第2話 =0
どうするもこうするも、野宿しか無かった。
元より親類縁者の交流自体が薄い現代、頼れる誰かなどそう簡単にはいない。
かと言って友達の家に上がり込むとかも論外。第一なんて説明すればいい。家なくなったんで泊めてくださいとでも言うつもりか?
「全体的に悲しすぎるだろそれ……」
そんなわけで、伊月がいるのは住宅街の片隅に小さく作られた公園であった。
もはや家出ごっこしている小学生並みの野宿先ではあるが、よく考えればここが一番安全かつ快適だという判断によるものだ。
まずもって、選択肢自体が少ない。
野宿と言って思い浮かぶのなんて、駅周りか公園くらいのものである。実際他にもあるのかもしれないが、今まで一度も家出などした事の無い人間優等生の伊月修哉が知っているのはそれくらいであった。
そして、その二択で考えた時により野宿に適しているのはどちらかと言えば、それは迷うことなく公園であると彼は断言する。
だって深夜の駅周りとか不良に絡まれそうで怖いし。
「……夏でよかったわあ、ほんと」
しみじみと呟く。
これが冬場だったらもう凍死コース一直線だった。
実際、そういう人たちが死ぬ時期の大半が冬場だという話も聞くし、あながち冗談では済まないと思う。
そうやって不幸中の幸いを数えながら、彼は小さな公園のさらに片隅にぽつんと設置されている砂場へ足を向ける。
公園で野宿、なんて聞くと滑り台の下だとかベンチだとかで寝るイメージが先行しがちだが、それはフィクションだから通用するのだった。実際にそんな所で寝たら翌朝には冷凍庫に一ヶ月間忘れ去られたアイス並の腰が完成していることだろう。というか、いくら夏とは言っても七月の夜は普通に寒い。
故に、伊月は砂場に人間大の穴を掘ることにした。
トルコのカッパドキアや日本の土壁を見れば分かるように、土というのは存外断熱性や保温性に優れた建材として使われてきている。おまけに乾いた砂地には柔軟性もあるとくれば、ここまで快適な即席寝床も他にない。
「こんなもんかね」
砂にまみれた両手を叩きながら、彼は細く吐息を漏らす。
やってみれば案外呆気ない。
子供の頃、あれだけ広く深かった砂の海はあまりにも容易く割れていた。恐らく五分とかかっていない。
「ふはは俺がモーセ!」
上がったテンションのまま両手を広げてみた。
日の落ちた街からはなんの喝采も返ってこない。聞こえてくるのは立ち並ぶ住宅から漏れる楽しげな団欒の声のみ。
「…………、」
激しく鬱。
なんだってこの平和な現代で古代様式の寝床作りなんぞしているのか。
冷静になって振り返れば、あまりの惨めさに愕然とする。もはやボケがどうのというレベルではない。
「……へっ、いいもん」
どうせ寝るだけなんだし。ベッドだろうが砂場だろうが一緒だ。
そう呟きながら、伊月はそこら辺で調達してきたビニールシートを広げる。捨ててあったものに包まることへの抵抗感はあるものの、体中砂まみれになるよりは幾分かマシだろう。
この辺り、なんだかんだと無駄に順応してしまうのが伊月修哉であった。
「…………はあ」
実際、この後どうしよう?と伊月は携帯を取り出してみる。
待ち受けに表示された時刻は二〇時二三分。寝るには少し早すぎるものの、やることも無い。この先どうなるかの予測が立たない以上、暇つぶしで携帯の充電を減らす訳にはいかないだろうし、本当にどうすっかなーなどと明るい月を見上げながら途方に暮れる伊月の背後から、ザリっとサンダルが地面を擦る音が聞こえた。
「…………、何してんのアンタは」
呆れ果てたような声に、あん?と伊月は振り返ってみる。
腰に手を当てながら立っているのは同い年くらいの少女だった。茶色がかった黒髪は肩にかかる程度で切り揃えられており、そこそこに整った顔立ちは少し大人びている。その割に受ける印象は若干幼げなのがアンバランスだ。着ているのがファンシーなフリフリのついた部屋着だからなのかもしれない。
