▲13▼ 多分寂しいんだ

「……ねぇ、くらら……」


 くららが作ってくれた、ちょっと独創的な野菜炒めを食べ終えたころ、灰時はおもむろに切り出した。


「んー?」


「あのね……、誠実くんのことなんだけど……」


 その瞬間、ブフォッっとむせたような音が聞こえる。


「く、くらら……? 大丈夫……?」


 くららは慌てて傍にあったお茶を飲み、再び灰時に視線を戻した。


「い、いや、大丈夫、大丈夫! ……で、誠実が何だって?」


「……いや、その……。……ひょっとして、誠実くんと何かあったのかなぁって……」


「なっ……⁉ 何かって、何、がっ⁉」


 ――どう見ても明らかに動揺している。これじゃ、何かあったと言っているようなものだ。


「いや、上手く言えないけど、何か誠実くんの雰囲気が前と変わった気がして……。だって、いつもはあんなこと、しないのに……」


 あんなことというのは、もちろん誠実を見送ったときのキスのことだ。


「……やっぱり、まだ気にしてたんだな」


「うん……」


「おれもあれには驚いたよ。普段あんな大胆なことしてこないのにな。……でも、多分いろいろ吹っ切れたんじゃないかな。……おれも、そうだから」


「え……?」


「昼間さ……、誠実が寮に行く前に、ちょっとだけ二人で話をしたんだよ。おれ、二人のこと本当に好きだけどさ……。やっぱり、このままじゃいけないってどこかでずっと思ってて……。今まで悩んでたこととか、そういうのいろいろ話をしたんだ」


「くらら……」


「でな、誠実も同じように悩んでて……。それでも、やっぱり、お互い好きって気持ちは本当だろ? それは、どんなに悩んでも変わらない事実だから……。だからさ、もう気にすんのやめようってことになった」


「それは……」


 ――それは、確かにそうかもしれない。けれど、そんなに簡単に割り切れるようなことじゃ――…。


「…………」


(二人は気持ちに整理がついたってことかな?)


 ――なんだろう。この気持ちは。心がもやもやする。疎外感? 


(……そうだ。俺は、多分寂しいんだ……。二人に置いて行かれたような、仲間外れにされたような……)


 もちろん、二人にそんなつもりはないということは分かっている。けれど、まるで二人の絆を見せつけられているようで、自分が邪魔者のような気がして……。それが何だか、すごくつらい。


(俺は、弱いな)


 こんな風だから、いつまで経っても二人には敵わないのだろう。


(俺にとって、二人は眩しすぎるよ……)


「ごめん……。俺、もう部屋に戻るね」


「えっ⁉ ちょっ、灰時っ⁉」


 思わず、逃げるように居間から飛び出した。

 

 敵わない。二人には――。


 そんな思いが胸の中で渦巻く。今すぐ、あの場から逃げ出したくて、また部屋に戻ってきてしまった。


 再び、ベッドに沈み込みながら、うっかり食器を洗いもせずにテーブルの上に置きっぱなしにしてきたことを思い出す。


(……もういいか。あとで、洗えば……)


 そんなことを考えながら、再び微睡まどろみの世界に入る。身体が重い。でも、それ以上に重い心がベッドのさらに奥深くへと沈み込んでいくようだった。


「…………」



「灰時ぃッッ……‼」


「ッ⁉」


 その瞬間、思わずビクッと身体が飛び跳ねる。


 くららがノックもせずに扉をブチ開け、部屋に入って来た。


「く、くら――」


「お前は……! 人の話最後まで聞かずに、逃げてんじゃねーよッ‼」


 物凄い形相でくららに胸ぐらを掴まれる。


「ご、ごめ――」


 その迫力に気圧され、思わず謝ろうとすると、遮るようにくららが続けた。


「いいかッ! 良く聞けッ‼ おれは、お前のことが好きだッ……‼」


「……へっ?」


 予想外の言葉に一瞬頭が真っ白になる。


「だっ、だから、灰時のことが好きだって言ってんだよッ……‼」


 言いながら、くららの顔がどんどん真っ赤に染まっていく。その表情を見ているうちに、今自分が何を言われたのかだんだんと理解出来てきた。


「あ、ありがとう……」


 言いながら、自分でも顔が熱くなっていくのが分かる。くららからこんなにストレートに告白されたのは、よく考えたら初めてかもしれない。


「え、えっーと、つまり何が言いたいかと言うとだな……。 おれの好きは本気で、まぁ、もちろん誠実のことも同じくらい好きなんだけども……」


 しどろもどろになりながらもくららは一生懸命灰時に想いを伝える。


「だから、その、上手く言えないけどっ! 灰時がそんな顔してるのは嫌なんだよ‼ だから、言いたいこととか、悩んでることとかあるんだったら、ちゃんと全部言ってほしい。……頼ってほしい」


