若葉町の英雄

白雪花房

伝承《過去》と現実《現在》の交差点

 はるか昔。


 真昼の村に夜が訪れた。空を灰色の雲が覆いあたりは薄暗くなる。

 人々は蒼白とし荒い息を吐きながら、逃げていた。

 その背後に鬼が現れる。どす黒くゴツゴツとした肌に醜い顔をした魔物が、棍棒をぶん回す。

 村人は必死の形相になりながら振り返った。あまりの恐怖に声も出ず、歯をガチガチと鳴らす。

 立ちすくんだ男へ棍棒の先端が下ろされた。ブチッと柔らかなものを潰す音。腐った臭いと血の臭いが混じり合う。死が村に広がった。


 刹那、不意に雲が引く。熱い光が降り注ぎ、地上には細長い影が伸びた。

 鬼が何者かの気配を察知して、後ろを向く。濁った目が映したのは、凛とした雰囲気を持つ青年。髪を結い上げ暗色の衣を身にまとっている。彼は木刀を構え、敵を見据えた。

 頭上では太陽が輝く。むせ返るような暑さと日差しで、肌が焼け付くようだった。




「かくしてかの英雄は鬼を倒し、村を守ったのでした」


 めでたしめでたしと棒読みで言う。平坦な語りを終えて彼女は口を閉じた。


「誰が作ったのかしら、こんな話」

「知ったところでなんになるの? くだらない話なんだから作者もくだらないやつに、決まってるわ」

「そうね。よくある話よね」


 高校の昼休み。

 教室はモノトーンに沈んでいた。塵一つない床が殺風景さを際立たせている。

 窓に映る空はくすんだ青色で、かすかに覗き見える大きな広葉樹は、紅く染まっている。

 閉め切っているため、無風だ。爽やかさの欠片もない、牢獄のような空間。

 女子高生たちは気怠げにあくびを漏らした。


 やる気のない彼女たちから離れた位置で、一人の少女がひとりでなにかをしている。いや、むしろなにもしていないのか。

 ふんふんと鼻歌を鳴らしながら、ココアブラウンの缶を開け、ぐびっと飲む。

 次いでパンの包装を破った。優しい匂いが表に出る。

 少女はビニールごとパンを掴むと、まるかじりした。

 もぐもぐと咀嚼するとふんわりとした甘みを、舌で感じる。


「うーん!」


 ご満悦といった様子で、頬をゆるめる。

 一方で数名の女子高生は話の続きをしていた。


「もっとひねればよかったのに。『鬼なんていない』ってみんな知ってるんだから、せめて見どころを作るべきだったでしょ」


 だるそうな声。低めのアルトだ。


「でも、古いお墓はあるんだよ」


 口をもぐもぐと言わせながら、会話に入る。柔らかなソプラノだ。

 ごくんとパンを飲み込む。まだ甘ったるい味が残っている。

 女子生徒たちは一斉に振り返って、声の主を映した。明るめの色のショートヘアに、キラキラと光る瞳――特徴的な容姿である。

 名を希美のぞみという。やわらかな響きも相まって、彼女には合っていた。

 なお、「ヤッホー! 今日もかわいいね」などという言葉が、相手の口から出るわけがなく。

 むしろ黙り込んだ。

 しんと静まり返る中、一人の生徒が冷ややかに切り出す。


「昔の人の墓ってだけでしょ」


 不快げに顔をしかめる。


「なんであんたは信じてるのよ」

「えー? 実際に起きた出来事って考えるほうが、面白いじゃん。ロマンがあって」


 眉をハの字に曲げなから主張を繰り出すと、皆は一斉にため息をつく。まるで相手にされていなかった。

 希美のぞみは引き続きつるりとした顔で、パンを食べる。

 それからおもむろに窓の外をみた。天気は依然として静かなまま。太陽は高く昇り、輝いている。

 散歩するにはいい時間かもしれない。


 明るさに釣られて、外に出た。午後の授業のことなどとうに忘れて、澄み切った空気の中を突き進む。


 校門を抜け、通学路を歩き、公園にやってきた。

 木々の生えた空間。広葉樹は紅葉し、風が吹けば枝から剥がれる。地には赤茶色の絨毯が敷き詰められていた。そっと踏みしめると、乾いた音が鳴る。遊具のある方へと歩みを進める傍ら、落ち葉の匂いがほのかにした。