見ようによっては冷たいとも取れる目付きを更に訝しげに細めて、彼女は言う。
「何してんのアンタ?」
「うるせえな、二回も同じこと聞くんじゃねえよ。……つーかお前こそなんでこんな時間に外出歩いてるわけ?お子ちゃまは早く帰って寝ろよ。深夜徘徊で捕まっちゃうぞ」
「誰がお子ちゃまよ!あんたと年一緒でしょうが!!」
「ええー……?」
「……なんでそこで疑問形なのよ」
「いやー、だってえ」
もう一度目の前の彼女の姿を上から下まで眺めてみる。
「そんなフリフリのクマさんプリントパジャマ着てる人がー、ボクと同い年でクラス委員長までやってる美山京子さんとかー、ちょっと信じられなくてえー」
「んなっ……!?」ボッと火がついたように少女の顔が赤くなる。「べ、別にあたしが普段なに着てようが勝手でしょ!なによ少女趣味じゃ悪いわけ!?」
「ええー?ボク少女趣味とか一言も言ってませんけどおー?」
「言外に言ってるでしょうがそれ!あといちいち語尾伸ばすんじゃないわよ腹立つ!!」
割と大きめな声が住宅街に反響する。
近くの家の窓がいくつか開いてすぐに興味を失ったように閉まった。どうせカップルの痴話喧嘩とでも思われているのだろう。美山はそれに気づいていないようなので教えてやろうかとも思ったが、やめた。多分、今の
「で?何の用だよお前。夜の散歩か?」
「べ、つに……」美山京子は、喚き散らしたせいで乱れた息を整えて、「そんなんじゃないわよ。ただ近くで変な声がするから見てこいって言われて」
「変な声?」
「なんか気持ちの悪い笑い声で『俺はモーセ!』とか叫んでる痛い奴がいたらしいわよ」
「………………………………………………………?」
伊月はちょっぴり首を傾げる。
その言葉は、何だか覚えがある気がした。
「あとなんかブツブツ言いながら砂場掘り返してるのも見えたらしいし」
「………………………………………………………、」
伊月は更に首を傾げる。
その行動は、何だかすごく覚えがある気がした。
「ていうか普通そんな頭おかしそうな奴の所に自分の娘行かせようとする?襲われたらどうすんのよ。ねえ?」
「………………………………………………………。」
伊月はもう直角になるくらい首を傾げる。
その頭のおかしそうな奴は、何だかすごくすごく覚えがある気がした。
「?ちょっとアンタさっきから黙ってるけどどうしたわけ?相槌くらいしなさいよ、あたし一人で喋ってバカみたいじゃない。ただでさえここら辺で不審者が見えたって言うから不安なんだけ、ど……?」
そこで美山はハタと何かに気づいたような顔をして、伊月へ視線を向ける。
より正確には、伊月修哉の背後。掘り起こされた砂場とそこに敷かれたビニールシートへと。
見比べるように伊月と砂場へ交互に視線をいったりきたりさせて、
「…………もしかして、アンタ?」
「…………、」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!やっぱりアンタ?アンタなの?こら冷や汗流しながら目逸らしてないでちゃんと答えなさいって、アンタが厨二病爆発みたいなこと叫んで砂場掘り返してた訳!?」
「……もしそうだったら?」
「ちょっと待ってね。五分もしたら迎えに来てくれると思うから」
「躊躇なく警察!?クラスメイトに対する慈悲とか思いやりとかないのかテメェ!」
後ずさりながら携帯を取り出した美山を手振りで必死に止める。こんなしょーもないことで前科持ちになるとか死んでも嫌なのだった。
「分かった!分かったから!ちゃんと説明するからまずナンバープッシュするのやめよう?な!」
「……どんな理由があるって言うのよ」
必死の懇願に、美山はとりあえず動きを止める。それでも携帯は手放さない辺り、伊月修哉への心証はかなり低めらしい。チクショウこれが好感度不足のバッドエンドフラグか!?と伊月は内心歯噛みする。
とにかくここでミスったら獄中エンディングが流れるのは確定みたいだった。現実はどこぞのゲームみたいにセーブもリセットもきかないので、彼は慎重に言葉を探しながら口を開く。
