精霊の騎士〈Ⅱ〉風の神子、狂飆の荒神

河上 憬柊

序章 迷い子

 それは、あるよく晴れた日の、昼下がりのことだった。

 鋭い日差しが、燦々と地面に照りつけていたが、それほど熱さを感じないのは、西の海岸線から吹いてくる、程よく冷えたそよ風があるからなのだろう。

 その心地の良い風を感じながら、テオは、スィートラ宮殿の外廊下を歩いていた。

 テオというのは通称で、本名をテオストリカと言う。テオストリカは、クレオナート王国の第一王子であった。そして、このスィートラ宮殿は、王子たちのために用意されている離宮なのである。

 テオは、非常にさっぱりとした男だった。たいしたことでは悩まぬし、物腰が柔らかい。社交性もあった。

 そんなテオでも、猥雑な日々に疲れることもある。そんなときは決まって、外へ出て、風にあたることにしている。

(……良い風だ)

 立ち止まり、石柱に触れる。ひんやりとして気持ちが良い。

(さて、どうしたものか)

 気晴らしに出たというのに、物思いにふけってしまう。珍しく迷っていたのだ。

 北方の民族ラムザが、最近活発化してきている。そのことで、父であるクレオナート王に意見を求められた。しかしこれは、単に問題解決に尽力せよ、という類のそれではなく、いずれ執政の身になるテオの手腕を試しているのである。

(それにしても、ラムザとはいったい、何なのだろうな)

 わが国では、北の領地を侵略してくる蛮族、国を持たぬ愚かな遊牧民族として、蔑みの意味合いを込めた、ラ――愚かな、ムザ――蛮族、繋げて愚かな蛮族ラ・ムザと一方的に呼称している。

 だが、実のところ、その実態は一切わかっていないのである。確かに、北の国境線に攻め込んでくる連中は、遊牧民のようななりの騎馬隊ではある。だが、それだけで本当に、遊牧民と決めつけてしまってよいのだろうか。

 わが国が誇る北方警備兵と、彼らは幾度となく交戦してきている。だが、どちらかが大敗するということはなく、勝負は一進一退、拮抗状態というのが現状である。果たして、そのような軍事力を持つラムザが、ただの遊牧民族といえようか。

 妥当な線を追うならば、ラムザというのはひとつの国だと見なすのが、確からしいのではないか。

 仮に彼らが遊牧民だとしても、何らかの後ろ盾――それこそ国が関わっていると考えるのが妥当であろう。

 そう考えると、悠長に小競り合いをしている場合ではないと思われもする。

 彼らは確実に、こちらの戦い方を学んできている。それを言えば、こちらも同じと言えはするが、ただ、こちらがただの遊牧民族だと見なしているうちは、それ以上の情報をつかもうとすらしないだろう。そうなれば、彼らが何らかの隠し玉を持っていたとしても、それを知る由もないのである。

 なんにせよ、いま必要なのは敵の情報だ。彼らは、ただの遊牧民族なのか否か、国を持っているのか、どのような文化・信仰を持っているのか、なにが目的で侵略行為に走るのか、と言ったことだ。

 そういうことを、少しでも知ることができれば、より有利に戦えるかもしれないし、和解という道も見えてくるかもしれない。

 ……と、ここまで考えて、いつも、これは父とは相容れぬ考え方だなあ、とテオは思う。相手のことを知る、ここまでは良い。だが、和解となると、父はそれはできぬ、と一蹴してしまうだろう。父はあくまでも、蛮族は滅ぶべし、という考え方なのである。

 まあ、その考え方は父の限らず、役人たちの多くも、同様の見解を持っている、というのが実情ではある。

 テオ個人としては、なるべく血を流さぬ形で、この問題を収束させたいと考えている。大敗していないとはいえ、北方警備兵は、戦の度に少なからず犠牲になっている。運よく生き残ったとしても、生活に支障が出るほどの重い障害を抱える者も多い。そして、それらの危険を背負っている北方警備兵のほとんどが、北部四州の出なのである。そのことがそのまま、それらの州の領民らの不満につながっているのだ。

