▲11▼ ありました。忘れ物
その瞬間、思わず正気に戻る。
「す、すいませんっ! オレってば、また……!」
すっかり夢中になって、途中から我を忘れていた。
もう、こんなことはないようにと、自分自身に誓ったはずなのに。
「すぐ
そう言って、くららの上から退こうとした瞬間、力強く腕を引っ張られた。
「ぅ、わっ⁉ ね、姉、さん……?」
腕を引っ張るくららの顔は俯いていて、どんな表情をしているのかよく分からない。
「…………よ」
「えっ?
か細くつぶやかれた声は、微かに震えていたような気がした。
「だっ、だから! 退かなくていいよって、言ったんだ……!」
「そ、それって……」
どういう意味かと尋ねる前に、くららが言葉を放つ。
「……このまま、しよ……?」
そう言って、誠実の手をそっと自身の胸元へと引き寄せた。
手の平から伝わる、くららの鼓動は激しく脈打っていて、その熱い身体と同じように、誠実の身体も
(それは……、それってつまり――‼)
「っ……! や、やっぱり、だめです!」
くららの言わんとすることを理解して、思わず拒絶する。
「へっ⁉ な、何で……?」
「だ、だって、オレ昨日もいろいろ姉さんに負担を掛けたし、今朝だって足が動かなかったりとか……! こ、これ以上は……っ!」
本当は、今すぐにだって抱きしめたい。だけど、大切だからこそ、くららに負担を掛けたくはなかった。
「ここまでしといて、今更何言ってんだ、ばかっ! おれは平気だっ! こう見えても、体力だけには自信があるんだ! ドラマーだしなっ‼」
「そう……、なんですか……?」
くららの迫力に、思わず
「そうだっ! ドラム舐めんなっ‼」
「は、はいっ‼」
なるほど、ドラムすごい。
「……はっ⁉ じゃ、なくてですね……! え~と、え~とっ‼」
そうだ。今はそういう問題じゃなかった。しかし、一体どう言えばくららに分かってもらえるのだろうか。
「……誠実。……その、さっきはいきなり昔の口調に戻って、びっくりして、思わず抵抗しちゃったけど……。ほ、本当は、ずっと、こうしたいって思ってたから……。だから、いいよ……」
そう言って、今度は誠実の手をそっと頬に寄せた。そして、そのまま愛おしそうに誠実の手の平に口づける。
「ぁっ……! ね、姉さッ……!」
不意打ちの刺激に、思わず身体が震えた。
「しばらく会えないの、分かってるから……。だから、ちゃんと忘れないように、おれに誠実を刻み込んでよ……」
「ッ……!」
くららは、誠実の手をぎゅっと握りしめ、じっと見つめ返してきた。その、普段からは考えられないような色香に、何も考えられなくなる。
(姉さんは、どうしていつもこう……!)
ずるい。ずる過ぎる。こんな、こんな風に求められたら、抗うことなんて出来やしない。
くららは、時々こうやって普段は見せないような顔をする。その色っぽくて、誘うような表情に、誠実の心は幾度となく掻き乱されてきた。
誠実が思わず動けずにいると、何を思ったのか、くららが急に不安げな顔でまくし立ててきた。
「ぁ……。や、やっぱ、今のなし! ごめん、おれ何言ってるんだろうなっ! わ、忘れてっ‼」
さっきのことがまるで嘘のように、いつものくららに戻る。おそらく沈黙を拒絶だとでも思ったのだろう。でも、拒絶なんて出来る訳がない。
「わ、忘れるなんて、そんなの無理ですっ! そこまで言われたらオレだって……!」
慌てているくららの手をそっと掴み、手の甲にキスをする。
「ッ……!」
「嬉しいです、くらら……。そこまで言ってもらえて……。愛しています」
そして、驚いているくららを思いっきり抱きしめた。
「せ、誠実……」
遠慮がちに、くららの手が誠実の背中に回される。
「うん……。おれも、愛してるよ……」
くららの胸にそっと耳を当ててみる。どくどくと激しく脈打つリズムが聞こえた。
不思議な気分だった。すごく、ドキドキしているのに何だかとても安心する。
不安だったことが少し解消されたから?
二人の想いが通じ合えたから?
(全部かな……)
今更だけど、ようやく本当の意味で通じ合えたような気がする。
――大好きな、たった一人の人。
とても穏やかな気分の中で、誠実はくららと一つになる喜びを噛み締めた。
◇◆◇◉◇◆◇
「それじゃあ、いってきます」
そう言って、玄関先の二人に挨拶をする。
「あぁ、気を付けてな。いってらっしゃい」
「学校、大変だろうけど頑張ってね」
くららと灰時が二人そろって見送ってくれる。誠実が高校の寮に戻るときはいつもそうやって見送ってくれるのだ。いつもは両親も一緒に見送ってくれるのだが、今週は二人とも仕事でまだ家に帰って来ていなかった。寂しくないといえば嘘になるかもしれないが、二人は少し特殊な仕事をしているため、そこら辺はしょうがないと、ちゃんと割り切っているつもりだ。
「うん。ありがとう。頑張ってきますね」
笑顔でそう返し、出て行こうとすると、
「あっ! 忘れ物とかないよなっ⁉ 大丈夫だよな?」
くららが心配そうな顔で引き留めてくる。
「もう、姉さんったら。心配し過ぎです」
口ではそう言いながらも、そうやって自分を気に掛けてくれることが、素直に嬉しかった。
「あっ……。でも、ありました。忘れ物」
言われてみれば、一つ忘れ物があった。本当は、今までもずっと欲しかったものだが、勇気が出なくて、ずっと『忘れ物』のままにしていた。
――でも、今なら。
「何っ⁉ 何だ? 今からなら取ってこれるぞっ!」
言いながら、くららは急いで玄関から、家の中へ戻ろうとする。その様子が何だかおかしくって、つい笑みがもれてしまった。
「姉さん。大丈夫です。忘れ物はここにありますから」
「へっ?」
家の中に戻りそうだったくららの手をやんわりと引き寄せ、そのままその可憐な唇へと、そっと口づけた。
「ッ……⁉」
予想もしていなかっただろう行動に、くららが目を見開く。
「せ、誠実……っ⁉」
何というか……、『してやったり』という気持ちになってくる。驚いているくららにももちろんだが、その横にいる灰時は完全に固まっている。いつも、くららを独占しているのだ。これくらいは、いいだろう。
「えへへっ。ごちそうさま。いってきますっ!」
ささやかな達成感に酔いしれながら、笑顔で二人に手を振る。
「ちょっ……! 誠実⁉」
くららの叫ぶ声が聞こえたが、もう振り返らなかった。
――これで明日からも、頑張って生きていける。
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