約束は守るタイプ

尾八原ジュージ

約束は守るタイプ

 森に入ったときは順調だったのに。


 私はほんの半日ほど前、猫車を押しながら森に入っていったときのことを思い出していた。周りが木々に囲まれて、辺りが暗くなって、空気が爽やかに、冷たくなる感じ。ああ、森に来たなぁって感じ。


 普段都会で暮らしているときには味わえない、特別で懐かしい感じ。いつも通りのあの感じだったのに。


 なのに今こんなことになっているのは、元はと言えば瑠璃のせいだ。何もかも。




「あきらぁ、先に行かないでよおぉ」


 後ろから瑠璃の甘ったるい声がした。私は何の反応も見せないようにしながら、猫車を押してガンガン前に進んだ。積んでいる大きなスコップや鋤が、猫車の上で揺れてガチガチ鳴った。


「あきらってばあぁ、待ってえぇ」


 涙まじりになってきた。だけど絶対に待ってやらないし、振り向いてもやらない。私は半ば意地になっていた。


 森はどこまでも続いているように見えた。ここは私の地元で、幼い頃から祖父が枝打ちなどをするついでに、何度も立ち入った森である。いくらひさしぶりと言っても多少の土地勘はあるし、実際行きは問題なかった。そもそも、そんなに広大な森というわけでもない。


 なのに、出られなくなってしまったのはなぜだろう。


 到着したのが朝の5時過ぎ。今はもう日が暮れて、夜が近づいているのがわかる。昨夜から、短時間の食事と車での仮眠以外はずっと動いているから、体力に自信がある私もさすがにヘトヘトだ。


 歩いていると、また見覚えのある木のところに来てしまった。根元に、私がさっき積んだ小石がある。やっぱり同じところをぐるぐる回っているらしい。


「あきらぁ、置いてかないでぇ」


 瑠璃がヒイヒイ言っている。「ひとりにしないでよおぉ」


 私はまともに応えず、しかしわざと聞こえるように舌打ちをしてやった。友達だったけど、いや友達だと思っていたけど、本当に嫌な女だ。大嫌い。


 私は猫車をその場に下ろし、瑠璃の声がする方を見ないようにしながら傍に座り込んだ。膝を抱えて目を閉じる。冷たい雨が降り始めた。ただでさえ重労働の後なのに、歩くだけ歩いて喉がカラカラだ。買ってきた水は全部飲んでしまったし、お腹も空いた。


(ビール飲みたい。空調の効いた快適な室内で、あったかい天丼を食べながら冷たいビール飲みたい)


 そう願ったところで、今いるところが食堂になるわけはなかった。


「ねぇあきら、どこに行くのぉ」


 知るかよ。外に出たいけど出られねーんだよ。私は瑠璃と顔を合わせることになるのが嫌だったので、相変わらずじっと目を閉じていた。もちろん口もきいてやらない。


「おうち帰りたいぃ」


 あー、ふんふん。そうだね。私も帰りたいです。


「お風呂入りたいぃぃ」


 うんうん、私も風呂あびて着替えたいです。結構深い穴掘ったからねぇ。土だらけだし、汗でベトベトですよ。


「壮太に会いたいよおぉ」


 はー、壮太に会いたいとな。よくもまぁこの女、私の前でそんなことを言えたものだ。


 かわいいかわいい瑠璃ちゃん。小柄で細身で人形みたいに綺麗な顔で、黒目がちの上目遣いがとってもとっても上手な瑠璃が、私の彼氏の壮太を寝取ったから、今こんなことになってるんじゃないか。私の前で壮太の話をするなんて、嫌がらせか? わざとやってんのか?


