2ー3
緊張感が辺りを包む。緊張感、いや、むしろ厳かな感じか?
黙ったまま、直立不動で敬礼を続ける。回りにも、同僚たちが同じ状態で、整備中隊全隊員が整列している。整備中隊だけじゃない。他にも逓信隊や
これはいったい何の騒ぎかと言うと、知覧飛行場を管轄する第6航空軍の司令部より、司令官の
明日。4月6日には、陸軍と海軍が協同で実施する第一次航空総攻撃が執り行われる予定である。陸軍と海軍、双方の特攻基地より一斉に特攻出撃し、沖縄本島周辺に陣取るアメリカ軍の本島上陸の初動を一気に叩く。
この作戦を遂行させるため、ここ数日間は特攻隊が多数知覧飛行場へ到着し、幾つもの隊が集結していた。そして、作戦実行を明日に控えたこの日、特攻作戦を指示する最高司令官が直接特攻隊員の激励に訪れた訳だ。
司令所の前に集結した特攻隊員たちが隊ごとにまとまって、同じ方を向いて整列する。隊員たちの向いた先に、菅原中将が立っており、今まさに訓示を読み上げている。才廣たち整備隊はその脇に整列して、特攻隊員激励の様子を見守っていた。
司令官殿まで直々にやってくるなんて、明日の作戦はかなり重要なんだなぁ。
時々言葉を途切れさせて涙を堪えながら読み上げられる菅原中将の訓示を聞きながら、ぼんやりと才廣はそんなことを感じていた。
そして、次に思うことといえば…。
今日はきっと、寝れないな…。
作戦の概要は整備中隊長から伝えられていた。明日出撃する特攻隊の隊数、それから出撃予定の機体の数と機種など、必要な情報は才廣も把握していた。しかし、作戦実行に導入予定の機体について、まだまだ整備が完了した数は少なく、整備待ちの機体の方が多い状況だった。
俺たち整備兵の戦争は、今すでに始まっているんだな。さてと、前線へ突撃しますか!
別れを惜しむ言葉を特攻隊員たちに贈る菅原中将の訓示を聞きながら、才廣はそのように自分を鼓舞した。
長い訓示だったように感じる。それだけ、菅原中将の特攻隊員に対する思いが含まれていたのだろう。
解散となり、才廣たち整備兵は持ち場へ戻って整備作業を再開させる。
作業しながら、才廣は思う。
司令官殿からあの訓示を受けた特攻隊員たちは、どんな気持ちになるんだろうか。
激励をもらってやる気も活気も血気も旺盛に、明日へ向かうのだろうか。
それとも、どんな言葉を贈られようが、自分の人生は明日が最期、何もそれは変わらないと、憎悪の念が強まるだろうか。
むしろ、いよいよこの日が来てしまった、もうこの運命からは逃れられないと、悲哀な感情が湧いたりしないだろうか。
整備兵として地上で見送るだけの才廣には、到底知り得ない感覚を彼らは覚えているのだと感じていた。
もし、突然中隊長から、「明日、この祖国日本を守るために死にに行ける者はいるか?」などと問われたら、いったいどういう行動を取るだろうか。ここへ集いし特攻隊員たちのように、「はい!」と手を挙げることなどできるだろうか。思うことがそこかしこから間欠泉のように噴き上がり、尻込みして俯いてしまうのではないだろうか。
決死の覚悟を決めるとは、いったいどれほどの思いの丈が必要なのか。どのくらい強い気持ちが要るのか。わからない。
所詮は、俺はさっきの特攻隊員たちみたいに、司令官殿から直接訓示を受けることができるような人間には、なれないってことなのか…。
そう思い、特攻隊員に対する自らの劣等感を感じる。
つい五日ほど前、先に往かれた特攻隊員の大川少尉より、“自分たちが仕事できるのは、整備兵たちがしっかりと機体を整備してくれるから。だから自分の仕事に自信を持って良い。”と、励まされたのが懐かしい。その大川少尉の言葉を誇りに思い、今も仕事を一生懸命続けているのだ。それでも、やはり命を懸けて戦う空中勤務者とは違い、整備兵の仕事は後方支援の一環で、司令官から直接激励されたり、戦果を賞賛されて凱旋することもない。その反面、ある意味では軍隊という国のために死にに行く仕事をする職に就きながら比較安全が担保された任務に当たり、終末を迎えることが無ければ基本的には戦場に出て死ぬことはない現状に、ひどく安堵している自分が居るのも確かだ。御国のために死んできますと言い残して出征しておきながら、戦場で命を落とすことが無くて安心している、そんな自分の中にある矛盾が長い網に絡まった魚のように才廣を苦しめていた。
