺麗な人だった。


「ごめん、陽介! 先輩が仕事でとちっちゃって、残業発生しちゃってさ」

「――ちょっとなに、二宮さん、私のせいにするの? 酷い〜」

「え、いや、そいうわけじゃないんですけど」

 背後から歩いてきていた先輩が気づけば至近距離にいて、聞かれてしまった模様。やんぬるかな。……でも、残業は明らかに先輩のせいですからね。


 そして会社では作らない品を作っている先輩。え、なんで、両手を腰で組んで、少し前傾姿勢なんですか? そんな姿勢、会社で作ったことないですよね。あ、それにこの男は――ゴショゴショゴショ

『え? この人が妹さんの彼氏さんなの? なんだ、じゃあ、どうでもいいんじゃん』

 ウンウン。あー、良かった、そこで肉食モードに入られたらどうしようかと思った。「彼女がいようと関係ないわ!」とか言い出さなくて本当に良かった。


 振り返ると、問題なく他のメンバーもついてきていた。私の同期が一人と、先輩の友人(私の知らない他社の人)が一人。今日は四対四の合コンなのだ。

 その人とは私も初対面だったけれど、なんだかとても綺麗な人。でも、ちょっとやたら色っぽい仕草がどこか違和感な感じで、波長が合うかちょっと不安な感じがした。でもまぁ、いっか。先輩もいるし、今日はそれぞれが楽しめれば良いんだから。


 彼女は手慣れた感じで「こんにちわ〜」とか男性陣に話しかけている。一方で私の同期ちゃんは慣れない様子でモジモジ。すでに前哨戦は始まっている?


 まぁ、全員集合しているし、もうすぐ予約の時間だし、入るかな?

 上目遣いで視線を送ると、陽介は一つうなずいて、店内を指さした。私は頷き返す。


「じゃあ、時間なんで、全員揃っているし入りますねー!」


 陽介がみんなにアナウンス。「は〜い!」と高校生みたいなみんなの返事。順にみんなが店に入っていく。

 やっぱり、流石の腐れ縁。言葉がなくても伝わるものがあるよね。

 そんなことに満足とも言い切れない混ぜ物の感情を抱いていると、隣まで来た同期ちゃんが耳元で囁いた。


「西宮さんは、あの彼と良い感じなんですか?」

「あー、あれはね、もう一人の『西宮さん』と良い感じなの」

「ん? どういうことです?」

「彼は妹の彼氏なのよ〜」

「へ〜、じゃあ、西宮さんとは何も無いんですか?」

「無いわよ。有ったら困るわよ。姉妹で血みどろの修羅場よ!」

「そうなんだ〜。おかしいなぁ、私のこう言う勘って当たるんだけどな〜。西宮さんと彼、良い感じだって」

「何言ってるのよ〜。さあ、入って入って。あなたも合コンで男性陣を物色するのよ〜。あ、陽介以外でね!」


 私は最後の一人を店内に押し込むと、「いらっしゃいませ〜!」と威勢よく挨拶する店員さんに挨拶をして、自分が幹事なのだと伝えた。



合コンはまぁ良くもなく悪くもなくといった感じで進んだ。

四対四で向き合って座った私たちは仕事の話とか趣味の話とか、昔の話とか、適度に話し相手を変えながら盛り上がったと思う。


先輩は初めから陽介のことをターゲットから外してくれたみたいで、残り二人のスーツ姿の男性と機嫌よく話していた。

入り口で陽介の隣に立っていた綺麗な男性のことが少し気にはなったけれど、彼はもう初めから先輩の友達に完全マークされていた。私が話しかける隙なんて微粒子レベルにも存在していなかった。


自己紹介で名前だけは聞いた。三城みき和真かずま。デザイン関係の仕事をしているらしい。先輩の友達が想像以上に肉食系で、学生時代から恋愛音痴だった私としては、軽く引く。


 結局、肉食系じゃないのは私と同期ちゃんだけで、陽介はそんな彼女が他の男性と話せるように気を使っている様子が見て取れた。私もそれに混じるものだから、結局、気付けば陽介とばかり話してしまっていた。


