2ー2
騒然としていた。
慌ただしさや、焦燥感が至るところから生じている。
厚い雲が広がる知覧飛行場の滑走路脇で、今まさに特攻隊員たちが出撃しようとしていた。
しかし、出発線上に停泊中の九九式襲撃機という戦闘機に整備兵が集まっていて、穏やかな様子ではない。まるで、獲物を見つけたアリたちが仲間と力を合わせて運び出そうとしている様である。
この時、出撃を予定していたのは第30振武隊の隊員たちで、特攻出撃ではなく、更に南の徳之島までの前進であった。天一号作戦発令による沖縄戦が始まった翌日の3月27日に到着した、一番乗りを果たした部隊の前進である。既に到着から三日後の3月30日にも前進を試みたが、天候不良を理由に引き返してきた。万全を期しての2回目の試みであったのだが、この日、4月2日の天候は曇で今にも強い雨が降り出しそうな様子であり、更に追い打ちを掛けるように出撃機の幾つかが不具合を起こしたのだ。エンジン出力が上がらず離陸不能な機体、通信障害が見られる機体、おまけに搭載した250キロ爆弾が滑走中に脱落して緊急停止した機体など、とにかく問題ばかり発生したのだった。
こんな状況になってしまったため、地上勤務の整備兵たちは問題を起こした機体に駆け寄り、状況把握作業に追われていたのだ。
元々、第30振武隊には組成された基地から整備兵が同行しており、自隊の機体整備を自前で行うやり方を取っていた。しかし、第30振武隊に同行する整備兵も特攻隊員たちと一緒に徳之島まで向かうことになっていたため、全員が機体に搭乗していたのだ。そのため、知覧飛行場配属の整備兵が対応した訳だ。
結局、問題を起こした機体の出撃は見送られ、離陸出来た機体についても悪天候のために引き返してきた。第30振武隊の2回目の前進も、失敗に終わった。
機体の整備不良による出撃見送りなど、整備兵からしてみたら苦しい屈辱である。きっと、第30振武隊の機体を整備した同行の整備兵たちは、今頃肩身の狭い思いをしながら明日の再出撃に向けて整備を続けているに違いない。整備不良で事故や出撃計画を乱さないことは整備する者として基本の基とも呼べる概念だ。だから、整備不良で自隊が前進出来なかった咎めを整備兵たちが受けるのは当然の仕打ちであり、仕方の無いことでもあった。ただ、ここのところ整備用の機材調達に難が出てきており、正常な起動が保証された機器だけが入ってくる訳では無かった。物が充分に揃わない状況の中、作戦計画に沿った戦闘機の準備をしなければならず、航行に差し障る恐れを含んだ部品を使わざるを得ない場合も多々あるのだ。整備する側にとって非常に劣悪な事態になっている状況は第30振武隊の整備兵たちも同じなので、そこを理解している才廣にしてみたらとても他人事には思えず、気の毒な気持ちにさえなるのだ。
ただ、第30振武隊付の幼い面持ちの整備兵たちのことをあまり心配ばかりしていられる訳では無かった。
才廣が所属する知覧飛行場の整備隊も、出撃を翌日に控えた特攻機の整備に追われており、自分たちのノルマも相当数あった。
きっと、今日も徹夜だな…。
そんなことを感じながら、
その晩。
才廣が日中に予想した通り、やはりこの日の作業は通常業務時間内に済ませることが叶わず、徹夜しての作業となった。日中に第30振武隊の機体不良もあって、いつも以上に動作確認作業を行うよう上官から叱咤されたこともあり、なかなか思うように作業が進まなかったためだ。
そんな作業も一段落して、本日中の業務は終了する旨が上官から伝えられ、解散となった。ヘトヘトになりながら、川岸と一緒に整備場所の掩体壕を出て、暗闇に包まれた滑走路脇を歩く。歩き出して間もなく、まだ灯りが点る掩体壕があったので、こんな時間になっても作業を続けているのかと気の毒に思いながら見下ろしつつその脇を過ぎる。そんなとき、才廣の視線にはあの第30振武隊付の整備兵たちの姿が入り込んだ。去る3月30日に空襲警報が発令されて、咄嗟に飛び込んだ掩体壕の中に居て少し会話した、幼い面持ちが印象的な整備兵も、せっせと作業を進めている様子が見える。
川岸「おい! 山縣!」
川岸が叫んだとき、才廣は第30振武隊の掩体壕の中へ飛び込んでいたのだ。それと同時に、掩体壕の中で作業していた整備兵たちも突然現れた才廣に集中し、時間が止まってしまったかのように手が止められていた。
才廣は、三日前に話した幼顔の整備兵の前へと近寄る。
整備兵「あなたは…、あのときの。」
才廣「俺は