 ならば、ほかの州からも北方警備兵を出せばよいという話になるが、事はそう簡単ではない。他州の強い反対があるからだ。

 とまあ、ラムザに関する問題は、単に国境問題にあらず、大きな内政問題にまで発展しているのである。

 そういったこともあって、テオは、ラムザとの和解の道があるならば、そういった道も視野に入れておきたいと考えているのだ。戦がなくなれば、ありとあらゆる問題が解消される。

 だが、事は言うほど簡単ではないということも、テオは承知している。

 ゆえにこのことは唯一、テオを悩ませる大きな問題なのである。

 国の行く末を案じ、物思いにふけっていると、普段、物静かな宮殿には似つかわしくない足音が、ちょうどテオがやってきた方向とは反対のほうの外廊下から聞こえてきた。

 コツコツと石畳を蹴る、その足音を聞きながら、ゆっくりと足音の方向へ視線を移した。

 足音は、走っている。それも慌ただしく。

 テオは、その走ってくる少女を認めると、心が穏やかになった。

「そんなに慌てて、どうしたんだい? シェイリア?」

 テオが訊ねると、シェイリアと呼ばれた少女は、急に立ち止まり、慌ただしく説明を始めた。

「テ、テオ。それがね、大変なことがあっ……」

 とまで言いかけて、シェイリアは、しまったという顔をして、慌てて訂正した。

「も、申し訳ありません。テオストリカ様……」

 目一杯に頭をさげるシェイリアに、テオは微笑みかけながら、よいよいと手を振った。

「別に、テオで構わないよ。いまは二人きりだし、誰も見てない」

 クレオナートの王室では、十三の州の中から、各王子王女につき一人、それも領主家から、優秀な風使いである者を伴侶に選ぶ、という習わしがある。

 シェイリアは、南部の州の領主の娘で、それはもう優秀な風使いなのである。ということは必然的に、テオの許嫁ということになる。まあ、まだ正式に婚礼をしたわけではないので、あくまで候補ということになるが、二人の間では――いや、シェイリアが、実際どう思っているかはわからないが――将来は結ばれるものだろうと思っているし、そうなればいいと、テオ自身は思っている。

 テオの言葉で、シェイリアはあっさりと砕けた口調に戻った。

「あらっ、そう? よかったあ。テオにかたい口調でしゃべるの、わたし、どうしても慣れなくって……」

 まだ身分の差というものを知らぬほど幼いころからの付き合いだ。テオとて、格式ばった付き合い方は窮屈に感じるのだ。このように、言えば気楽に付き合ってくれるところに、テオは思わず惹かれてしまうのである。

「そうさ。公式の場では、さすがにまずいけれど、そうじゃないときは、なるべく砕けてくれていると、僕もうれしいし、君のことがより魅力的に見れるよ」

 聞いているほうが、思わず恥ずかしくなってしまうような台詞を、いとも自然に、テオは言ってのける。

 案の定、耳まで真っ赤にしているシェイリアを尻目に、テオは話を本題に戻した。

「そうだ! なにか慌てていたようだけれど、なにかあったのかい?」

 うつむいていたシェイリアだったが、それを聞いて、思い出したように顔をあげた。

「……そう! そうなの! 大変なことがあって、ハリム……弟が、あの、今回の〈漂鳥の礼〉に一緒についてきていたんだけれど、その王宮の敷地内で、行方不明になっちゃって……」

 〈漂鳥の礼〉とは数か月に一度、領主が息子または娘を引き連れ王宮を訪れるという、クレオナート特有の制度である。これは一種の見合い的な意味合いもあるが、領主と中央役人との定期報告の場でもあった。

 事の深刻さに、テオの笑みに陰りがおりた。王宮の敷地は実に広く、迷いこめば、少々危険なところもある。特に東の森は、ほとんど崖のような急こう配の坂があり、高さこそないが、小さな子供なら落ちれば怪我くらいはする。