 いや、違うかもしれない。と私はふと考えた。


 私が知る限り、瑠璃は本物の天然だ。頭と股のネジが異様に緩いだけで、性格が悪いわけじゃない。彼女は美人に生まれた代わりに、オツムの方は非常に残念で、正直私も「こいつ年食ったらどうやって暮らしてくんだろう」と思っていたくらいだ。


 今は裕福な実家から仕送りをもらって暮らしているけれど、もしもそれがなくなったらどうするんだろう? 瑠璃のあの生活力のなさでは、働きに出るどころか、専業主婦も無理だ。料理も掃除も洗濯も家計の管理もご近所付き合いもせず、おうちで旦那様を待っているだけならできるかもしれないが、それはもはや専業主婦ではない。ペットだ。いや、ひとりが苦手な瑠璃は、旦那様が留守の間によその男を連れ込む可能性が高い。しかも他人のものほど良く見える性質の子だから、いずれ揉めるのは目に見えている。ペット以下だ。


 曲がりなりにも座って休憩をとったことで、私はだんだん「いつもの私」に戻りつつあった。瑠璃のバカさ加減に同情しつつ、見下しつつ、なんだかホッとしたり、目が離せなかったりしてしまう私だ。


「ねぇ瑠璃」


 私はとうとう彼女に話しかけた。とたんに跳び跳ねるような、嬉しそうな声が返ってきた。


「なぁに!?」


「私、森から出たいんだけど。出してよ」


 今度は、しゅん……と黙る気配がした。


「やだ……」


 ですよねぇ。瑠璃は私のことを恨んでいるに違いないんだから、私を助けてくれるわけがない。


 それでも私は続けた。雨が背筋に当たって冷たい。


「いいから出してよ。悪いの瑠璃じゃん。私言ったよね? 次に私の男とったら殺すよって」


「ごめん、忘れてた……」


「おばかさん」


「ごめんなさい……」


 まったく、どの面下げて謝ってるのやら。私は一度、瑠璃の顔を拝んでおきたくなった。


 膝の間から顔を上げ、声がした方を見る。


 誰もいない。


「瑠璃、どこ?」


「ごめんなさい」


 呟くような声だけが聞こえた。


 首の根本に包丁を突き立て、左半身を血まみれにし、切り傷がいくつもついた掌を私にむけている……私がイメージしていた彼女の姿は、やっぱりそこにはなかった。




 私は、約束は守るタイプだ。


 次に男とったら殺すからね、と宣言しておいた瑠璃が壮太をとったので、私は自作のハンティングナイフを手に、瑠璃の住むマンションに向かった。


 浮気の証拠を突きつけられた彼女は、メソメソ泣き始めた。


「ごめんん……壮太のこと、ほんとに好きになっちゃったのぉ。怒らないでぇ」


 あのときの瑠璃の子供みたいな顔ったらなかった。涙で潤んだ瞳に、「そんなに怒ることないじゃん」と書いてあるのが見えるようだった。


 それからのことはよく覚えていないけど、瑠璃が何度も「痛い! 痛い!」と叫んでいたことはぼんやりと記憶に残っている。気がつくと私の足元に、首にナイフを突き立てられた彼女が倒れていた。


 私は瑠璃のカップを使って、冷蔵庫の中のお茶を一杯ゆっくりと飲んだ。それから行動を始めた。


 とりあえず死体をバスルームに持ち込んだ。それからは早かった。鹿や猪も解体してきた私のナイフはいい仕事をし、瑠璃はいくつかの黒いゴミ袋に分かれて収まった。乗ってきた自家用車(ちなみに軽トラック)の荷台に死体を積み、念のためきちんと固定してから、私は故郷の森に向かった。


 私が生まれ育ち、今は廃村となった故郷で、猫車やスコップなどの道具を調達し、人気のない森の入り口に車を停めた。ここから先は猫車を押していくことになる。面倒臭いな、と思った。瑠璃のせいだ。瑠璃が私の彼氏を寝取ったから悪いのだ。次にとったら殺すよって言ったとき、あの子はちゃんと「わかった」と答えたのに。


 森の中央付近に、少し拓けた場所があるのを私は知っていたので、そこに埋めた。穴を掘るのは大変だったけれど、雪山でビバークする羽目になったときよりは、自分の命がかかっていないだけマシだと思って頑張った。


 万事順調なはずだったのに。


 幽霊なんてよくわからないものに、負けるとは思わなかった。


「ねぇ瑠璃ぃ」


 私が声をかけると、何もないところから「なぁにぃ」と返事が返ってきた。これではどうしようもない。たとえ私のハンティングナイフがどんなに切れ味が鋭くても、実体のないものは殺せない。瑠璃が私を、霊的な力をもってこの森にとどめようとするなら、物理的な力をもってそれを止めることはできない。