考えてみれば、才廣の兄二人も同じ陸軍に入隊しているが、長兄は航空隊所属で戦闘機乗りで、東北の方の基地に居るはずだが、要事の際は出撃して命懸けの仕事をしていることだろう。次兄は歩兵隊所属だが、今まさに特攻隊員たちが向かう先の沖縄本島に配備された第32軍に居て、戦闘の中に居るはずだ。二人の兄たちは、常に命を懸けて戦う立場にある。もしかしたら、もう二度と生きている姿を見ることは出来ないかもしれない。その分御国のために働いているのだ。
昔から、兄たちには何かにつけて負けたくないと思う気持ちが強く才廣の中に根付いていた。それは大人になった今でもあまり変わりなく、常に兄たちの背中を意識してしまう。そういう性分である自分に嫌気が差すほどなのだが、それでも気にせずにはいられないのだ。今回のことでも、兄二人に完全に遅れを取っているように感じてしまう。
そんな自分が惨めに思えてしまい、無性にこの状態から脱してしまいたい渇望に苛立ちを覚える。
首を大きく横に振って、そんな自分の中にある暗澹とした気持ちを振り払う。
「どうした?」と、隣で作業する川岸に声を掛けられて、慌てる。
才廣「何でもないよ。今日もまた徹夜だと思っただけ。」
川岸「ふ~ん。」
川岸の口数も、さすがに今日は少ない。
これからやらねばならない特攻機が山のようにあるのだ。無駄口叩く気持ちの余裕なんて無かった。
それからは、あまりはっきりとした記憶が残らなかった。終わりの見えない整備作業に集中し過ぎて雑念を感じる暇すら無く、ひたすら機械と睨めっこの時間が流れていくだけだったように思う。気付けば、辺りはすっかり暗くなっており、夜も更けつつあった。
ようやく休憩をもらえて握り飯を渡されたとき、思い出いっぱい詰め込んだ箱を久しぶりに見つけてドキドキとした気分で開けるかのように懐中時計を取り出し、ぼんやりと眺めた。
もう、21時過ぎか…。
目標の整備台数まであと少しであったが、果たして順調に進めることができるだろうか。
例えあと一台で全て完了だとしても、その一台で多くの機器に不調が見つかれば、調整作業や交換作業などで余計に時間が掛かり、更に試運転で問題が解消されたか念入りに確認を行うため、追加で時間を要する。最悪な事態は、その試運転でも問題が解消しなかった場合であり、不調の原因を詳細に調べることになる。こうなってしまっては、たった一台の整備でも半日以上の時間を費やしてしまう。こんな夜中に絶不調の機体を整備するなど、真っ平御免だ。しかし、そうは言ってもいられない。特攻隊員たちはきっと、明日には死ぬという覚悟を決めながら眠れぬ夜を越えて、その日の朝を迎えて命運を共にする愛機と再会しようとするのだ。それを思えば、とてもやってられないと音を上げることなど出来なかった。
休憩を終えて作業に戻ってからは、自分の集中力との戦いとなった。通常の許容量を超えた作業内容で日中から仕事を続けてきた疲労が滲み出てきたことに加え、時間を経るごとにだんだんと眠気が現れて、自身の行動を妨害する厄介者になってきた。それでも、真夜中であろうと遠慮せずに行うエンジン試験の轟音を間近で聞くと、嫌でも身体が目覚める。そんなこんなで、眠気と疲労感に何が何だかわからなくなりながら作業を続け、ようやくこの日の目標を達成した。
朝。
才廣は川岸に叩き起こされて起床した。
いったい何が起こったのだろう。
ここは何処だ?
俺はいったい何をしている?
昨夜の記憶が、まるで無かったかのように思い出せない。
確か、日付が変わってから間もなく、整備する機体を全部終わらせて、それから…。
それから…?
ん?
上体を起こして、周りの様子を窺う。見慣れた木造の低い天井が頭の上にある。それに、自分は今、板を組んで作られた床の上に敷かれた藁布団の上に座っている。正確には、藁布団の上で寝かされていた。いや、寝ていた? 服装は作業着で、至る所が油や煤、土や泥に汚れている。服装だけじゃない。腕や手も油が塗られたような汚れが目立つ。
まさか?
