第6話 4
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「…………、いや。分かってたよ、世の中こんなモンだってのは分かってんだけどさあ……」
夏特有のまとわりつくような気持ち悪い暑さの中、伊月修哉は足を引きずるようにして歩いていた。学食の安っぽい牛丼もどきで全財産を使い果たし、比喩表現ではなく言葉の意味そのまんまで無一文になってしまった伊月の財布はただのポイントカード入れと化しており、それはこの先の生活費が皆無になったという厳しい事実を示していた。しょうがないのでとりあえずバイトでも探そうと学校帰りの道すがらコンビニやら飲食店やらにアタックしてみるものの、どこもかしこも当然のように履歴書を要求してくる。そんなもの完全無欠の無一文が持っているわけもなく、その時点で八割方お帰り願われた。残った二割も公園在住ということを告げたあたりで営業スマイルが引きつって、もうその後は察するまでもない。
街中にベタベタと貼ってある求人広告の実態なんてこんなモンだとは分かっていたが、実際目の当たりにすると世の中やっぱり厳しいのだと痛感させられる。
「……どっかに札束とか落ちてねえかなあー……」
夕日が赤く染める住宅街の中、もうそんな妄想しか縋れる希望がないくらいには伊月は追い詰められていた。というか昨日意味の分からない理由で突然住む場所を失ってこっち、ずっとこんな感じだ。今まではなんとかかんとかやりくりしてきたものの、それにも限界がある。
いっそのこと公園で家庭菜園っぽく農業でもやってみるか?などと真剣に考えてみるものの、そもそも種を買う金すらないので結局堂々巡りだった。
「…………、しんどい」
そんなわけで、結局何一つ変わらないまま今日も帰ってきてしまった。
『じどうこうえん』とか捻りも何もなく書かれた看板の前で伊月は溜息を吐く。
四角く区切るように設置された安っぽいフェンスの切れ目が大きく口を開けていて、公園にも呆れられているような気がした。
「しょうがねえだろ、世の中金がなきゃ働くことすらできねえんだよ」
思わずそう言い訳しながら、
立ち並ぶ遊具の群れには誰の姿もない。それが寂れた公園だからなのか、現代っ子はそもそも外で遊ぶなんて習慣がないからなのかは知らないが、いずれにせよ好都合だった。
ただでさえうだるような暑さと真っ暗な未来想像図で心はズタボロなのだ。そんな時に子供の純粋な目で質問攻めなんかにされたら間違いなく泣き崩れる自信がある。
「………………うわぁ」
益体のない割にリアリティのある想像図を思い描いて伊月の背筋がブルリと震えた。
それをごまかすように頭を振って、ポツンと一つだけ立っている自販機の横を通り過ぎる。夏場で売れ行きが伸びているらしく、半分くらい売り切れのランプが点灯していた。寂れているとは言ってもやはり子供は訪れているのだろう。ランプが点いているのはジュースばかりで、生き残っているのは水とコーヒーがメインだった。
(……喉、渇いた)
と、粘ついた唾液を飲むものの、水を買う金もないのだから仕方がない。自販機から意識的に目を逸らして、ノロノロと歩を進める。
そのうち本当に近所の子供たちがやってくるかもしれないし、さっさと寝てしまおう。どうせ起きていたところで何が変わるわけでもない。全財産をはたいてもちょっと足りなかった牛丼は夏場の職場探し行脚で消化され切ったし、むしろ起きているだけ損なのだった。客の入らない零細飲食店みたいだ、と伊月はげんなりしながら中央にどでかく構えている滑り台とカマクラの融合体みたいな遊具を回り込み、その奥で肩身狭そうに佇んでいるはずの砂場へ目を向ける。
と。
なんか、先客がいた。
「…………?」
先客は、こちらに背を向けるようにしてしゃがみこんでいた。その背中が邪魔をして何をしているかまでははっきりと見えないが、忙しなく手が動いている雰囲気的に穴でも掘っているような気がする。実際、朝方に謎の少女(と野良猫)によって荒らされた砂場が更に荒れている気もするし。
……いや、まあそれはいい。そこは野宿系高校生伊月修哉の貴重な寝床だと主張したい気持ちはあるが、それはいい。どれだけ言い張ろうと法律的にはみんなの公園だし、遊具より砂場の方が好きという趣味だってあるだろう。
だからそこに先客がいる、それ自体は別にいい。貴重な寝床が荒らされている、それも仕方がない。
仕方がない————そう、
問題は、その先客が思いっきり成人こえているだろう男の背広姿ということだった。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、あー……」
なんか、とんでもなく同類のにおい。
