1ー2

 比較的穏やかな日々が続いた知覧飛行場であったが、3月も中旬に入ると事態が徐々に変化してきた。

 沖縄南部で日本軍と連合国軍の間で小規模な衝突が発生し始めたのだ。これは、アメリカを始めとする連合国軍が沖縄の占拠に本腰を入れてきていることが明白になったことでもあった。元々沖縄方面の防衛のために、陸軍は牛島中将を司令官とした第32軍を組成して任務に当たらせていた。しかし、本土からも応援や共同作戦の一環として、九州各地の飛行場から戦闘機が出撃することが増えてきたのだ。


 この知覧飛行場にも緊張が走り始めていた。

そんなある日の昼、飛行場の隅に植わってる松の木の下に座りながら、整備兵仲間と一緒に4人で昼飯を食べているときだった。

沖縄方面の状況について雑談していると、整備兵仲間の安達あだちわたるが言った。黒縁の眼鏡に映るクリクリとした目が特徴的な奴だ。

安達「ここは特攻基地になるみたいだぞ。」

黒縁の眼鏡の真ん中を指でつまんで位置を直す安達の顔を、車座のようにして座って握り飯を頬張っていた整備兵たちが一斉に見詰める。

「ホンマか?!」

と花火のように弾んだ声で言ってきたのは、大阪生まれ大阪育ちの本間ほんま信郎のぶおだった。何か信じられない出来事に直面すると必ず「ホンマか?」と弾んだ声で聞いてくるのだが、驚いて本間がホンマか?と聞いてくるものだから、整備兵仲間の間では「さすが大阪人だ」とか「そりゃお前だよ」だの言って笑いを取るのだ。

安達「はいはい、そりゃアンタだ。」

一瞬走った緊張感が消えて、仲間たちの頬が緩む。

本間「真面目な話してんやろ!」

安達「悪い! 気付かんかった! なんせ、お前の顔ときたら天下一品の阿呆面だったから、真面目の“ま”の字も気付かんかった!」

笑い声が湧く。

本間と安達は同期入隊だったらしく、同じ教育隊に所属していたことからか仲が良かった。二人とも関西地方の出というのも、同い年の19歳というのもまた、この二人が親しくなる要因になったのだろう。ただ、整備兵としての腕前は才廣ほどではなく、昨年入隊で整備兵になってからは半年を過ぎたくらいだった。

「それで、いったいどこから知った情報なんだ?」

安達と本間のやり取りを才廣同様に眺めていた、この中で最年長(22歳)の川岸かわぎし辰哉たつやが口を挟んだ。才廣が赴任してきてすぐに話し掛けてくれたのも川岸だった。(ちなみに、知覧の青空が見事なもんだと思ったあの日、燃料庫へ連れて行ってくれてションベンに消えた人物こそ、川岸辰哉だ。)長身で面倒見がよく、他の整備兵たちからも兄貴分のような存在になっている。(もしかしたら周りの圧力もあったのかもしれないが)自ら志願して入隊してきたらしく、整備兵としての経歴も上官を除くと一番長かった。

安達「さっき便所に行ったら、先に入ってた上官たちが話してました。上官たちが口を揃えて言ってたんで、間違いないだろうと。特攻装備の図面が送られてきたとか何とか言ってましたし。」

川岸「そうか。それなら、間違いではなさそうだな。」

そんな会話を、才廣は残り半分にまで減っていた握り飯を頬張りながら聞いていた。

本間「特攻装備って言うんは、爆弾積むってことか?」

安達「そりゃそうだろ。爆弾積まないで敵艦に突っ込んだらただの自殺行為だろ。」

本間「そうやのうて、積むとき爆発しやせんやろか?」

安達「そんな心配することか? 信管抜かなきゃ平気やろ。」

黙ったまま握り飯を見詰めつつ、関西人の戯れ言に耳を傾ける。

会話の声が途切れ、何事かと思って視線を移すと、みんなの視線を一気に受けていたことに気付く。

才廣「どうした?」

本間「何や静かにしよるから…。」

才廣「い、いや。別に何でもないよ。腹が減って握り飯食うのに必死だった。午前中の仕事キツかったしな。」

適当なことを言って誤魔化してみる。

川岸「そういえば、山縣は戦闘機が頻繁に出撃した飛行場に居たんだろ? 特攻機とかの整備って経験あるんか?」

特攻、つまり特別攻撃と呼ばれる爆弾積載の飛行機を直接敵の艦隊に衝突させて爆発させる航空特攻という戦法が実戦投入されたのは、昨年、1944年10月に行われたフィリピン沖での海軍による神風特攻隊からであった。作戦実施の後、まもなく号外の新聞が出たので、才廣はそこで爆弾積載の戦闘機が敵の空母に体当たり爆発して撃破したという戦果報告を知った。