 シェイリアの弟ハリムは、記憶が確かなら、今年で六つになるはずだ。十分怪我をするほどの年齢だ。

 ほかにも危険なところはあるにはあるが、それならば、シェイリアがまだ当たっていないというだけで、とっくに誰かに見つかっているだろう。

「それは、穏やかじゃないね。……うん、よし! こうしよう。僕も弟君の捜索に加わるよ。心当たりはあるんだ」

 そう言うと、シェイリアは一瞬嬉しそうに笑みをこぼしたが、すぐに複雑な表情になった。

「それは、とてもありがたいのだけれど、さすがに問題になるんじゃないかしら?」

「それを言ったら、王宮で死者を出すほうがまずいさ」

「し、死者って!」

「ごめん、ごめん。そういう可能性もあるってことさ。なんにせよ、弟君のためにも、早く見つけてあげたほうがいいだろう。心細い思いをしているだろうし」

 シェイリアは、それでもまだ悩んでいたが、やがて強くうなずいた。

「そうね。そのほうが早いもんね。じゃあ、協力してもらうわ」

「じゃあ、僕は森のほうへ行ってみるよ。君は王宮内を回ってみてくれ。もしかしたら、すでに誰かが見つけてるかもしれない」

「わかったわ。そうしてみる。……ありがとね」

 最後のほうは照れ臭そうに言った。

「いいんだよ、別に。気にしないで。じゃあ、また、あとで落ち合おう。場所は……ここでいいかな?」

 シェイリアはうなずいた。

「わかったわ。じゃあ、またあとで」

「うん」

 そこで二人は、二手に分かれた。

 テオは足早に、東の森へ足を進める。

 シェイリアにはああいったが、実のところ、ハリムは東の森に迷いこんだのだろうと、テオは考えている。いつぞや、ハリム少年と話したとき、彼は植物の生態に大層執心していたのを、テオはよく覚えている。東の森は、種類はさほど多くはないが、特殊な植物がいろいろと群生している。これらは、ほとんどが薬草だったりするのだが、ハリムにとっては、宝石箱のように映るだろう。

 ゆえに東の森に行ったのだろうと考えられるのだが、これはまあ、直感的な考えであって、実際行ってみなければわからない。

 そうこうしている間に、森の入り口にたどり着いた。森の中の道は、ほとんど獣道みたいなもので、わずかに土が削れた、細い道が続いているのみである。

 あたりを入念に見渡しながら、森の中へ、ゆっくりと歩み入っていく。

 虫の声が、ジンジン、ミンミンとうるさい。汗が、ひったりと、額から頬にかけて伝う。

 さらに奥へ進む。……ちょうど、例の急坂にさしかかったころだった。虫の声に交じって、小さく、子供のような悲鳴が一瞬聞こえた。そこで合点がいった。

(なるほど。ここだったか)

 この急坂は、草の陰に隠れて、一見すると平坦に続いているように見えるが、いきなり急な勾配が現れる。気づかず踏み入れば、真っ逆さまだ。

 急ぎ足で、しかし慎重に、茂みの中へ入っていく。

 すると、坂の勾配が始まる、少し下のあたりに、落ちまいと必死に草の束にしがみつくハリムの姿があった。

「ハリム君! 大丈夫かい⁉ いま、そっちに行くから、もう少し耐えるんだよ」

 テオは、聞こえるように大声で、しかし不安がらせないように、ハリムに言った。

 返事はない。余裕がないのであろう。

 テオは、足がかりを探しながら、なるべく二人分の体重を支えられそうな太い草をつかんで、そろりそろりと、ハリムのほうへ降りて行った。

 だいぶ降りてきたが、まだ、拳ひとつほど届きそうにない。

「手を伸ばして、この手につかまれないかい?」

 期待を込めて、テオは言った。片手だけでもつかめれば、引き寄せられる。

 だがハリムは、首を振ることで、それが不可能であることを伝えてきた。

(そうか。それならば……)