整備兵「え?」
才廣の申し出に困惑する整備兵たちでお互いに顔を見合わせていたが、やがて才廣が加わってくれることを良しと思う者が現れ始めると、掩体の中に広まった緊張感が緩み、穏やかな空気へと変わった。
整備兵「本当に、良いんですか?」
才廣「俺たちの方は想像してたより早く終わったからな。お前たちだって早く作業済ませて休みたいだろ。明日は出撃な訳だし。」
夜遅くまで自隊の特攻機を整備して、翌日には特攻隊員と共にその飛行機に乗り込んで前進出撃する。身体を休める時間もままならない状況で出撃し、次に着陸した飛行場でもすぐさま整備作業をする。そんな様子を想像してしまうと、一日働いて徹夜までして整備作業を行ってヘトヘトになっていた才廣も見かねてしまうほど気の毒だった。
整備兵「ありがとうございます。そしたら、お願いできますか?」
才廣「あぁ。」
背後で土埃が舞う。川岸もこの掩体壕の中へ飛び込んできた。
川岸「本気かよ?」
信じられなそうな表情を見せながら才廣の横へ来る川岸だった。
才廣「悪い。俺はここの整備を手伝ってから戻るから、川岸は先に帰っていてくれ。」
俯いて、後ろ頭を掻きむしる川岸。そして、二、三度首を横に振ると、「えーい」と吐き出してニコっと笑ってくる。
川岸「それなら俺も加わるぞ。山縣一人残して先に帰ったら、整備兵としての誇りに傷が入る。」
才廣「川岸…、ありがと。」
才廣と川岸の前で様子を伺っていた幼顔の整備兵が、帽子を取って一礼してきた。
整備兵「本当に助かります。」
それから、整備隊長と思しきやや年長の整備兵が全体に指示を出して、才廣と会話した整備兵と
現状を聞いて、才廣と川岸も作業を始める。
機体下部に、一度外された250キロ爆弾を取り付ける作業を、才廣は大橋と共に行う。まだ感作装置を付けないことから、明日の出撃が特攻出撃ではないことを物語っていた。
才廣「今日は大変だったな。」
大橋「自分たちが至らなかったことの現れです。」
話を聞いていると、機体不良で出発線上で止まってしまった機体の回収と、他の不良機体の機器動作確認を行ったために大幅な時間を取られてしまったようで、加えて、出撃したはずの機体も天候不良で引き返してきたことから更に整備を要する機体が増えてしまい、手に負えない状況だったという。
才廣「明日も出撃するのに、大変だな。」
才廣の言葉に、大橋は一瞬肩を落とすような仕草を見せた。
大橋「僕たちは、もう行きません。」
才廣「んん?」
大橋「今日の軍議で、第30振武隊だけで前進することに決まったんです。僕たち整備兵は
才廣「そうだったのか…。」
最後のネジを締める。これが済めば、この機体の爆装関連の作業は終了だ。
大橋たち第30振武隊付整備兵は、第30振武隊が組成された時から同行していたと聞いている。組成されてからも長く、その間もずっと行動を共にしていたため、特攻隊員と整備兵という垣根を越えた心情で結ばれているように才廣には感じられた。もし特攻隊員たちに、最期のときまで一緒に付いて来いと言われたら喜んで同行すると言わせるまで、その団結力は強かった。そんな中、突然同行を打ち切られ、特攻隊員たちを見送る立場になってしまった大橋の気持ちを察すると、どこかやるせないものを感じた。
才廣「それは、残念だな。」
大橋は首を横に振って、ジャッキを外す。
大橋「遅かれ早かれ、特攻隊の皆さんとはお別れすることになりますから…。予定より、ちょっと早くその時が来ただけ。そう思います。僕たちは整備兵。特攻隊の皆さんとは違いますから。死にに往くようなことはしません。一緒に付いて往く訳にはいかない身分ですから。」
気丈にそう言い切る大橋の声には、所々掠れるところがあった。きっと、突然決まった特攻隊員たちとの別れについて、話ながら自身の覚悟を定めていこうとしていたように思えるのだ。本当は、整備兵の身分でありながら特攻隊員と共に特攻出撃するほどの気持ちだったはずだ。そんな彼が、共に往こうと決意した仲間を見送ることになるのだ。自分の一部になっていたものが砕かれて、その一片を失ってしまうような感覚だろうか。喪失感は相当なものなのだろう。だから、立て続けに自分は特攻戦死する立場にないことを意図する言葉を言い放ったのだろう。
大橋は疲れた笑みを浮かべながら、はっきりとした口調で話してくる。
大橋「だから、今日は目一杯仕事しますよ。明日は絶対に、全機飛び立てるように。」
才廣「そうだな。」