 捨て身の攻撃が、ここまで大きな戦果を上げるとは。

ここのところ後退ばかりだった日本の力も、まだまだ抵抗できるものが残されていたかと、その時は賞賛の念に駆られた。

ただ、それはあくまで海軍の戦略であって、どこか対岸の火事のような気持ちだった。しかし、間もなく陸軍でも特攻作戦が展開されるようになり、戦線に近い飛行場では特攻機の整備や改造などを実施することになるだろうかと思ってはいた。ただ、かつて赴任した相模飛行場からは、少なくとも才廣が在籍していた間は特攻作戦の飛行機が出撃することは無かったので、川岸の質問に対する答えとしては“否”であった。

才廣「いや、特攻作戦で使う飛行機は来なかったんで、経験はありません。」

川岸「そうか。首都圏からはさすがに出て行かないか。」

才廣「まぁ、東京や横浜が大規模な空襲に遭ったら、防衛のために特攻作戦に出たりするかもしれませんが。」

冗談半分にそんな例え話を切り出していた。

才廣「俺が在籍してた間は無かったですね。」

安達「それじゃあ、みんなで特攻機の整備法を一から覚えないといけないですね。」

川岸「そうだな。近々説明があるんじゃないか?」

川岸の言葉の後、本間は「う~ん」と声を漏らしながら大きく伸びをする。そして、おもむろに立ち上がって背後の鉄柵を両手で掴み、飛行場の外側をなぞるようにして延びる道を見渡し始めたのだ。

本間「にまた、覚えることばっかりや…。」

とぼやきが聞こえてくる。

安達「まぁ、お前は特段ものを覚えるのが苦手だからな。」

本間「辛いわ~。」

川岸が笑い出す。

いったいどっちの意味で本間は言ってきたのだろうか。

本当に辛いわ~という意味なのか、それとも本間(俺)辛いわ~という意図なのか?

安達「もう、紛らわしい言い回しすんな。」

と、川岸や才廣の気持ちを代弁するように安達がもの申す。すると本間は首を回してこちらを見て、「うるせー」と言わんばかりにじっと怖い顔で睨み付けてくると、すぐにまた道の方を見渡した。

本間「あ~、またあの可愛い子、通らんやろか。」

毎度毎度おなじみの言葉が聞こえてきた。

 二月ほど前に、たまたまこの道を通った近くの女学校の女子生徒が本間の好みに合っていたらしく、それからは毎日昼食の後に鉄柵の外を眺めるのが日課になっているのだそうな。だが、なかなか本間好みの女子生徒は通ってこないようだが。

 むしろ、毎日毎日柵を掴んで自分のことをジロジロと見詰めてくるが居るとわかれば、遠回りしてでもここを通るのは避けるだろうな。

ぼんやりと本間の後ろ姿を眺めながら、そんな悪態を心の中で呟く。

川岸「さ、そろそろ格納庫に戻るぞ。」

みんなの昼食が終わったところで川岸が号令を掛けると、才廣と安達と本間は素直に従って格納庫へと歩き出す。短い昼休憩も間もなく終わりだ。

 ここが、特攻基地になるのか。大本営は、これを見越して俺をここにやったということなのかな?

才廣はそんなことを思いながら、格納庫へと戻った。


 翌日、とんでもない報せが入ってきた。

才廣「え? いま、何て?」

日中の業務で試運転から戻ってきた飛行機の整備を行っていたとき、才廣は川岸からある報せを受けたのだ。

川岸「だから、東京で大規模な空襲があったみたいだぞ。被害状況はまだ把握し切れていないらしいけど、かなりの市民が死んだらしいぞ。」

1945年3月10日、日付が変わった頃から未明にかけて、東京の東側、深川や城東、浅草、両国、日本橋など、下町を中心に東京都市部の広範囲がアメリカ軍の空襲を受け、多数の死者を出した東京大空襲が発生した。のちに、この空襲での死者数は8~10万人とわかり、単独の空襲による犠牲者は史上世界最大と言われている。

才廣「そんなことが…。」

実家のすぐ隣の県で、そんな大規模な空襲に遭ってしまうなんて…。

才廣「かなりの市民が死んだっていうのは、アメリカは軍の施設を狙って空襲した訳じゃないってことか?」

川岸「わからねぇ。けど、聞くところによると、今度の空襲は住宅が密集してる区域が主に狙われたって話もあって、軍の施設というよか、むしろ一般市民を狙ったっていう見方が濃厚だぞ。」

才廣「なんてむごいことを…。」

それを聞いて才廣には気掛かりなことが涌いてきた。都市部の人口密集地帯を狙い撃ちにしたのだとすれば、今後は東京だけでなく、東京周辺地域にある人口の多い都市も標的にされる可能性が大いに考えられるのだ。横浜市は東京の隣の神奈川県にあり、神奈川県の中で最も人口の多い都市だ。実家のある東神奈川は、まさに横浜市の中心地の一角に位置しており、アメリカの空襲を受ける危険性を強く感じるのだ。