 少々危険だが、もう少し降りてみるしかない。つかむ草に祈る。頼む、もう少し持ってくれ……。

 慎重に坂を下りながら、これでもかというほどに身体を傾け、目一杯に手を伸ばし、必死にハリムの手をつかもうと努力する。

 やっとの思いで、ハリムの手をつかむ。

「よし! ゆっくり、手を放して。引っ張り上げるから」

 必死に笑顔を作りながら、ハリムに言いかける。

 すると、やっとハリムは顔をあげた。涙で、ひどいくらいにぐちゃぐちゃになっている。さぞ、怖かったのだろう。

「う、うん。わかった……」

 声もひどく震えている。

 少しずつ腕にかかる負荷が強くなる。うっかりすっぽ抜けてしまわぬよう、がっしりと力を入れた。そして、一気に引き寄せようと、引っ張ったときだった。

 突然、音もなく二人を支えていた草の束がちぎれた。

 ぐらりと、坂の下へ身体が傾く。一瞬何が起こったのか、わからなかった。しかし、テオは冷静だった。素早くハリムを抱き寄せ、守れるようにした。

 そして、地面にたたきつけられる……その刹那、テオの目に、ちらりと不思議なものが映った。――小さな像ほどの、宝石のようなもの。

 あんなもの、さっきはあっただろうか――そんなことを、思う間もなく、テオたちは地面にたたきつけられ、滑るように坂をころがっていった。

 ハリムが悲鳴を上げる。林立する木々に、身体をかすめたり、ぶつけたりする。そのたびに、鈍い痛みが走った。

 しばらく二人はころがり続け、下り坂の終わりで、ようやく止まった。

 だが、全身の痛みのせいで、しばらくの間、起き上がることはおろか、動くことさえできなかった。

 幸い大きなけがはなかった。全身あちこち痛いし、擦り傷やら切り傷だらけだが、どれも浅い。骨も、どこも折れてないようだった。唯一、これからに支障があるとすれば、足を少しひねったくらいだろうか。だが、歩けないほどではない。

「ハリム君、大丈夫かい? どこも痛く……ないわけないよなあ」

 テオは、ハリムの様子を見ながら、結論を変えた。ハリムの状態は、テオのそれよりは、幾分かマシなように見えた。と言っても、テオ同様、擦り傷や切り傷は多いが。

「……痛いけど、大丈夫」

 しょんぼりとしながら、ハリムは言った。

「そうか。よかった。……で、歩けそうかな? 王宮に帰らなきゃいけないんだ。無理なら、負ぶって行くけど?」

 念のため、確認しておかねばならない。見た目にはわからないが、どこかを痛めているかもしれない。

 だが、その懸念はすぐに払しょくされた。

「……大丈夫。自分で歩けるよ」

「良かった。じゃあ、行こうか。早く帰らないと、みんなが心配する」

 力なさげに、ハリムはうなずいた。

「うん」

 ここから、王宮に戻るには、大きく遠回りして、坂の上に出なければならない。坂を上っていくことは、身体を痛めてなかったとしても難しいだろう。

 時間はかかるが、日暮れ前には絶対戻れるだろう。

 手をつなぎながら、二人は歩き始めた。

 ほとんど変わらない森の景色を眺めながら、先ほど、落ちたときのことを思い返していた。

 妙な落ち方をした。草が切れるのはおかしなことではないが、切れ方が問題だった。落ちた後、つかんでいた草を見ると、変な切り口をしていた。まるで刃物で切られたような、すっぱりときれいにそろった切り口。いや、あの場には人がいたはずはない――少なくともテオには気配を感じられなかった――ので、そんなはずはない。

 がしかし、だとしたら、なぜあのような切れ方をしたのだろうか。自然にあんな切れ方をするのだろうか。それに、落ちる瞬間に見た、あの石像みたいなもの。あれはいったいなんだったのだろう。ただの見間違いだったのだろうか。一瞬だったから、その可能性も高い。

 まあなんにせよ、現場で確認してみるほかないだろう。

 結局、ハリムは道の途中で歩き疲れてしまい、負ぶっていくことになった。

 再び坂の上にたどり着いたころには、空はすっかり赤みを帯びてきていた。思ったより、時間がかかってしまった。足をひねっていた上に、ハリムを背負っていたからだろうか。

 忘れずに、があった場所を確認する――しかし、そこには、なにもなかった。場所を間違えたのだろうか。しかし、草は荒れていて、どう見たって、あの場所である。

 本当なら、もっとちゃんと調べてみたいところだったが、足も痛いし、疲れていた。それに、早く帰らねば、皆が心配しているだろう。そういうわけで、今日のところは、諦めることにした。

