1ー3

 1945年3月25日の夕刻。

 3月18日の初空襲に見舞われた日の翌日から、格納庫内の工具や機器類の整備や輸送機の整備はほどほどに、誘導路の脇に戦闘機がまるごと収まるくらいの掩体壕の増設・掘削作業が一日の大半を占めるようになった。誘導路脇の掩体壕は既に幾つか存在していたが、増設することになったのだ。毎日毎日、肉体労働が続いていた。だから一日の作業が終わり、兵舎へ戻る頃には残る力なんて皆無と言わんばかりの疲労感があった。

 この日も一日の業務を終え、ヘトヘトになりながら川岸と一緒に知覧市街の中心へ向かう道を歩いていた。

 知覧飛行場に着任してからもうすぐひと月が経つが、川岸とは非常に仲良くなっていると才廣は感じていた。同じ小隊の仲間ということもあるが、年齢が近く年上の存在なのと宿舎が一緒で、加えて川岸の面倒見の良さも相まって、自然と親しくなれたように思う。同じ小隊の仲間といえば、関西出身の安達と本間も比較的仲が良い同僚と感じており、日中は基本的に川岸と共に安達と本間も一緒だった。ただ、この二人とは宿舎が異なるため、業務が済んでしまえば別れてしまう。時折夕食を食べに赴いた飛行場周辺の食堂でばったりと会ったりすれば、昼食時と同じように共に食卓を囲んだりしたが。


 日が暮れた道を歩きながら、陸軍指定の民間の食堂へと向かう。この時間は、唯一自分の正直な気持ちを表現できる時間だと、才廣は感じていた。

 何気ない世間話や冗談の言い合いなど、端から見ればただの若者二人が談笑しながら歩いているだけだろうが、仕事抜きで誰かと話せる時間は知覧に来るまであまり無かったように思う。

 ここひと月ほど川岸と話してきて、川岸辰哉という人物についていろいろと明らかになってきたことがある。

出身は新潟県長岡市で、家は米問屋らしく、新潟県内どころか首都圏にも得意先があるようで、何度か父親を手伝って東京へやって来たこともあったのだとか。川岸と出会って以来、才廣は川岸がやけに東京や神奈川のことを知っているなと感じていたのだが、その理由がよくわかった。

また、川岸家の次男とのことで、年の離れた長兄が既に家業を継ぎつつあったため、自分は他にやることが無いかと模索する学生時代を送ってきたようだ。勉学に励んで偉くなってやろうと野望を持ったこともあったらしいが、新潟県内の大学予科へ進学するも、予科の修了と同じくしてこの戦争が始まってしまったため、大学には進学せず、しばしの放浪の後にとのことで、自ら陸軍に志願して入隊したのだという。

 そんな川岸辰哉の人生を聞いて、才廣が思ったこと。

それは、

“この22歳の男はとても自由な生き方をしているようだな”

だった。

 家が米処新潟の米問屋を営んでいることから、川岸の家は潤沢な金があるのは間違いない。大学進学だって可能なくらいに経済的余裕もあるし、その大学進学を諦めて放浪させてくれるだけの財力もある訳だ。

 同じ商家に生まれても、取り扱う品目と場所が違うだけでこんなにも世界が違うのか…。

家が魚屋を営んでいるという点では、才廣も商家の出だが、自分も川岸と同じ生き方が出来るかと言われると、それは叶わないことだろう。そう思うと、才廣は自然に溜め息が出てしまう。

川岸「この戦争が終わったら、ウチへ遊び来いよな。世界一美味い白い米の飯食わせてやる。」

才廣「それはありがと。楽しみにしてるよ。」

意気揚々と語る川岸に対して才廣はまた溜め息が出た。

 白い米の飯…。なんて贅沢な持て成しだろう。それも米処の新潟県産の米で炊いた飯だ。

思い浮かべただけでよだれが零れそうだ。

才廣「なんなら、お土産にウチの干物でも持って行くかな…。」

格の違いを感じていた才廣から出た皮肉だった。

川岸「お! 良いね~。美味い飯に美味い魚がありゃ、もう何も文句の付けようがないな!」

ハッハッハッと愉快に笑う兄貴分だった。

 この兄貴分には、何も敵わねぇなぁ。自由だし、明るいし、だけど何か起こると冷静に考えられるし、やること為すことどこか品があるし、横浜の下町育ちの俺なんかじゃ、全然釣り合わない…。