大体、大人だ。しかもここは住宅街の寂れた公園だ。あんなどこにでもいそうなセールスマン風の男がわざわざこんなところを訪れる理由なんて普通ない。ましてや砂場を掘り起こす必要とか本来ありえるわけがない。モグラ相手にセールスをかけに来たとかいうアホな理由じゃなければ、考えられる可能性なんて一つくらいしかなかった。
つまり、
社会って世知辛いなあ、と伊月はなんとなく芽生えた仲間意識から同情してみたり。
…………、まあ。それはそれとして。
(……盗られちゃっても困るんだよなあ……)
彼は仕方なさげに頭を掻く。
同情はするものの、目的が伊月と同じとくれば黙って見過ごすわけにもいかない。先に住処を定めたのは伊月であって、世の中早い者勝ちなのだ。同類としては申し訳ないが、この人には他の場所で幸せになってもらおう、と声をかけてみる。
「……あの?何してんスか?」
「!?」
ビクリ、と男の肩が飛び上がった。
伊月の存在に気づいていなかったのか、驚いたように振り返る。
なんというか、普通を絵に書いたみたいな感じの男だった。
崩れているという程でもなく、堅苦しいという程でもない程度にこなれたスーツの着方。怪訝と驚愕の入り交じった表情で固まる顔も、整っているというにはおこがましいが、醜いと揶揄する程でもなく。分けられた髪は七三というより八二に近い。
全体的に、特徴らしい特徴が見当たらない。
そこら辺のセールスマンを十人連れてきたら八人はこんな感じをしてそうだった。名前は田中モブ男とかいうに違いない、と伊月はかなり失礼な感想を抱く。
「……っと、すいません。驚かすつもりじゃなかったんスけど」
「ああ、いえ。こちらこそ、気づいていなかったもので」
男は丁寧な口調でそう言って、ふと気づいたように砂まみれになった両手を見下ろす。
「あ……はは、これはお恥ずかしいところを」苦笑しながら手を叩いて、「ええと、一応訳ありでして。不審者ではないので通報とかは勘弁していただけると」
遠慮がち、というよりは恐る恐るといった感じで伺うように男は言った。
「……、あー」
なんだか過去の自分を見ているみたいだった。この人も大変だったんだろうなあ、などと仲間意識が一層強くなる。
よく見れば、夕陽に照らされる苦笑の陰に哀愁とかが見え隠れするような気がするし。
「大丈夫っスよ、俺も同じ側なんで。分かってます」
「え?」男の苦笑が固まった。
「世知辛いっスよね、ホント」
同情てんこもりで溜息をこぼす伊月。
目の前では、男が「え?なにが?」みたいな顔をしているのだが、自分の世界に入ってしまった伊月の目にはそんなもの入っていなかった。
彼は深く頷きを繰り返して、
「いや、俺もこんな事になったのは最近なんですけどね。元凶の親父はどこに行ったか分かんねえし、クラスメイトには笑われるし、学食のババアはケチくせえしでもう散々」
はーやれやれ、と肩をすくめる伊月。
こうして振り返ってみると、あまりにも悲惨だ。ここ二日間で人生の不幸レコードは確実に更新し切った。多分、不幸自慢をしたら大抵の人には負けないんじゃないかと嬉しくもない自負が芽生える。
「……はあ。まあそんなわけで、実はここ俺の寝床なんですよ。なんで申し訳ないんですけど、住むなら別の場所を————」
「あの、ちょっと待ってください」
「はい?」
探して下さい、と言い切る前に待ったをかけられて伊月は男へ視線を戻す。
男は手振りで落ち着けるような仕草をして、
「すいません、何の話をされてるんでしょうか?」
そんなことを聞いてきた。
「何の話って、この砂場は俺の寝床なんで他探してくださいってだけですけど?」
「寝床……?あの、いえ。私は別に寝る場所を探していたとかではなくてですね」
「?」
なんだろう?と伊月は首を傾げる。
男は困り切ったような顔をしていた。訳が分からないうちに訳の分からないことを畳み掛けてくるな、と顔全体に書いてある。赤線で強調までしているくらい分かりやすく。
「……あれ?」
何となく、男と話が噛み合っていないような気がした。
「………、」伊月は少し考えて、「あの、ちょっと質問なんスけど」
念のために確認してみることにした。
「家を追い出された経験とかあります?」
「?ありませんが」
「……『差し押さえ』って言葉にトラウマとか」
「ありませんが」
「…………実は財布の中身空っぽだったり」
「ええと……一応ありますよ。といっても数千円程ですが」
「………………、」
男の広げた財布の中には、微笑む髭面のおっさんがいた。しかも複数人。
その懐かしすぎる顔に伊月は思わず目眩を覚えるが、頭を振って堪える。今こだわるべき所はそこではない。
男は無一文ではなかった。口振りからすると住居もしっかりご存命らしい。
となると、なんだ。
まさか、まさかではあるが。
「………………もしかして、
「そうですけど?」
当たり前のように返されてしまった。
伊月が心因性のダメージで撃沈したのは言うまでもない。
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