 そして、灰時のことを真っ直ぐ見つめ、はっきりと言い放つ。


「だって、おれは灰時の恋人でもあるんだから」


「……くらら」


 その瞬間、素直に嬉しいと思う気持ちが、心に沁み込んできた。


 正直、今までずっとどこかで不安だった。くららは、流されて俺とも付き合っているんじゃないかって。本当は俺のことなんて好きじゃないのかもしれないって。でも、今はっきり言ってくれた。『好きだ』と、『恋人』だと。


 口に出して言ってもらえるだけで、こんなにも安心するものなのかと、嬉しいものなのだと、灰時は改めて実感した。


「……ありがとう」


 心からの笑みが、自然と顔から生まれる。


「! 灰時っ……!」


 くららは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔をこちらに向けてくれた。

 そんなくららの笑顔を見ながら、自分の心をさらけ出す決心をする。


 ――だって、『頼ってほしい』と言われたのだから。


「……俺はね、多分怖かったんだ。……臆病者だから。もし俺があんなこと言わなければ、今頃って……、どこかで思っている自分がいる」


(そう、俺が『三人で付き合おう』なんて言わなければ……)


「そのせいで、くららが苦しんでいることも、誠実が苦しんでいることも、全部俺のせいだって本当は分かってる……。でも、二人のこと、大好きだけど、どうしても二人を心の底から応援することができなくて……」


 言いながら、思わず目頭が熱くなる。


「……好きなんだ」


 自分の中の本音が口から零れた。


「自分でもどうしようもないくらい、くららのことが好きなんだ……っ!」


「はい、じ……」


「今までずっと、自分をごまかしてきた。この気持ちは違う、家族愛なんだって……! でも、誠実の気持ちに気付いて、気付いてしまって……っ! 自分の気持ちにもはっきりと気付いてしまったんだ……」


 あるとき、誠実を見ていて気が付いたのだ。いつの日からか、その視線が姉ではなく一人の女性としてくららを見つめているということに。そして、それに気付いたとき、自分の胸がすごく痛んだということに。


「俺も、やっぱりくららのこと、家族としてじゃなくて、兄妹きょうだいとしてじゃなくて、一人の女性として好きだって……」


 今までずっと、見て見ぬふりをしてきたというのに。


「気付いたら、もう止まらなくなっていたんだ……! ……ごめん、ごめんっ、くらら。俺が三人で付き合おうなんて言ったから、結局二人を苦しめて、でも俺は、またそれに気付かないふりをして……」


 くららにすがり付きながら、灰時はあふれる涙を止めることが出来ずにいた。


「でも、あのときの二人を見てすごく苦しくて、つらくて、自分は何てことを言ってしまったんだろうって、改めて思って……」


 あのとき――、玄関先でキスを交わしている二人は、本当に幸せそうで、素直にお似合いだと思った。


 自分と言う存在が、ひどく余計な気がした。


「二人はいつの間にか進んでて、前を向いていて……。何だか俺だけが取り残されているような気がしてっ……!」


 ――あぁ、俺はここには必要ないのかな。


 そう、思ってしまった。


「……ごめん。上手く言えないけど……。俺は、それがすごく寂しくて……!」


 ――でも。それでもやっぱり。


「俺は、二人のことが大好きだから……」


「……灰時」


 だから、二人のために身を引くべきじゃないかって思ったのだ。このままじゃ、自分自身もつらいだけだから。


「……大丈夫だよ」


 今まで、ずっと黙って聞いてくれていたくららが、ゆっくりと口を開いた。


「……ひとりじゃないよ」


 そう言って、くららは優しく灰時を抱きしめながら、頭を撫でる。


「く、らら……」


「灰時はひとりじゃないよ。おれもいるし、誠実もいる。ごめん、仲間外れにしたつもりじゃないんだ。……その、不安になってること気付けなくて、ごめんな。これからはさ、何かあったらすぐ言ってよ。だって、おれたちは三人で恋人同士だろ? だからいろんなこと三人で話し合ってさ、どんなことでも三人で乗り越えていこうよ」


 ――三人で。その言葉に思わず、聞き返す。


「……本当に? 本当にくららはそれでいいの?」


 ――俺がいても本当にいいの?


「いいに決まってんだろっ! だって、おれは灰時と誠実のことが大好きなんだからな!」


 まるで、太陽のようにニカッと笑う。


「……そっか。そう、だね……」


 くららは不思議だ。こんなにも不安だった心を、その言葉で、表情で、あっと言う間に晴らしてしまう。


 ――あぁ、くららは本当に、俺にとっての太陽だ。

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