転生勇者の心残り
野良ガエル
転生勇者の心残り
いつもそうだ。
たまに良いことをしようとすると、馬鹿をみる。
意気地なしのくせに勇気を出すから、悩んだ末に踏み出す一歩の、その一手の遅れがマイナスに働くのだ。
あのときもそう。あのときもそう。
そうそう。
そう。
そう、まとう。
走馬灯じゃないかこれは!
俺は今、道路の真ん中にいるカエルが轢かれそうになるのを見て、思わず飛び出していた。そして、カエルを呼び寄せた雨の路面で盛大に転んでいる。普通なら、間に合うはずだった。この土壇場でのドジと、「危ないぞ危ないぞ」となにをするでもなくカエルを見つめていた一、二分さえなければ。
目前に迫る大型トラック。減速する様子はない。雨で悪い視界の中、突然地面の中央にヘッドスライディングをかました俺に、気づいていない。
ライトが迫る。急ブレーキの音がする。
もう遅い。
たまに良いことをしようとすると、馬鹿をみる。
よりにもよって、カエルを助けようとしたことが死因だなんて。
子供だとか、せめて犬猫ならまだしも、他人から見たらただの自殺じゃねえか。
でもまぁ、そう大差ないのかもな。
生きてたって、特に楽しいこともなかったし。
思考と並行で流れていた面白くもない走馬灯が、終りを告げる―――――。
******
で、俺が生まれたってわけ。
俺だよ俺、今となっては神にも等しい全知全能の勇者の俺だよ。
ま、生まれたっつーか、生まれ変わり? アレだよアレ、異世界転生ってやつ。
カエルを助けようとした善行が良かったのかどうかはさておき、俺はこっちの世界じゃヤバかった。なんでも思い通りになる。といっても過言じゃないほど才能に溢れていた。
いや、才能なんて生易しいものじゃねーな。神だ。例えではなく神のような力。
信じがたいほどの凄さのせいで、俺に関する噂話は、人から人に伝わるたびにどんどん縮小されていたくらいだ。それでも尾ひれが付いた魚どころじゃなくドラゴン級の内容さ。なにせ、ドラゴンを素手で、デコピン一発で倒しちまうような奴だからよ。
で、この世界には魔王という危険人物がいて、国を苦しめていた。
魔王に対抗できる規格外として、俺は国王から頭を下げられた。
ぶっちゃけその瞬間にピッ、と指先から破壊光線を出してはるか遠くにいる魔王の心臓を打ち抜くことだってできた。けど、それじゃあまりにもつまらないから、RPGごっこをすることにした。
旅の仲間は俺以外全員女の子。世間じゃ勇者一行と呼ばれてはいたが、形だけ。俺一人で全て片づけてしまうと、あまりの規格外に皆がビビっちまうだろうからっていう俺の配慮だ。当人たちには勘違いできるくらいの能力を授けておいた。もちろん、なんで皆女の子かっていうのは言うまでもないよな? 別に王族だろうが村娘だろうが簡単に喰えちまうから、そこまでありがたみもなかったけど。
って話ばっかしてると、俺がクズみてぇに思えるかもしれねぇがそれは違う。やることはちゃんとやってる。やりすぎてる。魔王もちゃっちゃと倒した。倒したけど、そしたらそしたで平和ボケと内戦が始まったんで、魔王を復活させた。魔王にはこう言った。「適度に世界にプレッシャーだけを与えといてくれ。そしたら俺も適当に戦うフリだけして手は出さねえからよ」ってな。
そんなわけで、俺はほぼ最適解の平和を実現しつつ、今は復活の魔王打倒のため再び神に選ばれた(というのは世間の設定で、俺が好みとバリエーションのバランスで人選し力を与えた)美女たちと気ままに酒池肉林の旅としゃれ込んでいる。魔王とのイタチごっこ。ごっこで無益な殺生はしたくねぇから、大抵の敵は俺が幻術で作り出している。
******
「ねぇ、勇者様ぁ。最近なんか、上の空じゃないですか……っ」
俺の上に乗っている魔術師の彼女は、甘く問いかける。
「ああ、連戦で疲れが溜まってるの……かもなっ」
これは大嘘。俺が疲れることなどあり得ない。
ただ、少し上の空なのは確かだ。
大抵のことをやり尽くしてしまったからこそ、思うことがある。
些事だが、魚の小骨のようになかなか取れない悩み、気がかり。
魔術師は宿の自分の部屋に戻り、一人になった俺は考える。