 前方の道路では自動車が行き交う。

 周囲に煙たい臭いが発生しては、消えていった。

 希美のぞみは誘われるように近場の公園におもむくと、遊具まで歩いていく。


「らーらーらー、若葉はいい町、おいでやすー」


 オレンジのブランコを漕ぐ。軽やかにリズクを刻んで。

 日差しを浴びて気持ちがよさそうだ。


 そこへ一人の青年が通り掛かる。風変わりな者だ。灰色の着物を身に着け、不透明な瞳で、ぼやけた空を見上げている。ひっそりと佇む彼の姿は神秘的で、周りから浮き上がっていた。


 ブランコからおりて少女は日のあたる場所に立ち、道路のほうを見る。

 彼を視認するなり鼓動が速まり、胸がざわめいた。刺激的な匂いの気配に体が熱くなり、心がうずく。ぞくぞく、してきた。


「なにやってるの?」


 声をかけると相手はチラリと彼女を見た。

 彼はすぐに視線をそらす。


「おーい」


 無視を続ける彼に向かって、何度も呼び掛ける。


「ねぇってば」

「しつこいぞ」


 さすがにイラ立ちを覚えたのか、不機嫌そうな反応を見せる。


「わー、やっと気づいてくれたよ」


 光を帯びた顔で、弾んだ声を出す。

 無邪気な少女を見て眉間にシワを寄せながら、青年は尋ねる。


「あんた、なんで平然としてるんだ? 普通、ツッコむだろ。そもそもどうして」


 続きを言おうとして、飲み込む。気まずそうに目を伏せる中、少女は口を開いた。


「うん。近所では見かけない格好だよね。でも、気にしなくていいんじゃないかな」

「おい」

「それより、あたしは希美のぞみ。よろしくね」


 ツッコミはスルー。流れるように自己紹介をする。


「俺は……一夜いちや


 ためらいがちに名前を伝える。

 彼女はぱあっと表情を明るくした。


「かっこいい名前だね」


 少女が笑顔を見せると、強い風が吹いた。木々がざわめき、りんごのような香りがほんのりと、鼻孔をかすめる。

 温かいひだまりの中で青年はひそかに、運命を感じていた。


「町に来るのは初めてだよね。案内してあげる」


 勝手に歩き出した彼女。遠ざかっていく影を目で追ってから、一夜いちやは顔をそむける。彼は白線の内側にとどまっていた。


「おーい、置いてっちゃうよ」


 横断歩道を越えた先で、希美が手を振る。

 なおも青年は棒立ちのままでいたのだが。


「ねぇってばぁ!」

「ああ、うるさい」


 彼女が騒ぐため仕方がないというように、一夜は歩き出す。彼は横断歩道を渡って、合流した。


 若葉町は四方を山で囲まれているほか、町中にも樹木が目立つ。自然が豊かな町だった。

 田舎ではあるが、必要な施設が揃っている。格安で商品が手に入るスーパーに、子どもたちでごった返す一〇〇円ショップ、ライトノベルや漫画がぎっしりと詰まった図書館。

 希美はてくてくと歩道を進み、一夜も淡々と後を追う。

 車の走行音をBGMに、紹介を進めた。


「東川の水はきれいなんだよ。水道水もおいしくてね。普段は浅いのがもったいないくらいかな。でも、雨が降ると増水するんだ。去年とか凄かったよ。梅雨と台風が重なって、一週間以上も降ってね。おかげで道路は水浸し。沈むかと思った」


 晴れた空の下、そよ風を身に浴びながら、歌うような口調で語る。

 途中、自販機で紅茶を購入。飲むと花の香りが口に広がった。

 太陽が昇っているおかげか、気温は高い。心地のよい暖かさだった。


「おかげで避難勧告を食らっちゃった。あんなの、初めてだったよ」


 劇のような驚き顔を見せて、からからと笑う。

 その大げさな雰囲気が受けたようで、彼も微笑む。

 希美のぞみは相手のリアクションに満足すると、調子に乗って紹介を続ける。


「メロウっていう喫茶店、知ってる? 美味しいトーストが食べられるんだぁ。朝にドリンクを頼むとモーニングとして、ついてきてね。これってうちの地域限定みたいなんだよ。お得感があるでしょ? ね、頼んでみようよ。今は昼だけど」