 つまり詰んだのだ。私はため息をついた。


 これからは水源を探し、食べられる野草を探し、小動物を狩って暮らすことになる。寄せ集めの枝や葉っぱで作ったシェルターに寝起きし、日の出とともに活動して日暮れと共に眠る。そのうち畑も作ろうかな。スコップや鋤も持ってきたし……。


「ねぇ、あきらぁ」


 瑠璃の声がした。「元気ないよぉ。どうしたのぉ?」


「元気ないに決まってるでしょ。冷たいビールとあったかい天丼がないんだもん。それにあんたとふたりぼっちだし」


 私がそう答えると、瑠璃は笑った。ざまあみろという笑いではなく、ほほえましいものを見たときのような笑い声だった。


「いいじゃん、あきらぁ。ふたりならさびしくないでしょ」


「だって……」そのとき、私ははたとあることに気づいた。


「瑠璃……私のこと恨んでる?」


 ストレートに尋ねてみると、彼女は「そんなことないよぉ!」とキーの高い叫び声を上げた。


「あたしと友達でいてくれるの、あきらだけだもん! 嫌いになったりしないよぉ」


「じゃ男とるなよ」


「ごめんん……」


 鼻をすすって泣く音が続いた。そういえば瑠璃はいつもは綺麗なのに、本気泣きするときだけは汚かった。涙と鼻水とよだれをだらだら流しながらべそべそ泣くのだ。あれを見ると私は、彼女から受けた仕打ちが、全部どうでもいいことのように思えてきて、腹の底から笑いがこみ上げてくる。


「あははは」


 とうとう私は、声を出して笑ってしまった。


「じゃああれだ。瑠璃はひとりになりたくないから出してくれないんだ。あはは」


「だってやだもん! こんなとこにずっとひとりでいたくないよおぉ」


 まだ本気泣きモードの声だ。なんだなんだ、そういうことだったのか。相変わらず子供みたいな子だ。


 私のこと、恨んでたわけじゃないんだ。だんだん愉快な気持ちになってきた。


「いいこと思いついたよ、瑠璃」


 私は両膝を掌で叩くと、勢いよく立ち上がった。


「壮太を呼んでこようよ。あいつのことが本気で好きなんでしょ。私が連れてきてあげるから、ずーっと一緒にいたらいいよ」


「ほんと?」


 空中から、嬉しそうな声が聞こえた。


「ほんとほんと。絶対連れて来るから、森から出してよ」


 そう言うと、瑠璃は「えっ」と途端に不安そうな声になる。胸の前で両手をもじもじ組み合わせているときのような声だ。


「でもぉ……森から出たら、ちゃんと戻ってくる?」


「戻ってくるって! ほら見て、ここ圏外だよ。森を出て、壮太を呼びにいかないと」


 私はどこにいるかよくわからない瑠璃に向けて、スマートフォンの画面を見せてやった。


「絶対戻ってくるから大丈夫だって! 私が約束破ったこと、ある?」


「ふふふ」瑠璃がまた笑った。「ないよねぇ」


「でしょ? だから……」


 言いかけたその時、私は目の前の木立の向こうに、見覚えのあるものを見た。


 乗ってきた軽トラだ。


 信じられない思いで駆け寄ると、ざっ、と辺りを取り巻く空気が変わった。私は嘘みたいに簡単に、森の外に出ていた。


「瑠璃?」


 返事はなかった。


 私は軽トラの運転席に乗り込むと、キーを回してひとつ、大きく息を吐いた。戻ってきた。森から出られたのだ。


 さて、これからどうしようかな。ここで舌を出して、「バカ女! もう戻ってこねーよ!」とやるには、私は不器用すぎる。


「そんじゃ、壮太を迎えに行くかな」


 カーラジオを点け、うきうきしながら私は独り言を呟いた。


 あんな浮気男もう惜しくない。こうなったら瑠璃にくれてやれ。


 私は約束は守るタイプだ。軽トラを発進させ、ラジオに合わせて鼻唄を歌いながら、私は街に向かった。

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