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 榎木純二──。彼のカッコつき旧友たちの一人である。最初に出会ったのは文芸同人「東京無頭人」の例会でだった。

 当初彼はそのネーミングに関して、マルコ・ポーロの『東方見聞録』でも触れられているという顔が胸にあって、そして頭はないという異形の種族のことだと思っていたのだが、同人たちの会話を隅のほうで聴いているうち、

(なんだ、そっちのほうの「無頭人」だったか……)

 と、少々うんざりにさせられてしまった。何しろ彼らの口の端に上るのはニーチェ、ブランショ、ベンヤミンら……。要するにバタイユのプロデュースによる「無頭人」のほうだったわけだ。

(やれやれ、危なかったな。こんなとこでマルコ・ポーロなんて名前出しちゃあ、帝国主義だ、近代主義だ、ヨーロッパ中心主義だなんだかんだって、散々なこと言われんの必至だもんな)

 つまり彼もその時点までに、それなりの目に遭ってきていたというわけだった。

(退散退散、早めに退散。年会費、無駄んなっちゃうけどな……)

 とはいえ数回分くらい元を取っておこうと、翌週、翌々週も問題の会に出かけていった。

 その会は午後七時過ぎから、中央線沿線の小さなスナックで始められる。最初から酒が入るし、当時は嫌煙権など逆にもっての外だったので、そこにいた筈の同人たちの容姿は、紫煙の向こうに霞んでしまっている。ただ彼らの話振りは良く憶えている。彼らは早慶、少なくとも日東駒専辺りを出ていながら、Fランク校出の彼にも「先生」と呼びかけてくるのだった。逆に嫌味だ。

『先生は何やら、ポストモダンに対し、一家言あるといったようなお話を伺ったのですが……』

 ほらきた、と思いながら彼はその男に向き直った。それが榎木だった。……という話にはならない。で、男の顔は依然として紫煙の彼方にあるというわけだが……。

「いやいやそういうセンスが、やっぱ矛盾なんじゃないっすか? たとえば先生方だって──」

 と、彼のほうでもやはり、先生という呼びかけを使わなければならない感じだった。

「たとえば先生方だって、ポストモダン的考え方が攻撃されたって感じ方、することあるわけでしょ? でもそうした意見への反論としちゃあ、やっぱポストモダンの多様性、フィーチャーするわけだ。フーコーは結局構造主義に留まったひとで、したがってフーコーを批判したところで、その批判はポストモダンには届いていない。デリダから観ればドゥルーズ=ガタリだってまだまだ実体主義的で、デリダの脱構築はやはり、批判できていない。そもそも大文字のポストモダンなんて概念を、自ら引き受けたのはリオタールぐらいなもんだ。でしょ?」

『ええまあ、確かに、ポストモダンは豊かですよ』

「やっぱね。でも誰なんです? 僕のこと先生方にチクったやつは?」

 そこでいよいよ榎木の登場と相成るわけだ。

(そういえば前回、なんかそんな男と帰りが一諸んなったな。確かルカーチかなんかに関して、ちょっと込み入った話んなったんだっけ……)

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文学の森 あんどこいぢ @6a9672

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