「いや、俺はちょっと」


 一夜は顔をしかめる。


「大丈夫。あたしがついてるから」


 堂々と胸を張ってアピールすると却って彼は、暗闇で迷ったような目付きになる。

 長い沈黙が通き、辛気臭い空気が漂い始めた。逆風が吹き付け、肌がひりつく。いつの間にか太陽が隠れて、あたりはやや暗くなった。


「なあ、なんで俺に構うんだ?」


 トーンを下げて問いかける。語尾はかすれて消えた。


「理由なんてないよ。ただ、助けてあげようかなって」

「俺はお前を必要としていない」

「でも君は寂しそうだったよ」


 希美のぞみは眉をハの字に曲げる。


「それは……」

「寂しいんでしょ?」


 青年は口を閉ざす。

 無言で歩みを進める。靴の裏が落ち葉を踏んで、軽い音が鳴った。近くには枯れすすきが群生している。寒々しい風が吹くと、葉擦れの音が耳に入った。金木犀の匂いもどこからかやってくる。湿気を帯びた秋の匂いだった。


「ね? だから、私と一緒にいようよ」


 彼女はほほ笑みをたたえ、呼び掛ける。彼女の声は小鳥のさえずりのようで、青年の渇いた心を潤した。

 それでもなお一夜は言い返せない。眉間にシワを寄せ、瞳を震わす。


 天には暗い雲が薄く伸びるように、広がっていた。今にも雨が降り出しそうな気配がする。


「それはできない」


 すがれた声で否定する。

 じめっとした土の匂いが妙な主張をする、重たい空気。


 それでも、もしも、叶うのなら。

 一緒にいてもいいかもしれない。

 雲の隙間から太陽が顔を出し、まぶしく光る。照りつける日差しが体を熱くした。



 二人は歯医者や小さな病院が並ぶ通りを抜けて、広場にやってきた。広葉樹のそばにあるベンチに腰掛け、二人でまったりと話をする。

 いつの間にか空には火の色が滲み出した。

 凍てつく風が吹き付け、身にしみる。

 青年は不自然な暑さを感じつつ、冷や汗をかいていた。

 その内、下校途中の学生がポチポチと姿を見せ始め、後ろから控えめな声が聞こえてきた。


「なにやってんの?」

「ついに気でも狂ったか?」


 話を聞いて狂人が現れたのかと思い、希美のぞみはキョロキョロする。近くにいるのは下校途中の学生ばかりで、不審者の影は見当たらない。


「放っておきなさい。あの子はいつでもそうなのよ。見えないものが見えるの」

「でも、絶対におかしいよあいつ」

「馬鹿。聞こえるでしょうが」


 なお、本人は理解できていない。引き続きキョロキョロと周囲を伺う。

 その折、和菓子屋へ視線がいった。よく磨かれたガラスには、少女だけが映っている。となりにはなにもなかった。

 窓に映った少女の顔が、みるみる内に青白くなる。

 とっさに振り返ると、一夜の姿がなかった。

 急に目が覚める。

 暑さを感じながら冷や汗をかいた。


 彼を探さなければならない。

 立ち上がり、衝動に突き動かされるように、駆け出した。


 ぼんやりとした煙のような気配を追いかける。目には見えないそれは、ひどく曖昧で、不安定。強くあることもあれば、唐突に弱くなって、見失うこともあった。

 走っても走っても、彼が見えない。近づいたかと思いきや遠ざかり、掴んだと思えば、引き離される。

 もしかして幻だったのではないか。いいや、そんなはずはない。

 一夜はまだ若葉町にいる。


 不意によぎった可能性。彼が行きそうな場所に心当たりがある。

 一度足を止めて、彼方を向いた。

 青年の正体が伝説の英雄であるならば、彼が向かう場所は一つしかない。

 少女は強い意思で地を蹴った。


 街路樹が並ぶ商店街――若葉通りを抜けた先に、丘がある。

 黒ずんだ灰色に染まった石碑が並んでいた。要は墓場。土の湿っぽさと線香の残り香が主張をする。

 全ての色をなくしたような場所に彼は立っていた。


 空は墨を流し込んだような色に染まっている。


 呼吸が止まっったような沈黙の中、車が行き交う音だけが、聞こえてきた。自動車は猛スピードでやってきてはガスを撒き散らして、走り去っていく。グレーの臭いを洗い流すように、ひんやりとした風が吹く。それでもなお、肌は汗で濡れていた。