「ていうか、杏耶、おでこのそれニキビ?」

「ちょ、そうだけど、なんでわざわざ言うかな〜! 陽介マジで空気読めない!」

「そうですよ〜。巽さん、そういうことは親しき仲にも礼儀ありなんですから」

「あ〜、ゴメンゴメン。だって、杏耶にニキビとか、部活やっていた高校時代のことを思い出してさ」

「そっか、巽さんと西宮さんって、そんな昔からの付き合いなんですもんね」

「そうそう――」


 女の子としてはニキビを指摘されるのはちょっと嫌だけれど、でも、やっぱり私はこういう友達同士みたいな会話が落ち着くし、楽しいのだ。

 左右の先輩方をチラリと見ては「ああはなれない」と思ってしまう。

 

 そうやって隣を見たときに三城みきさんと目があった。

 ぺこりと頭を下げて「ども」というと、三城さんも可笑しそうに微笑んで「ども」と返してくれた。なんだかピュアな笑顔だなぁ。

「でさぁ、みきちゃん、聞いてる?」

「あ、はいはい、聞いてますよ。大変ですよねー、営業プレゼンは〜」

「そうなのよ〜」

 でも肉食獣の魔の手に三城さんは、また一瞬で捕らえられてしまう。

 なんだか少し話してみたいなって思ったけれど、肉食獣の前には止む無しである。

 私は梅酒のソーダ割りをストローで啜った。



 レストランの裏手はウッドデッキになっていて、川の流れが一望できた。夜空の下で涼しい風が吹いていて、大きく息を吸う。

 合コンは宴もたけなわ。少し明かりの落とされた照明と、騒々しい店内に少し疲れて、外の空気を吸いにきたのだ。なんだか生き返る。


 外から見れば素敵だった川沿いのレストランも、テーブル席に座ってしまうと同じだった。

 でも、こうやって休憩でウッドデッキに出てくると「正解だったなぁ」って思う。ていうか、この休憩時間こそ、このお店の真価が発揮されるところなのかもね。お一人さまだけど。そんなことを考えながら木の柵に両肘を突いた。


「ここは涼しいし、静かだね。――隣、いいかな?」


 不意打ちみたいに声をかけられて、弾かれたように振り返る。そこには三城みき和真かずまさんが立っていた。私の返事も待たずにウッドデッキの手すりに両肘を突く。

 白いシャツをまくって肘を出している。なんだかそのシャツも少し薄手で男性っぽくなかった。


「あ、いいですよ〜。ここすごく良いです。当たりです」

「随分と暑くなってきたけれど、そういう時の夜風って気持ち良くて好きだな〜、僕。西宮さんも?」


 名前を呼ばれて、少し嬉しくなった。それまで他人だった人に名前を覚えてもらうというのはそれだけでなんだか良いことだ。なんだか気が合いそうな人なら尚更。


「そうですね〜。多分、今日、このレストランを予約したのって、このウッドデッキと夜風のためなんじゃないかって思います」

「ははは、店内じゃなくて?」

「はい、お料理でもなくて」

「お料理は美味しかったよ」

「あ、そうですね。言いすぎました。じゃあ、お料理は『込み』で」

「はは。自分の間違いを認められるのは、大人の女性の証だね。素敵なことだ」

 そう言って三城さんは人懐っこく笑った。


「えー、いいですよ〜。私なんてお子様ですから。大人の女性っていうのは……そうですね、あの人みたいな?」

 振り返り店内をそっと指差す。三城さんが離れた座席の前で先輩の彼女が手持ち無沙汰に座っている。ロンググラスのカクテルを指で摘んで傾けてから、スマートフォンを取り出して何かカタカタと叩いている。