ここまで状況を把握して、才廣はこれまでにいったい何が起こったのか想像できるようになった。
才廣は朝の身支度を黙々と進める川岸に声を掛ける。
才廣「おい! 川岸。」
新しい作業着に着替えてボタンを留めている川岸が、ポカンとした顔を見せてくる。
川岸「どうした?」
才廣「俺、昨日の夜、ちゃんと自分でここまで戻ってきたのか?」
才廣が想像したのはこうだ。
昨夜、日付が変わるまで整備作業を続けて、ようやく解散になった後、意識もままならない状態で兵舎まで帰ってきて、そのまま着替えもせずに藁布団の上に倒れ込み、朝を迎えるに至った。
というものだ。
ただし、この想像にはある失態の懸念を含んでいた。それは…。
才廣「俺、昨日の夜のこと、あんまり覚えて無くてさ。まさかとは思うけど、解散の後、倒れたり寝落ちしたりして、お前のお世話になりながらここまで戻ってきた訳じゃないよな?」
お互いに一日中身体も精神も酷使したのは変わらない状況で、川岸に迷惑を掛けたりしていないか気になるところだ。
そんな才廣の質問を受けて、川岸はやたら嫌らしいニヤニヤとした不気味な笑みを浮かべてきた。
才廣「何だよ、その笑みは…。」
川岸「昨日の夜ね、山ちゃんね、フフフ…。」
才廣を揶揄っているのか、それともはぐらかしているのか、川岸の不気味な笑みが気色悪い。
才廣「何だよ…。」
川岸「面白かったなぁ。フフフ…。」
才廣「何がだよ? はっきり何があったのか言ってくれよ。迷惑掛けてたなら謝るからさ。」
ハハハと声を上げて笑ってくる川岸。益々才廣の心中は心地悪い。
川岸「フラフラになりながらここまでの道を歩きながら、時々“出撃して参ります”とか、“天皇陛下万歳”とか言い出してよ。」
才廣「は?」
まるで別人のことでも話しているのではないかと感じるくらい、記憶に無いことだった。
川岸「よくわからんけど、夢でも見ていたのと違うか?」
夢なのだろうか? 夢すら記憶に残らないくらいに深い眠りに入っていたのか、俄に川岸の言葉を信用できない。
川岸「ま、あんだけ働いたら何が起きても仕方ない。それより、早く支度しないと集合に遅れるぞ。」
才廣「え?」
川岸の小気味の悪いニンマリとした微笑みが目前にまで迫る。思わず両目を閉じてしまいそうになる。
川岸「よく考えてみろ? 俺も昨日はお前と同じくらい仕事したんだぞ。お前と同じくらい疲れていても何も可笑しなことじゃないだろ?」
才廣「ま、まぁそうだな。」
川岸は何を言いたいんだろう?
そのとき、才廣の頭の中に嫌な想像が浮かんだ!
才廣「まさか!?」
川岸のニンマリが離れていく。
川岸「わかったか? 俺も寝坊したんよ!」
ヘラヘラと笑いながら言ってくる川岸に対し、才廣は般若のような表情になって布団から飛び出る。
才廣「何で先に寝坊してる事教えてくれないんだよ!」
ばたばたと慌てて昨日の作業着を脱ぎ捨てて、褌一丁ニなって新しいものに着替える。が、慌てすぎてなかなか腕が袖を通らない。
才廣「うわあぁぁぁ!!」
作業着に足を通そうと慌てて踏み込むも、残念ながら思うように足が袖を通り抜けず、才廣はそのまま藁布団の上に仰向けに倒れ込んでしまった。褌一丁で、片足に作業着が絡まったまま、あまりにも不様な姿を川岸の前でさらしてしまった才廣。川岸からは、そんな混沌とした様子を見てというもの、大特大の笑い声が発される。
川岸「安全第一、如何なるときにおいても慌てて行動するべからず。だな。」
才廣「べからず…。」
それから、のそのそと才廣は起き上がり、丁寧に片足に絡まる作業着を直すと、ゆっくりと足を通し直した。そんな様子を、川岸はただ笑って見守るだけだった。
1945年4月6日。
第一次航空総攻撃を実施するその日が、慌ただしく始まった。
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