 一夜は彼女に気づいて振り返ると、苦々しい顔をした。


「悪いことは言わない。俺だけはやめとけ」


 空洞のような声。

 排気ガスの臭いがかすかに残る空間は、重たい雰囲気に支配されている。


「そうかな。君は村を守って伝説になったんだよね? むしろ、優良物件だと思うんだけど」

「そういう問題じゃない。そもそも、俺はそんな大層な存在じゃないんだ」


 視線を落とす。

 彼は言うべきか迷った様子を見せつつ、ついに口を開いた。


「俺はなにも守れちゃいない。敗けたんだよ。村での生活。愛した人々。楽しかった日々――全部、鬼が奪っていった。

 時間の波に押し流されて、俺だけがみっともなく、希望にすがりついている。こんな哀れな自分を、誰が笑ってやれるものか」


 どんよりとした空を背負って、低い声を出す。

 彼は沈んだ目で遠くを見つめた。

 枯れ葉の匂いがして、淀んだ空気が広がる。地面はぬかるんでいて、足が滑りそうだった。


「いくら伝承で飾ったところで、そいつは俺じゃないんだ。本当の自分に気づいてくれるやつはいない。お前だってそうだ。今ある俺は幻だ。不気味なだけだろう」


 人間とは相容れない。

 そばに現れたか細い光をはねのけるように、一夜は断言する。

 それでも彼女は首を横に振った。


「それは違うよ。だって、あたしには君が見えているんだから」


 凛とした顔で、はっきりと言い切る。

 少女の持つ爽やかな香りが、陰鬱な空気を払った。

 瞬間、息を呑む。

 彼女の澄んだ声の残響が、心に広がる。

 熱い感情が鼻をつんと抜けた。


「どうして……君は」


 彼の顔に光が当たる。

 急に視界がクリアになって、景色が鮮やかに映る。


 なお、続きは出ず、繰り出すべき言葉を失う。

 二人の間を風が吹き抜けていった。

 無言の静寂を切り払うように、彼女は口に出す。


「君はいるんだよ、ここに」


 まっすぐな言葉が、霧がかった心にまで届き、照らす。


 ああ、そうか。


 本当の自分を知ってなお、肯定する者ならば、目の前にいる。

 おのれの望みはすでに叶っていた。

 悟り、声を詰まらせる。

 心がしびれ、震えた。


 きらめく太陽の下で、青年は明るい笑顔を見せる。


「よかった」


 静かに告げる。むせるような熱気に包まれながら。


 瞬間、希美のぞみは目を見開く。

 彼が薄れていくのに気がついたからだ。


「待って……!」


 慌てて手を伸ばす。

 駆け出した。

 だけどもう、間に合わない。

 青年は柔らかに微笑んだまま、彼女の前から姿を消した。

 その残像が霧のように溶ける。


 少女の手は空を切った。


 気がつくと墓場はみすぼらしくなっていた。あたりには退廃的な匂いが漂い、冷え冷えとした風が吹き抜ける。

 彼女はその場に立ち尽くし、走行音が雑音に消えるのを聞いていた。


 枯れた墓場に立ち尽くしながら、現実を受け止める。

 彼は二度と現れないと。

 それでも彼女は悲しまなかった。


 静謐の中、ふと足元に視線を落とすと、花があることに気付く。春に咲くもののような明るい色でしっとりとした甘い香りを放っていた。


「ねえ」


 余韻に浸っているところへ、声がした。

 階段を上ってきたのは、前髪パッツン・ストレートヘアの女子高生。同級生だ。傍らには数名のお供が控えている。


「あんた、なにやってんのよ?」


 からかうような口調。そのためにわざわざ相手を探していたと、言わんばかりだ。


「私ね、今、大切な話をしてたんだ」


 希美のぞみは遠くを見つけてほほ笑んだ。


「話って、誰もいないじゃない」


 相手はあきれたようにこぼす。

 希美のぞみは首を横に振った。


「いたんだよ、確かに」


 雨上がりの空には雲ひとつない。カラットした空気が広がっている。

 涼しげな風が吹き抜けた。青々とした香りがあたりに立ち込める。

 今、西の空に日が沈む。あたりは橙色に染まりつつあった。

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若葉町の英雄 白雪花房 @snowhite

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