「彼女は大人なんかじゃないよ。『色っぽい』とは言うのかもしれないけどね」

「そうなんですか? 大人っぽいな〜って思いましたけど。……ていうか、猛アタックされていたようにお見受けしましたけれど。どうなんですか? やぶさかでもない?」

「あー、やっぱり。そうだよねぇ。そうなのかなぁ、と思ったんだけれど。困ったなぁ〜」

「あれ? そこ、困っちゃうんですか? かなり綺麗な人だと思いますけれど?」

「まぁ、そうだよね。綺麗な人だと思う。……西宮さんは彼女と自分の波長って合うと思う?」

「それは、……すみません。わかんないです。どっちかっていうと……苦手かな?」

 そう言って舌を出すと、三城さんは可笑しそうに笑った。


「やっぱり、西宮さんって面白いね! 素直だ」

「あ〜、やっぱり子供っぽいって思ったでしょ! いいんですよ。私はお子様ですから。男友達からもずっと男子扱いだったし」

「――それって、巽くんのこと?」

「――え?」

「好きなんでしょ? 巽陽介のこと?」


 突然踏み込まれたその一歩に、ウッドデッキの私は硬直した。



 巽陽介と出会ったのは高校一年生の時だった。ずっと男勝りで生きてきた私は、当時、恋愛なんて異世界ファンタジーの出来事だっていうくらい無関心だったし、恋愛音痴だった。

 大学受験シーズンに突入して、陽介と離れ離れになる可能性を考え始めた時に、初めて陽介への思いが恋愛感情なんだって気づいた。あの時はぎこちなくなってしまって、しばらく陽介の顔も見れなかった。


 気付いたからって恋愛音痴の私には、二人の関係をなだらかに「そういう関係」に持っていけるほどの恋愛スキルがあるわけでもなく、行き場のない思いを、煮え切らない態度のまま、先送りにしていたのが高校生最後の思い出だ。


 幸いにも私と陽介は同じ大学に入学することになったから、私の拙い恋愛は大学時代へと持ち越された。でも、それからもこの想いを陽介に伝えることは出来なかった。何一つ変わらずに「一番仲の良い女友達」で「腐れ縁」の立場を謳歌していた大学二年生の春、事態は急転した。


 妹の摩耶が陽介に恋をした。いつからそうだったのかは知らないけれど。私と違って可愛くて、女の子っぽくて、恋愛にも興味津々に生きてきた妹は、恋に落ちてから瞬く間に陽介に告白して、晴れて二人は付き合うことになったのだ。

 私は自分の想いに蓋をするしかなかった。妹の恋も、陽介との友情も大切にしたいから。



「初対面の僕に、そんな告白しちゃってよかったの?」


 三城さんは心配そうに眉を寄せる。


「いいんです。……きっと誰かに聞いてほしかったんだと思います。それに、三城さんって何だか信用できそうだし」

「ははは。ありがとう。……でも、それは結構しんどいよね。二人が別れてくれるのを願うっていうのも、何だか違うし」

「ですよねー。白馬の王子様は別にいると信じて待つことですかねー?」

「そうだねー。神様もそこまで意地悪じゃないと信じたいよね〜」


 そう言って私の方を向いて微笑む三城さんの視線を私は受け止めた。そして改めて思う。綺麗な人だなぁって。なんだか男の人って感じがしない。

 なんだか中性的なのだ。そんな彼の顔が気になってじっと見ていると、ふと気付いた。


「――もしかして、三城さん、お化粧しています? それにそのシャツも……女性もの?」

 襟元のボタンで、右側が上になっていた。


「あ……、気付いちゃった? そうだよね。わかっちゃうよね」

 ちょっと気まずそうに首筋を掻く三城さん。


「いや、まぁ、お化粧もうっすらって感じなんで、よく見ないと分からないと思いますけれど……」

「あはは。でも気づかれちゃったからには、僕もカミングアウトしちゃおうかなぁ。なんだか西宮さんの秘密だけ一方的に知るのもフェアじゃない気がするし」

 そう言うと三城さんは一呼吸を置いた。


「合コンに来ておきながら何なんだけどさ。僕は自分が男の心を持っているのか、女の心を持っているのか、わからないんだ」

 一瞬なんのことが分からなかった。でも少し考えて、以前聞いたことのある言葉に行き当たる。


「……性同一性障害――GID?」

 その言葉を口にすると、三城さんは困ったように首を左右に振った。


「自分でも分からないんだ。GIDっていう確信もないし、だからって男性らしい男性であることに違和感が無いわけじゃない。女性の服を着たいし、お化粧もしたいし、綺麗でいたい。友人関係は女の子と話しているほうが気楽だし――」


