2 桜の花が散る頃に
2ー1
九州の桜は、早いんだな。
夕暮れ時、一日の業務を終えて、知覧飛行場から兵舎へ戻る道を歩いているとき、桜の木が並ぶ所を通ったときに感じたことだった。
既に散り始めており、満開時期を過ぎてることを表現していた。
今朝方、出勤のためにここを通ったとき、この桜の木から五本程度枝を抜き、それをこの日に出撃する戦闘機のコクピットに固定して、桜で飾ってやった。
その戦闘機に搭乗したパイロットは、既にもう亡くなっていることだろう。敵艦隊への体当たりと、自分の手で搭載した250キロ爆弾の爆発で爆死しているはずなのだ。このような死に方を、世間では
1945年4月1日、
才廣が整備した特攻機に搭乗して飛び立ったパイロットは、
夜中まで整備作業を続ける才廣に、“ありがとな。俺たちのために、こんな遅くまで頑張ってくれて”と激励の言葉を掛けてくれたことが鮮明な記憶として才廣の心に焼き付いていた。
自分は整備兵という後方支援に徹する身分のため、特攻隊員のように命を懸けて戦うことは無く、国のために戦って死ぬという日本男児としての本懐が陸軍に入隊しておきながら遠い存在にあるように感じてしまい、自分の今の状況に卑屈になっていた。そんな状態の才廣にとって、大川少尉が遺した言葉は大きかった。
“そんなに遠慮することは無いんだぞ。飛行機がまともに飛べなかったら、俺たちは特攻どころか戦場にも行けないんだからな。日頃から愛機の整備をしっかりやってくれる人が居てくれるから、俺たち空中勤務者は胸張って戦いに行けるんだ。だから自分たちの仕事に胸張って良いんだからな。”
この言葉に、才廣の心はどれだけ救われたのだろう。
才廣を励ましてくれた大川少尉を見送ったのは、つい先ほどだったようにも感じるし、ずっと昔の思い出のようにも感じる。実際には、まだ半日も経っていないだろう。
今朝方、枝を抜き取った桜の木を見上げる。
また少し、花が散ったな…。
そう感じながら、才廣は立ち止まる。隣を歩いて同じ兵舎へと向かう整備兵仲間の
川岸「どうした? この桜の木がどうかしたのか?」
才廣を真似るように桜を見上げる川岸だった。
才廣「もう、散り始めているんだなって、思ってな。」
川岸「あぁ。確かに早いよな。さすが九州だけあるわな。」
才廣も川岸も、故郷で桜を拝むのはもう少し後になるだろうか。いや、神奈川県横浜市出身の才廣にとってはちょうど咲き始める頃か。新潟県長岡市に実家がある川岸について言えば、まだ桜の開花は先になりそうだが。
川岸「そういえば、今日特攻出撃した飛行機の中に、コクピットに桜が飾られてたものがあったな。」
才廣は息を呑む。
川岸「あれはなかなか粋な計らいだよな。俺もそれくらいやってやればよかったよ。」
息が詰まるような思いに駆られる。
水中で溺れてしまったかのような息苦しさだ。その苦しみを打破するために、何とか浮きにしがみ付くが如く、才廣の口から言葉が出てしまう。
才廣「あの機体を整備したの、俺なんだ。」
川岸「え? じゃああの桜も?」
黙ったまま頷いて、そしてまた、頭上の桜を見上げる。それに倣うように川岸も頭を上げる。
川岸「もしかして、この木から取ってきたのか?」
才廣「そういうこと。」
川岸から溜め息が出される。
川岸「そうだったのか。」
才廣は一度、大きく深呼吸して落ち着きを少しでも取り戻そうと努めてみる。
才廣「昨日の夜に、あの機体のパイロットが来たんだ。少し話して、俺に、“こんな遅くまで頑張って、ありがとう。俺たち空中勤務者が戦えるのは、しっかり機体を整備してくれる整備兵のおかげだ”って、励まして下さった。」
話ながら、いつの間にか視線が地面へと向けられていた。川岸からは、俯いているように映るだろうか。
川岸「そうだったのか…。」
もう一度、才廣は桜の木を眺める。
才廣「とても嬉しかった。そんなふうに激励してくれたパイロット、初めてだったし。だから、桜の枝はそのお礼のつもりだった。」
川岸「そういうことだったのか。」
風に揺れながら、花びらが舞い落ちる様を見詰めてみる。まだ桜吹雪とまではいかないが、風が吹けば一枚、二枚と少しずつ花びらが散っていく。まるで、今日出撃した特攻隊員たちのように。
才廣「ついさっきまでお元気そうに話していた人が、もう居ないと思うと…。」
咄嗟に、才廣は言葉に出してしまうことをやめた。軍人として、国のために命を投げ打ってでも戦い抜くのは当然の責務だ。それを見て悲しいなどと言ってしまっては、戦死していった仲間たちに顔向けできないと思ったからだ。
初めからそんなことはわかっていたつもりだった。今までだって、「ご武運を!」と言って出撃を見送った戦闘機が戦いの末に戻ってこないことは度々経験していたはずだ。
しかし、今までと今回とでは違うことがあった。それは、自らが爆弾を取り付け、機銃などの装備品を撤去して、敵艦突入以外の攻撃手段を用意しない点である。それはつまり、自分が整備を担当した飛行機に乗るパイロットに「死んでこい!」と告げるようなものであった。今まで携わってきた整備において、これほどまでに“死”を意識したものはなかった。仲間の命の終末を決めてしまうという重圧を感じながらする仕事など、初めてのことだった。
才廣「いや、何でも無い。」
突然話を中断した才廣に、川岸は何と言ってくるだろう。恐る恐る頭を上げて、夕闇に沈みかけた川岸の顔を見上げてみる。川岸はというと、才廣の予想に反して桜の木を見上げたまま、黙って頷いてくるだけだった。
ひょっとしたら、川岸も才廣と同じ気持ちになっているんじゃないか?
そう感じる。
川岸「明日もまた、やってくるぞ。」
独り言でも呟くように、川岸は言った。
桜がゆっくりと舞い散る中、微かにその声が聞こえたのだ。
川岸「俺たちの仕事ってさ、飛行機の整備もそうだけど、もしかしたら、仲間の最期の飛び立ちを、見送り続けることなのかもしれないな。」
確かにそうだと才廣は思う。
前線の基地とは言え、敵が直接基地を襲撃してこない限り、整備兵が戦いに参加することは無い。戦いに出て行くのは戦闘機に搭乗する飛行兵であり、整備兵は常に死と隣合わせの飛行兵たちの出撃を見送り続けるのだ。無事に生還する飛行兵だって居る。だけど、無念にも命を落として帰ってこない飛行兵だって多いのだ。特攻隊員となれば、基本的には帰ってこない。行ったきりだ。往きの燃料は積んでいても、帰りの分は積んでいない。(と、作戦指示書には記載されている)完全に最期の飛び立ちを見送ることになるのだ。
だから、才廣は川岸の嘆きのような言葉に納得できてしまったのだ。
才廣「そうだな。仲間の最期を見届けるのが、仕事なのか…。」
桜が散り始めた夕暮れの中、二つの影が肩を落とした。
それが、才廣たち知覧飛行場に勤務する者が、初めて特攻隊員を見送った日の帰り道での出来事だった。
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