それ以上は、話さなかった。話せなかったと言った方がより適切だろうか。作業に関わる短い会話以外は、もうしなかった。
才廣と川岸が加わったことも功を奏してか、第30振武隊の機体の整備作業は想定より早めに終わらせることが出来たようだ。
大橋「今日は本当にありがとうございました。おかげさまで、想定していたよりもだいぶ早く済ませることが出来ました。」
川岸「それはよかった。俺たちが協力した甲斐もあったというもんだ。」
才廣「明日も頑張れよ。」
大橋「はい!」
第30振武隊付整備兵の6人が整列して、帽子を取って一礼する。
彼らに見送られながら掩体壕を出ると、才廣と川岸はようやく帰路に就いた。
飛行場からの道を歩きながら、才廣は大橋が言った言葉を思い出す。
“僕たちは整備兵。特攻隊の皆さんとは違いますから。死にに往くようなことはしません。一緒に付いて往く訳にはいかない身分ですから。”
アイツらはきっと、特攻隊員たちの傍にいて、いつしか自分たちも特攻隊と同じ立場になったように感じたのかな? 御国のために死ぬ覚悟を、特攻隊員と一緒に果たそうと。
でも、結局、見送る側の人間に戻された。
才廣「なぁ、川岸。」
いつものように隣を歩く川岸に才廣は話し掛ける。
川岸「どうした?」
才廣「やっぱり、俺たち整備兵は、仲間が死にに往く門出を、見送ることしか出来ないのかな。」
川岸は、「うん」と肩を落としながら呟いただけだった。その短い返事には、“自分も同じことを感じていた”という意図が込められていると、才廣は確信として感じ取った。
夜闇に浮き出るように光る桜の花びらが舞い落ちる中、二つの陰が彷徨しながら消えて行った。
翌日。
1945年4月3日。
この日は15:10発の発進を皮切りに、第22振武隊、第23振武隊が特攻出撃。徳之島までの前進のため、第30振武隊と第46振武隊が知覧飛行場を離陸する。
出発線の横では、これから発進する第30振武隊の特攻機を見送る大橋や森本ら第30振武隊に同行していた整備兵たちの姿があった。
大橋は、自らが整備した特攻機に搭乗する第30振武隊の特攻隊員たちに別れの挨拶をして回り、隊長が搭乗していると思しき機体へは、花束を持って近寄った。すると、搭乗していた口髭が特徴的で凛々しい貫禄を持った隊長らしき男がコクピットから身を乗り出してきて、穏やかな笑みを見せながら大橋の言葉を聞いていた。年で言えば27、28くらいだろうか。間違いなく才廣よりも年上だろうと感じる落ち着きがあった。それに対し、大橋はまだ16、17くらいだろうから、まるで年の離れた弟のような存在だったのだろう。大橋を見下ろす隊長らしき男の目は、とても優しかったのだ。今にも泣き出しそうな顔を見せる大橋の俯く頭を左手で優しく撫でてやっている。
「お前はしっかりとこの世を生きて、俺たちの代わりに日本の行く末を見詰め続けてくれ。」
彼らの位置から少し後ろに下がった所で眺めていたため、彼らの会話は途切れ途切れだが、はっきりした声で隊長らしき男がそう言っているのが才廣にも聞こえた。大橋は頷いてから、花束を隊長らしき男に渡す。何か大橋が呟く。「ご武運を。」そう言ったのだろう。花束を受け取った隊長らしき男は、優しい笑顔で大橋の頭を撫でてやると、コクピットの中へ戻った。大橋が後ろに下がってくる。隊長らしき男を乗せた特攻機が轟音を立てながら走り出す。そして、そのまま大空へと続く白い道を駆け上がっていく。
才廣は、仲間の特攻機が昇っていった虚空をじっと見詰めている大橋の横へ歩み寄った。すると、大橋は右手の袖で目元を拭うと、才廣に笑って見上げてきた。ただ、その笑みには硬さもあった。きっと、仲間との惜別に泣きたい気持ちを必死で抑え込んでいるのに違いない。頑張って作った笑顔だったのだ。
大橋「きっと、今度は皆さん、無事に徳之島まで行けますね。それで、ようやく、任務を果たすことが叶う。御国のために、やっと働きに出れる。」
才廣「………」
もう一度、大橋は虚空を眺める。
大橋「こんなに、嬉しいことは、ありませんね。」
途中で切れ切れに話す大橋の言葉を聞いて、才廣は思わず大橋の肩に手を伸ばして抱き締め、大橋と一緒に南の空を見上げた。
これが、俺たちの仕事なんだ…。
口には出さなかったが、才廣は大橋にそう語ってやるように、自らに言葉を送った。特攻隊員たちが飛んで行った大空を見詰めながら。
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