 私は今まで男勝りで生きていたけれど、自分の性別に違和感を持ったことはなかった。でも、世の中に自分の性別自体に馴染めない人もいるのだ。話に聞いたことはあったけれど、目の前でそうと言われたのは初めてだった。


 でも何だか、それはとても腑に落ちた。テレビやネットで見てきたGIDの話はどこか遠くの出来事で構えてしまった。触れてはいけない出来事のように。でも、目の前の三城さんは、とても自然で、それが三城さんという人間の個性なんだと、どこかで自然に受け入れられるのだ。


「GIDかどうか迷っていたりしていて、自分でも分からない人のことを今はクエスチョニングって言うらしいけどね。僕は多分、今、それ」

「そっかー。でも、それじゃあ、どうして合コンなんて来ているんですか?」

「まぁ、巽くんに声掛けられて、人数合わせっていうのが実際だれど。単純に『友達探し』かな? 性別に関わらず仲良くなれる人がいたらいいなーって」

「あはは! なにそれ? 小学生みたい!」

 声を上げて笑う。なんだかそんな感じで陽気でいたかった。


「だよね〜。でも、二宮さんだって、本気で恋人を探しに来たわけじゃないんでしょ?」

「ううっ……!」

 図星だ。むしろ結局のところ、摩耶に気兼ねせず陽介と一緒に遊べる時間が嬉しくて、今日の合コンを楽しみにしていたのだ。きっと三城さんはそんなこともお見通しなのだ。


「ふふふ。巽くんにニキビのこと指摘されていた時の西宮さん、なんか可哀想だったけれど、すごく可愛かったよ」

「もー、なんなんですか〜! 気にしているんだから言わないでくださいよぉ〜」

 思わず両手でおでこを覆う。「ゴメンゴメン」と言いながら三城さんは綺麗な横顔で夜の川岸を向こうに眺めた。


「――きっとクレンジングオイルかファンデーションが合ってないんだよ」

「あれ? 三城さん、そういうこと詳しい人なですか?」

「まーねー。だって、僕とか普通の女の子みたいに女性ホルモンの助けを借りない状態でスキンケアとかいろいろやっていかないといけないんだよ? 僕からすれば女性ホルモンを持っている君たちはみんなチート! そりゃ、頑張って詳しくもなるよ」

 そんなことを冗談っぽく言う三城さんがなんだか可笑しかった。


「あ、じゃあ、私にいろいろお化粧とかスキンケアのこと教えてくださいよ! 友達として!」

「――僕でよかったら喜んで」

 そう言って三城さんは屈託なく笑った。

 

 ウッドデッキに吹く夜風は気持ちよくて、空には都会では珍しく星々が見えた。



 一ヶ月前の合コンのことを思い出す。結局のところあの合コンからカップルは一つも成立しなかった。その後、連絡を取り合っているのも私と三城さん――もとい、みきちゃんくらいだ。

 なんだか友達になったら「みきちゃんって呼んで欲しい」と言われた。それからみきちゃんとはLINEで連絡を取り合っている。


 スキンケアのこととかお化粧のこととか、こんなに聞きやすい友達が出来るなんて思っていなかった。女の子同士って話しやすいこともあるけれど、私みたいな女子力劣等生は、逆に臆してしまうこともあるのだ。

 そんな私に神様が遣わしてくれた新しい親友――みきちゃん最高っ!


