1ー4
1945年3月26日。
大本営は天一号作戦発動を発令し、正式に沖縄戦が開戦した。
この日、アメリカ軍は沖縄南部の慶良間列島に上陸し、周辺諸島を占拠していた。
きっと沖縄方面を守備する第32師団の兵士たちは、毎日戦闘を繰り返す日々なのだろうな。
南に広がる曇天を眺めながら、才廣はそんなことを思った。才廣の長兄と次兄も陸軍に所属していたが、次兄はまさに第32師団所属で沖縄方面の防備の任務に就いていたはずだった。兄弟だからと軍内で文通することも出来ないので、兄たちが今どのような状況にあるのか何もわからなかった。ただ、次兄は今まさに戦闘の前線におり、南に広がる曇天の下にある死地に赴いていることは確かだった。
もしかしたら、生きている次兄にはもう会えないかもしれない。
そんなことも感じるのだ。
布団を広げたみたいに天を覆う白く光る雲が、ゆっくりと散歩しているみたいに進む様を、ぼんやりと眺めていた。無念無想の心境になれるのなら、なってみたいものだ。何度か試みたことはあるのだが、いつも必ず体現出来ず。煩悩に頭の中が掻き乱され、空虚な心が残る。
背後から回転するプロペラの重低音が響いてくるのに気が付く。
一瞬、アメリカ軍の空襲かと警戒したが、すぐにその緊張も緩む。警報のサイレンも無く、既にこの飛行場へ味方の戦闘機が飛来することは知らされていたからだ。
背後へ翻すと、曇天の白い背景の中に浮き出るように黒い鉄の塊が降ってくる様が映る。十一個の黒金の塊は、やがて翼を広げた飛行機であることが鮮明になり、正面に横たわる滑走路へと滑るように着陸してきた。
整備兵の他、逓信兵など地上勤務の兵士たちが滑走路の横に整列して、飛来してきた戦闘機に乗務していた17人の隊員たちに向けて敬礼する。まるで天皇陛下の凱旋を見守っているようだ。
知覧飛行場に勤務する兵士たちに迎えられた彼らこそが、これから戦地へと向かう特攻隊の面々であった。
隊長さんやその後ろを歩く人以外は、なんだかみんな、幼い顔しているな。
彼らの様子を見ながら、才廣が思ったことだった。
後ほどわかったことなのだが、この日に知覧飛行場へやってきた特攻隊は第30振武隊と言い、隊が組成された基地から6人の整備兵も同行していたのだ。この整備兵は大半が教育飛行隊所属の18歳前後の隊員だったため、全体的に幼い顔立ちの者が多い印象になった訳だった。
その日の夕方、整備兵たちが召集を掛けられたので、集合場所の格納庫へと急行する。
いよいよ、特攻隊の戦闘機に爆弾を設置するのかな?
そんな想像を繰り広げながら、走り込む才廣だった。しかし…。
上官から言われた言葉はと言うと…
「お前らはいつも通り、掩体壕の拡張作業に当たれ!」
とのことだった。
どういうことだ? 特攻機の整備は不要と言うことなのか? それとも、他の整備隊が担当するのだろうか?