当然だが俺はこの生活を、どのような生活も送ることが出来る全知全能の俺を気に入っている。今はこの俺こそ神のようなものだが、このステージへと導いてくれた運命だか神だかには感謝もしている。
だからこその、気がかり。
己の美しい金色の毛先を指でいじくりながら、想い浮かべる。
前世の俺を轢いた――――トラック運転手のその後について。
そう、全知全能の俺の心を乱しているモノは今の世界の外の、しかも過去の出来事であった。
新たな人生、いや神生とでもいうべき栄光が始まった俺と、人生が終わってしまった彼。世界を一つ救うための犠牲にしては最小限かもしれないが、清々しい気分に一点のシミを落とすには十分すぎる事実だった。
なんで運命だか神だかは、そういう意地悪なことをするかねぇ。俺一人をこっちに呼びたきゃ、俺一人だけを巻き込めばいいものを。
鼻息をひとつ吐いて、壁に立て掛けてある剣を手に取る。
しゃーねぇな。
いっちょやってみっか。
俺はなにもない空間に剣を掲げ、念を込めた。
もしも、次元を超えてトラックの運転手を救うことが出来たら、俺が運命だか神だかを制したということにもなるだろう。だがはたして、次元を超えてピンポイントで過去にもどるなんてできるのか。
剣先から、空間が歪み始める。
俺にはまだまだ余裕がある。
(ま、どうせできちまうんだろーけどなぁ)
俺の辞書に失敗の二文字はない。
空間の歪みは明確な穴となり、俺はなんの疑いもなくそこに身を投じて言った。
一瞬の間。
開ける視界。
上空から見下ろす地上。俺は雨と共に落下していく。
息を吸うように重力を制御し、無傷で着地。着地点を確認。道路の真ん中に一匹のカエルがいた。歩道には、目を背けたくなるようなかつての【俺】が。向こうから迫りくる大型トラック。【俺】は愚かにもカエルを助けるため走りだし、即座に転ぶ。見ちゃおれん。ちなみに俺は、不可視の魔法を使って誰にも気づかれずに立っている。この世界に与える影響を考慮し、ただの現象となるために。
トラックは目前。
あの日の完全な再現。
その運命を、今から俺という現象が吹き飛ばす。
急ブレーキをかけながらも止まらないトラックをどう処理するか? って、逆にプランがありすぎて面倒くせぇわ!
シンプルに、超即効の転移魔法を使った。この俺にとっては詠唱も、質量制限も関係ない。それでトラックを、ギリギリ止まれる程度まで前に戻す。今後の安全運転のためにも、冷や汗はかいてもらうことにした。
かくして俺は、やっぱりあっさりと運命を制した。
トラックの運転手は、間に合わないと思ったものが間に合ったので、しばし呆然としていたが、「急に飛び出して危ないだろうが! 馬鹿野郎!」とお決まりの暴言を吐いて去っていった。【俺】はスミマセンスミマセンと繰り返し、道路にカエルの姿はもうなかった。
はは、なんてちょろいんだ。運命なんてこんなもんか。
これで喉に引っかかっていた小骨は取れた。ついでに、俺の力が俺を導いた運命すら凌駕する事実も確認できた。
さて、帰ろう。
帰ったら、色々精力的にヤろう。
勇者っつーか、新世界の神になってもいいかもなぁ。
俺は剣を掲げ、あっちに戻るために念を込める。
空間は、
歪まなかった。
「あれっ」
変化が起こったのは周囲ではなく、剣そのもの。背景に溶け込むように、剣が切っ先から薄まっていく。
そしてなぜか脳裏には、勇者としての俺の大活躍が次々とよぎっていく。
しかし、こうして見るとやったことは壮大だが、どうも一本調子で薄っぺらい気もするな。
あのときもそう。このときもそう。
そうそう。
そう。
そう、まとう。
走馬灯じゃねぇかこれは!
たまに良いことをしようとすると、馬鹿をみる。
それは俺の前世、【俺】から続くカルマ。確かに俺は運命を変えた。だからこそ、【俺】から俺が生まれる因まで潰してしまったのだ。
気づけど時すでに遅し。いくらなんでも馬鹿すぎる。こんなことで終わるのか。 世界の中心だった勇者が、こんな世界の片隅で、誰にも知られることなく?
もはや剣は完全に消え去っていた。
いやだ。
いやだいやだいやだ。
消えたくない。
「あの」
【俺】の声だった。
目をやると、雨の路上にスライディングをかましてボロボロのぐしょぐしょになった愚かでみすぼらしい男が立っていた。
なんだ、まだいたのか。
いや、俺が見えるのか?