「お姉ちゃん、ごめんこのペンシル借りていい? なんだか私のやつポッキリいっちゃって〜」

「ん〜、いいよ〜」

 二階で化粧台に向かっている摩耶の質問に、リビングのソファに寝転びながら応える。ちなみに私も今日は友達とお出かけの予定。だから、私の方はすでにお化粧は終えているのです。偉い。


 今日は摩耶の誕生日。しかも休日だから妹はもちろんデート。相手はもちろん陽介。陽介とはあの合コン以来会っていない。まぁ、ただの腐れ縁なので、一ヶ月や二ヶ月会わないのはいつもの話なんだけれど。


 そういえばあの日、空気が読めない陽介は、私のおでこのニキビのことを指摘してきたのだった。そんなことを思い出して、スマートフォンのカメラを起動しておでこを確かめる。ニキビの跡は綺麗に消えていた。

 日にち薬もあるけれど、みきちゃんに教えてもらったニキビケアが効いたのもあると思う。――みきちゃん最高っ(本日二度目)!


 そうこうしている内に玄関のチャイムが鳴った。

「はーい!」

 ドアホンの液晶画面を覗くと、案の定、陽介だった。


「――摩耶〜! 陽介来たよ〜!」

「わー、今、手が離せないの! メイク中だしぃ〜! お姉ちゃん出てよ、ちょっと待っててもらって」

「え〜、あんたのお客でしょ? 自分で出なさいよ」

「いいじゃん! お姉ちゃん〜、今日、私の誕生日でしょ〜。ちょっとくらいワガママ聞いてよ〜」

 どういう理屈だ、と思いつつもも「はいはい」と玄関へと歩いていく。

 扉を開くと、いつもの陽介が立っていた。

 いつもの陽介。私の好きな腐れ縁。


「あ、杏耶じゃん。おはよう」

「おいっす〜。摩耶まだ準備中。上がって待っててよ。なんならコーヒーでも入れるけど?」

「んー、まぁ、そっか。ちょっと早かったかもな。じゃあ、お言葉に甘えて待たせてもらうよ」

 そう言うと陽介は革靴を脱いで、家の中に上がってくる。

 何だかそんな仕草の一つ一つが、高校生の頃と違って、大人っぽくなったなぁって思うのだ。

 陽介が鞄を床に置いてダイニングテーブルの席に着く。


 自分で言った手前、コーヒーを入れて差し出す。こいつがミルクを入れることくらい知っているので、先にミルクは入れてしまって、マグカップで。

 まぁ、私も飲みたかったし、実はついで。


「――どうぞ」

「――ありがとう」


 机の上にカタリと音を鳴らしてマグカップを置く。

 彼がその取っ手を掴んで口元に運ぶ。

 私が前に座って同じようにミルクコーヒーを飲む。

 ふと気づくと、陽介がじっと私の方を見ていた。


「――何?」

「杏耶さあ、……最近,キレイになった?」

「――気のせいじゃない?」


 陽介は「そうかなぁ」とか言っていたけれど、その話はそれでおしまい。しばらくすると、摩耶も二階から降りてきた。

「おまたせ〜、陽介〜! お姉ちゃんお相手ありがとう〜!」

「おお、準備できたか。じゃあ、行くか。じゃあ、杏耶ありがとう。コーヒーごちそうさまでした」

「どういたしまして〜」

 そして二人は連れ立ってデートへと出掛けていった。


 家で一人になった私は、ふらっと洗面台の前に立ってみた。

 鏡に写る自分の姿を見つめながら、さっきの陽介の言葉を反芻する。


『最近、キレイになった?』


 そんなことを言われても、私が妹に取って代われるわけじゃないのは分かっている。それでも、なんだかちょっとスッとした。

 陽介が私を女性として認識してくれいるってだけで、嬉しいのかもしれない。


 今日は友達と遊びに行く日。スマートフォンを開くとミキちゃんからメッセージが入っていた。

 相変わらず私には新しい白馬の王子さまも現れなくて、高校生の頃から変わらずに片思いを拗らせたお独り様。

 どこか焦り初めていたけれど、もう少し気楽な二〇代を過ごしてもいいかなって、――そう思った。



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