そんな疑問が浮かんだ。
ただ、疑問が浮かんだところで、何故明日以降も掩体壕の掘削任務しか与えられないのかという理由を言ってくれる訳では無い。大抵の場合、理由は伏せられてることが多いのだ。そんな納得のいかない命令でも、上官が命じたのであれば理由も個人の納得も必要なく、ただ従うのみだった。
それからすぐに解散になったが、11機もの特攻機の整備を、少なくとも才廣所属の整備中隊は何も関わらないという解せない命令に、才廣は悶々とした気持ちでいっぱいだった。
兵舎へと向かう道を歩いているとき、その不満を隣で一緒に歩く川岸に投げ掛けていた。川岸はというと、どこか愉快なことでも起こったかのような柔和な表情を浮かべて才廣のことを見下ろしてきた。そんな穏やかに笑う川岸にも、苛立ちを覚える。
才廣「悔しくないのか? これから作戦に使われる飛行機の整備をしなくて良いって言われたんだぞ。」
川岸の表情は変わらない。
川岸「まぁな。普通に考えたら、憤慨するさ。」
才廣「じゃあ…」
反論を続けようとしていた才廣のことを、川岸は穏やかな表情のまま、右手を前に出して制してくる。
川岸「今日来たあの特攻隊、全員が特攻隊員って訳じゃ無さそうな感じだったぞ。」
才廣「え?」
どういうことだ? 17人居た第30振武隊の隊員たち。幼い顔立ちの隊員もそれなりに在籍している様子の特攻隊。それが、全員が特攻隊員では無いと言う。どういうことなのだろうか。
川岸「飛来してきた戦闘機は11機だったが、半数の機体には二人搭乗してきた。」
才廣「それが何だって言うのさ? 九九式襲撃機なら二人乗りの戦闘機だろ。別に普通なことじゃない?」
才廣の言葉を受けたとき、ようやく川岸は顔面から穏やかさを消し去った。そして、しっかりと才廣の顔を見ながら話を続けてくる。
川岸「後ろの座席から降りてきた奴、あれは多分整備兵だ。」
才廣「え? 整備兵?」
頭の中が一時的に停止してしまったかのような無の境地に立たされる。そんな才廣に追い打ちを掛けるが如く、川岸は持論を展開し続ける。
川岸「パイロットと違って、制服が油で汚れている部分が散見された。中には手が油で黒く汚れている奴も居た。」
才廣「よくそんな細かいとこまで気にして見ていたな…。」
隊員たちが搭乗機から降りてくる場面など、一瞬の出来事だ。その一つ一つに細かな特徴を見出す川岸の能力とはいかなるものか?
そんな気分にさせてくる。
川岸「ま、整備兵を2、3年続けていれば、自然と同業者を嗅ぎ分ける感覚が身につくものさ。」
冗談めかした言葉を無邪気に笑いながら話してくる。
川岸はまた真面目な表情に戻り、話をまだ続けてくる。
川岸「それに、わざわざ一人でも操縦出来る特攻機に、二人乗せて出撃する必要は無いだろ。後ろの奴は無駄死にするだけじゃないか。」
才廣「まぁ、確かに…。」
それはもっともだった。総力戦を仕掛けるのであれば、物資も人材もできるだけ確保しておいた方が良いに決まっている。
川岸「そういう点を総合的に考察すると、あの後部座席から降りてきた奴らはみんな整備兵だと思った訳さ。」
納得がいった。
それなら知覧飛行場に元々在籍している整備兵に頼る必要もない。むしろ、ずっと第30振武隊の特攻機の整備を任されてきた整備兵たちの方が、より自分たちの機体の特徴も把握済みで、より効果的な整備が出来るだろう。
才廣「だから、俺たちは直接特攻機の整備はしないと?」
川岸「そういうことだな。ただ、これから多くの特攻機がやってくるだろうから、今のうちに掩体壕を増やしていた方が合理的だから、
才廣「そういうことか。」
まったく。こういう理由がしっかりと背後にあるなら、ちゃんと俺たちにも話して欲しいもんだよ!
そんな悪態を衝けない気持ち悪さを抑え込みながら、少しずつ花びらがほころび始めた桜の木の下を歩いていった。
翌日の3月27日。
この日も、特攻機の到着があった。
そのため、才廣が所属する整備中隊も特攻機整備の任務に就き、完成したばかりの新しい掩体壕の中に待避させた特攻機の整備作業に追われることになった。
ただし、この日到着した特攻機も昨日到着した第30振武隊の特攻機も、いずれも
翌日3月28日。沖縄本島の北飛行場へ前進する部隊が知覧飛行場を離陸していった。
それからは、断続的に特攻機が到着し始め、全国各地の飛行場から特攻隊員たちが知覧飛行場に集結し始めた。収容している特攻機もそれなりに増えてきて、これまで比較的穏やかだった日々が一転、慌ただしく整備に追われる毎日に激変したのだった。
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