不可視の魔法が切れたのか、もっと別の理由か。もはやどうでもいいが。
俺は睨む。【俺】を睨んだ。お前のせいだ。お前が持ち込んだ負の因子のせいで俺は、俺はっ。
怒りに震える頭の中、止まらない走馬灯。
俺はお前と違ってなんでもできたのに、できないことなんてなかったのに。ドラゴンをデコピンで倒し、魔王だって瞬殺だ。なのになんで俺が消えてお前が。世界の損失はいかばかりか。
睨まれて怯える【俺】の目を見た。世に対する偏見と失望。なにより自分に対する深い絶望。黒く沈んだ眼。
けど、その色を俺は深いと思った。
「さっき、トラックが一瞬逆方向に動いたのは、その、あなたが?」
震える声で【俺】は、見知らぬ俺に問いかける。
分けの分からぬこの事態を、見極めるために。
なけなしの勇気を振り絞っていた。
あぁ――――、
そうか。そういうことか。
納得したと同時、頭の中では派手なのに面白みに欠ける活動写真が終わる。それは俺の人生に欠けていたものを浮き彫りにしていった。
「ああ、そうだ。全知全能の勇者である俺がやった」
【俺】は信じられないという顔をしたが、事前に信じられない現象を見ているために、大いに混乱しているようだった。まぁ、大いに悩むがいいさ。
俺は間違いなくあの世界で全知全能だった。
失敗などしたことがなかった。その予兆さえもなかった。
対して、目の前の【俺】はといえば失敗の連続だ。この世は困難の巣窟だ。
そして、あの世界で俺は苦労してなにかを成したのではなく、チート級の力で全てを楽々こなしていっただけだ。つまり、『困難に挑戦して達成する』という【俺】の悲願を、俺は一切達成できていなかったのだ。
もちろん俺はあの世界でやってきたことに後悔はないし、今でもやっぱり全能感と自信はある。だがそれでも、きっとそういうことなのだ。
「まだ信じられないんですけど、ええと、あ、ありがとう……ございました」
頭を下げる【俺】。俺は目を細める。もしかしたら、トラック運転手っていうのは俺の心を誤魔化す方便だったのかもしれない。本当の心残りは、多分。
「お前は、すげーよ」
「えっ?」
顔を上げる【俺】。その二つの眼。しっかりと見て、俺は言う。
「お前は、ドラゴンや魔王よりも遥かに強大な敵と絶え間なく戦ってる。勝とうが負けようが誇るといい。全知全能の俺が保証してやるよ」
「は、はぁ……」
「でも、どうせなら勝っちまえよ。俺みたいに世界なんて救わなくていいぜ。ただただ、自分を救うことだ。それじゃあな」
マントに隠した右手はもうなくなってしまっていたので、俺は左手を差し出す。
俺と【俺】で握手を交わす。
******
首と首回りだけになった俺は、ごろんと空を見上げる。
雨はもう上がっていた。
あのとき、あの後の天気も同じだったのかな思う。なんとなく。
首回りも消え、本当に首だけになる。
あの世界の中心だった俺が、こんな無様に、なす術なく終わっていくなんて、どうして予想できただろうか。
なす術なく……?
「ふふ、はははっ」
思わず笑みがこぼれた。
俺は今の俺になってからようやく、最後の最後で『できない』ということができたのだと気づいた。文字通り手も足も出ない。けれど、そのできないという感覚は、絶望よりも懐かしさが上回っていた。
首だけの俺は、生まれて初めて心の底から笑った。
「でも、お前は『できない』の先に行けよな――――」
その呟きを最後に、口も鼻も眼も耳も消える。
******
彼はハッとした。
今この瞬間に、忘れてしまったという自覚だけがあった。
大型トラックに轢かれそうになり、九死に一生を得た。そのあとなにかがあった気がする。誰かと会った気がするのだが、まるで思い出せない。
そして寝る寸前になると、思い出せないということも含めてきれいさっぱり忘れてしまっていた。
「明日からは、本気出すか」
彼はいつもの口癖を吐いて電気を消す。
けれどその心中は、いつもと少しだけ違っていた。
まるで遠い昔に無くしてしまった子供心のような、望めばなんでもできるというような、そんな根拠のない自信が、心の片隅に消えずに残っていた。
(了)
転生勇者の心残り 野良ガエル @nora_gaeru
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