柊木古道具店――家族を無くし絶望し無為な生活を送ると思っていたのに違っていた話
403μぐらむ
第1話(改)
梅雨ももうそろそろ開けるであろう七月中旬。
自宅マンションのエントランスにあるポストを覗くと三通も封書が届いている。DMではない手紙が俺、
しかも三通が三通ともに【法律事務所】の文字がある。二通の送り主名は最近やたらと目にしていたが、残り一通の送り主には心当たりがない。
エントランスホールで開封する訳にも行かないのでビジネスバッグの横ポケットに封書を突っ込み自宅に帰った。
自宅は東京湾の絶景を望める湾岸エリアにある2LDKのマンションだ。ここに俺は今、独りで暮らしている。ついこの間までは違っていたんだけどな。その理由と結果が、今日来た封書のうち二通に書いてあるはずだ。
送り主に心当たりがない一通が気になるところだが、先に済まさなければならないのは他の二通の方だ。
先に
城崎法律事務所の方の内容は、こちらの要求通り恵美が不倫に至るまでの原因や理由などが詳細に書かれたレポートだった。しかし、既に俺にとってどうでも良くなっておりさっと目を通してからゴミ箱に捨てた。駒形法律事務所の方の内容は今回の調停の決定事項と慰謝料の振り込み、後は報酬についてで、荒んだ気持ちの今の俺には、それが如何にも事務的で逆に好感が持てた。
「さて、残りの一通は? 野上法律事務所。聞いたことないな」
離婚関係の二通はA4サイズの角型二号封筒だったが、この封書だけは長形三号で中身が二枚、三つ折りになって入っている。
封を開け、最初の一枚に目を落とす。定型文らしい時候の挨拶の後には、野上氏が俺の母【坂本真奈美】の代理人となった旨の文言があった。俺の姓は柊木で坂本ではない。坂本は確か母の旧姓だったはずだ。母はなぜここに旧姓を名乗る事があるのか、理解が及ばない。
二枚目の用紙を見たが、自身の離婚なんて些末なことと思える内容に只々呆然とするばかりだった。
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「 柊木誠人殿に 貴殿母、坂本真奈美より伝達事項あり次に記す。
―― 記 ――
一、貴殿父親 柊木孝雄 令和○年六月四日逝去いたしました。ご遺灰は無縁墓地に埋葬され既に葬儀は完了しております。
一、柊木家墓所は廃墓し永代供養墓に合祀されました。伴い、仏壇や位牌等も処理されました。
一、孝雄様逝去によりご実家の不動産等が貴殿に相続されました。真奈美様及び貴殿妹美雪様は相続放棄されました。
一、貴殿妹 美雪様は貴殿からの連絡を希望しておりません。然るべき時期経過の後、美雪様からご連絡するまで待機いただけますようにと伺っております。お伝えいたします。
一、真奈美様は故孝雄様は死後離婚され、また貴殿とも絶縁を願っております。
各事項に疑義がある場合には、坂本真奈美代理人 弁護士野上透までご連絡いただけますようお願いします。
なお、直接坂本真奈美氏に連絡を取ることは厳に謹んでいただけますよう重ねてお願いいたします。
貴殿のお手続きが必要なものやご不明点多数あると存じますので、早期のご連絡お待ちしております。
―― 以上―― 」
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どれくらいの時間呆けていただろうか。
時計を見ると二三時を回ったところだった。今日は早く帰って来ていたので、手紙を読んでから二時間は優に過ぎていた。少し落ち着いてきたので事態が飲み込めるようになってきた。
いつの間にやらクソ親父が死んでいた。一月すこし前のことらしい。あいつ自体が死ぬことはなんとも思わない。DVクソ野郎で外面ばかり良く、うちの家族はみんな怯えて過ごしていた。俺の高校生時代は素行の多少悪いこともあったが勉強を疎かにせず、兎に角ただ単に社会に出るためではない、クソ親父に口出しを許さないように頑張った。あいつの
母や妹はクソ親父から逃げることもできず、逃げるようにいなくなった俺のことを恨んでいるのだろうか? 言い訳はしたくないが、逃げたと捉えられても仕方ないのかも知れない。
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二週間が過ぎ去り八月になった。まさか離婚と同時に実の家族まですべて失うとは思ってもいなかったが、いつまでも落ち込んでいては何も進まないとやっと思えるようになり、
野上弁護士の事務所は自宅から一時間ちょっとの浦和に有るので、面会の後にでも今や誰もいない実家に行ってみようと思う。
結果から言うと、野上氏との面会では特に目新しい情報はなかった。送られてきた文面がそのままでそれ以上でもそれ以下でもなかった。クソ親父の埋葬された墓地や合祀された柊木家の墓地は知っていた寺だったし、一番知りたい母や妹の所在は教えてもらえなかった。
「農家さんの土地はね、簡単に処分できないから相続してもらったほうが楽でいいんですよ」
野上氏の軽い口調に相槌を打ちながら、実家の土地や建物の相続関係の書類に署名と押印をし、必要書類を後で送る約束をして野上氏の事務所を出た。そのままの足で、予定通り実家に向かった。電車とバスに揺られ一時間半で実家の前に立つ。
築百年近くになる我が家はそこにあるものの住むものは誰もいない。ただの空き家だ。玄関を開けて中に入る。二月程度人がいなかっただけでここまで古びるのかと驚いた。生活の道具はそのまま、ちゃぶ台には急須と湯呑が置いてあったし、縁側の長押には洗濯物が引っかけたままだった。
「虚しいな」独り言ち、閉めっきりだった雨戸を引き縁側の掃き出し窓を開けた。
東京のマンションは早々に引き払ってしまおう。仕事ももう辞めよう。独りで生きるには十分な蓄えもある。
どうせ独りで生きていくなら、東京よりこっちにいた方が気が楽かもしれない。荒れてしまった畑を手入れして自分ひとりが食えるだけの野菜でも作っていればいい。失敗してもいい。そもそもやらなくても構わないはずだ。
今の状況を超える不幸など早々ないはずだ。 例え死んだとしても誰もなにも思うまい。
――この選択が絶望し無為な生活を送るはずだった俺に全く逆の彩り溢れる生活を送るようになる第一歩だったなんて、このときの俺は知る由もなかった。
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