 森の入り口の少し手前で、大臣たちや、下仕えたちなど、総出で迎えられた。

 いや、向こうからすれば、出迎えた、というよりは、捜索していた、というのだろうが。

 シェイリアは、涙目になりながら弟を抱きしめ、勝手にいなくなったことをしかりつけた。そして、全身傷だらけのテオの姿を見て、青ざめた。

「ちょっ……と、怪我して……っ、申し訳ありません。わたくしが、テオストリカ様に、不躾にお願いをしてしまったばっかりに、その。ほら、ハリムも謝りなさい!」

 大臣たちの手前、ひどく怯えた謝り方だ。

 しおらしくハリムも謝罪する。

「ごめんなさい……」

 シェイリアが、ハリムの頭を押し付けるように下げさせる。自身も深々と頭をさげている。

 また、謝らせてしまった。今日は、ダメなところばっかりだな。

「君が気に病むことはないさ。僕もドジを踏んだ。それに、もとはと言えば、僕のほうから申し出たことなんだから……それよりも、ハリム君を叱っちゃだめだよ。彼にも悪気はなかったんだ」

 こうは言っても、シェイリアのことだから、叱るんだろうなと、内心思いながらも言い置いた。

 シェイリアは、短く、そして湿っぽく「はい」と言った。

 テオは、いかにも怪我なんて平気そうなそぶりで、シェイリアの横を通り過ぎ、側近の一人に声をかけた。

「今回のことは、あまり大事にしないように取り計らってもらえるかな? さっきも言った通り、僕から言い出したことでもあるからさ」

「はあ、承知いたしましたが、それよりも傷の手当てをせねばなりませぬ」

「いや、それよりも先に、父上にご報告に上がらなければ。心配をおかけしただろうし」

 側近の男は、首を振った。

「いえ、それならばなおのこと、傷の手当てが先でございましょう。王は血の汚れを嫌いますから」

 確かに、父は王宮に血の汚れを持ち込まれるのを嫌う。疲れているせいで、そんな当たり前なことも忘れていた。

「……じゃあ、そうしよう」

「では、ご案内します。王には、私めのほうから、ご無事であったとご報告に上がりますゆえ、どうぞお急ぎにならず、しっかりとご静養になってください」

「うん。ありがとう。よろしく頼むね」

「恐れ入ります」


 傷の手当てを終え、王の居室を訪れると、テオはこっぴどく叱られらた。どうしてそんなにお前は落ち着きがないのだ、だとか、迷子の捜索くらいなら、側近でも下仕えの者でもなんでも下の者を使えば良いだろうだとか、それはもう口酸っぱく色々なことを言われたのである。

 だが、そのほとんどを、テオは聞き流していた。今回の行動は、どれもこれも未来の花嫁のためなのである。王宮内で面倒ごとを起こしたとなれば、シェイリアの家の評価が下がる。そうなれば、シェイリアとの婚姻も遠ざかってしまうのだ。そこで、自分が介入することで、少しは穏便にできるのでは、と思ったのである。なにかあっても、口には自信がある。

 もちろん、ハリムのことも心配ではあったのだが、同時に、未来の花嫁のため、という理由も、テオにとっては、同じくらい大事なことなのであった。

 その夜、テオはひどく発熱した。怪我を負っているせいだろう。

 翌日には、起き上がれるくらいにはなっていたものの、まだ少々けだるさがあり、医術師からも安静にするようにと言われたので、日々の勉めは、病床で励むことになった。その間も、例の転落現場のことが気がかりであった。早く調べに行きたい。でも身体のほうが追い付かないし、無理に行こうにも監視の目が合って厳しい。モヤモヤだけが積もっていった。

 結局それが叶ったのは、翌々日のことだった。しかし、どれだけ探しても、例の石像は、どこにも見当たらなかった……。


 そして、それからさらに時が経ち、一月ほど過ぎた夏の終わり、シェイリアの弟ハリムが死んだ……。急病だったそうだ。


 その報を受けたとき、テオは、居室の窓から、空を見上げたのだった……。

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