そう感じ、また溜め息。

そんなやり取りをしているうちに、目的地の富島としま屋という陸軍指定の食堂に到達した。


 富島屋は知覧飛行場が航空教育隊の訓練学校だった頃から陸軍に指定された民間の食堂だった。そのため、訪れる客は皆陸軍関係者であり、基本的には才廣たちと同世代か更に年下の者ばかりで賑わいを見せている。店を切り盛りするトミという女将も、そういう若い兵士の相手に慣れている様子で、新参の才廣にも「見ない顔だねぇ。転勤だったのかい? それはご苦労なことだねぇ。」と気さくに声を掛けて下さった。見ず知らずの土地に不安を抱いていた者にとって、この女将の声掛けは本当に嬉しかったのを才廣ははっきりと憶えていた。それからは、基本的に夕食はこの富島屋へ足を運んで摂るようにしていた。他の兵士たちも女将を慕っている様子で、親元を離れたばかりの少年兵や着任間もない若い兵士たちはきっと女将に母親のような姿を重ねているのだろう。

トミ「今日はどうだったかい? 空襲もあって大変だったろ?」

注文した料理を運んできてくれた際に、女将は「今日はどうだったか?」と調子について聞いてくる。大抵は「大変でしたね」とか「仕事の量が少なくて暇でした」とか、他愛もないやり取りで終わるが、それが何だか心地良く感じるのだ。女将自身も、自分の家に帰ってきたような気持ちになってくれたらと願いながら食堂経営を続けていると言う。だからこそ、知覧ここの兵士たちはみんな女将を慕っているのだろう。


 店内は、女将の威勢の良い笑い声の他、兵士たちの談笑も聞こえる。それとは別に、常にラジオの番組が流れ続けている、どこにでもありそうな食堂の雰囲気だ。

 才廣も川岸と何でもない話を続けながら夕食を食べる。そして、大方料理を平らげた、その頃だった。

店内に流れるラジオの音が急に途切れ、無音になった。通常とは異なる雰囲気に、店内にいた兵士たちは一時何事かと周囲を見回す。誰も何かを発しようとはしない。まるで神聖なる存在が目前に降臨してきたかのような厳かな空気がその場を包み込み、やたら重厚感を含んだ静寂が出現する。そして、間もなくラジオの音声から男性の声が流れてきた。

その内容は、沖縄方面に迫るアメリカ軍の状況の説明から、大本営が陸軍と海軍双方協力の下、天一号作戦の実施を警戒する段階に入ったことを告げるものだった。

「ついに始まるか。」

そう呟く声がやたら大きく聞こえてくる。

その声を合図に、至る所から各人の思うところを述べる会話が勃発し始める。才廣と川岸もまた同じで、お互いに強ばった表情を前面に見せつけ合う。

川岸「とうとう、その時が来そうだな。」

沖縄方面の状況を鑑みるに、いつでも本格的な衝突が起きても何も可笑しなことは無いと考える兵士は少なくなかった。むしろ、みんなそのように思っているのではないかとさえ感じるほどだ。東南アジア諸国を奪われ続け、日本本土へとじりじりと迫りくるアメリカ軍を始めとする連合国軍の動きを日本は止めることが出来ず、そう遠くない将来に本土決戦が起こる可能性を誰もが感じていた中の、今回の天一号作戦実施の警報発令だ。みんな、ついにその時が来たと思うことだろう。

才廣「そうだな。いつかは、と思っていたけどな。」

川岸「まぁな。」

川岸からどういった意図を持つかわからぬ溜め息が出るのを見る。

才廣「俺が知覧ここへ異動になったのも、きっとこれを見越して人員増員を図ってのことだった訳だろ。」

川岸「恐らくな。」

才廣「始まるんだな。特攻作戦が…。」

知覧特攻基地。

そう呼ばれるようになった知覧飛行場。

これからこの飛行場が、戦場の前線基地になることを意味していた。

相模飛行場に居た頃を思い出す。

常に緊張感から抜け出せないあの日々が、こんな辺境の片田舎にある飛行場にまで及ぼうとしていることに、どこか残念さと焦燥を感じる才廣だった。




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