川岸「なぁ、山縣って、実家は神奈川だって言ってたよな?」

才廣「あ、あぁ。」

なんとなく、川岸も才廣と同じ懸念を抱いているのだろうか。

川岸「神奈川のどこだ?」

才廣「横浜…。」

川岸「横浜か…。かなり人が多く住んでいそうだな。」

才廣「県内一だよ…。」

皮肉を呟くように言った才廣の言葉を受けた川岸は、肩を落とす。

川岸「何事も無いと良いんだけどな。」

才廣「………。」

“何事も無いと良いんだけどな”と呟いた川岸の口調は、非常にひ弱だった。それがどういう気持ちを持って言った言葉だったのか、想像するのに容易であったのが、才廣には辛かった。

「おい! そこ! 何サボってる!!」

上官からの怒号が飛んできたので、即座に川岸と一緒に「申し訳ありません!」と叫んでそそくさと持ち場へ戻った。だが、才廣はその日、常にどこか落ち着きを失い、その後も二度三度軽微な失態を犯し、上官からこっぴどく叱られ続けてしまうのだった。


 その三日後、3月13日には大阪で大規模な空襲が発生し、こちらは本間の実家があったので、この報せを聞いた本間は一日中落ち着きが無くまともに職務を遂行するのが困難になるほど落ち込んでいた。


 この大空襲の報せは、日本の本土が既に連合国軍の直接攻撃の範囲内に置かれていることを目の当たりにさせる出来事となった。

 こんなに危険な状況にまで追い込まれてしまうなんて…。

本土の大空襲と、知覧ここの特攻基地化と言い、日本軍がかなり厳しい状況になっていることを感じつつある才廣だった。


 そんな不穏な空気が流れ始めた知覧飛行場だったが、更に事態が想像以上に劣悪なものだと言うことを知らしめる出来事が起こった。

 1945年3月18日。

朝、いつものように格納庫に集合して整備兵で整列して朝礼をしていたときだった。

低く重苦しさを漂わせながら甲高く轟くサイレンが聞こえてきたのだ。

その音が何を意味するのか、物心付いた頃から戦時下を度々経験していたらすぐにわかるものだ。

上官が怖い顔をして叫ぶ。

「空襲警報だ!」

整列した整備兵の間で動揺が走る。

「すぐに掩体壕えんたいごうに隠れよ!!」

上官の号令と共に、整備兵たちが一目散に掛けて散っていく。みんなそれぞれ近場の掩体壕(・・・空襲による機銃や爆撃を避けるために造られた穴や土塁で囲われた場所)へ分散して、空襲をやり過ごすのだ。


 上官の“隠れよ”という声を聞いてから、はっきりとした記憶が残っていなかった。ただひたすら、まるで徒競走の走者のように一番目指してゴールへ駆け込むが如く、何処と考えず走って掩体壕へ飛び込んでいた。

 ふと気が付くと、隣に川岸の姿があった。

そのとき、ようやく才廣は意識がはっきりとしてくるのを感じた。

 何処の掩体に隠れたのだろう。

ただ、この掩体の中には川岸の他、十数名の整備兵の他にも、別の地上勤務の兵たちも混じって小さく身を屈めている。


 重苦しい空襲警報のサイレンの中に、更に重たい羽音が聞こえてくるのを感じる。まるで、クマバチやスズメバチにでも遭遇してしまった不運のような境遇だ。

冷や汗が滲む。

川岸「来たか?」

こんな所へ空襲してくるとしたら、間違いなくこの飛行場を狙ってのことだろう。滑走路や格納庫、通信施設などが攻撃対象となるのだろうか。

蜂がじりじりと近づいてくるのと同じように、プロペラが風を切る音が恐怖を纏って大きくなってくる。

 その時は、銃声が連続して聞こえたと同時に、近くの地面が被弾する乾いた音が散発的に響いてくる。

 ついに攻撃された!!

そう思いながら、才廣は両手に作った握り拳に強い力が込められた。


 何機の敵飛行機が飛び交って居たのだろう。

地上の生き物を嘲笑うかのように銃弾をばら撒きながら、アメリカ軍の飛行機は去って行った。間もなく、空襲警報のサイレンが止まるのを確認すると、掩体内で身を小さくしていた仲間たちがゆっくりと外に出始めた。

 才廣は川岸と一緒に掩体壕の外へ出ると、そこには凸凹に穴だらけになった滑走路の地面が広がっていた。

 この後、いったいどうすれば良いのだろうか。

頭が呆然として、すぐに何か判断を下すことが出来ない。人は一度死に物狂いで必死になって行動すると、その後で反動のように全く機能しなくなるのだと、才廣は空襲を受けた後はいつも感じる。

そんなとき、隣で才廣と同様に立ち尽くす川岸が口を開く。

川岸「持ち場へ、戻るか。」

才廣は力無く「はい」と返事をするしか出来なかった。


 それが、知覧飛行場が初めて空襲を受けた日のことだった。

それからは、連日空襲警報が発令される日々だった。

 知覧ここも、もう戦場になる。

そう才廣は思った。



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