「あー、その……家がな?こう、帰ったら無くなってて……」
「……は?」
「いや、俺もバカバカしいっつーか意味わかんねえんだけど。帰ったらな?家の前に張り紙してあったの。『差し押さえ』とかいうのが」
「……なんで?」
「あのー……、そのー……親父が、その……他人に金貸して家賃払えなくなったらしくて……」
なんだって夏休み目前の学生みんなハッピームードな夜にこんなことを説明しなきゃならないんだろう?と伊月は半分泣きそうになりながら説明する。
「それで、家、なくなっちゃったから……野宿先を探してて」
「……それがどう転んだらイタい厨二不審者に繋がるのか見えないんだけど」
混じりっけなしの困惑顔に、う、と伊月は言葉に詰まる。
確かに説明すると言ったのは自分だし、説明しなければ獄中エンド一直線なので選択肢自体がないのだが、なんというかそれはすごく躊躇われた。
伊月は美山京子とそれほど親しいわけでもないが、普通「砂場に棺桶よろしく穴掘って寝ようとしてました」と聞いて、まあ可哀想に!とはならないんじゃないかと思う。いいとこ半笑いの沈黙だ。下手したら爆笑されるまでありえる。
「……笑わない?」
「なによ今更。あたしは人の不幸を笑うほど性格捻くれた覚えはないわよ」
「……ホントに?」
「本当に」
「……絶対?」
「笑わないって言ってんでしょ!いいから早く言っちゃいなさいってば!」
「…………、」
確かに、美山は傍目で見ていても正義感の強い人柄だったと思う。なんせクラス委員長に自分から立候補するくらいだ。普通なら笑われるようなことでも親身になって聞いてくれるかもしれない。
そう思った伊月修哉、割と一世一代の大告白みたいな覚悟を決めて口を開く。
「いや、ほら。夏って言っても夜は寒いじゃん?だからさ、砂で断熱しようかなって思って……その、」
「…………それで、砂場?」
「そう」
「………………………………………………へ、へえ」
たどたどしく答えた美山の肩は、何故か震えていた。
本当に何故かその震えは大きくなっていって。
「…………、ぶふっ」堪えかねたように美山は吹き出す。「いや、だからって砂場とか……く、あっははは!ちょっとごめん無理!笑うなって方が無理よそれ!あははははははっ!」
最終的に、ひぃー!と腹を抱えて引き笑いに突入する美山。そこに「人の不幸を笑ったりしない」とキメ顔で語っていた誠実さとか凛々しさなんていうものは欠片も残っちゃいないのだった。
伊月はうそつきー!と内心叫びながら頭を掻きむしる。
「ああもう!そうだよ!俺だって本当はこんなこと頭おかしいって分かってるよ!でもしょうがねえじゃん!だって家ないし!金もないし!どうしろってんだチクショウ!」
うばあ!!ともはや頭を抱えてしまう伊月。
残響する笑い声が痛い。こんな惨めな思いするくらいならいっそのこと不審者扱いで警察呼ばれてた方がまだマシだったんじゃないかと半ば本気で彼は思う。
いい加減喚きすぎたのか、立ち並ぶ住宅のどこかから「うるせえぞバカップル!!」みたいな声が聞こえた気がしたがそんなもん気にしてる余裕なんかなかった。
「なんだよう……俺が何したってんだよう……」
ついにしゃがみこんでシクシクと泣き声を漏らしだす伊月。実際悪いのは全部
そんな全身から哀愁を垂れ流す伊月修哉に良心の呵責でも芽生えたのか、美山は「あー……」と微妙な顔をして、
「ごめんってば。そんな捨てられた子犬みたいな雰囲気漂わせるのやめなさいよ」
「……いいよもう。どうせ俺は厨二爆発の不審者で砂場寝床にするような惨めで哀れなバカだもん。ほっとけよ」
「うわ、男のメンヘラって初めて生で見たけど予想以上に気持ち悪いわね」
「実はなんも反省してねえだろお前」
思いっきり素で引いてやがった。どの口でごめんとか言ったのかコイツ。
もはやそれに抗議する気力もなくなった伊月は、はあ、と脱力して立ち上がる。
「もう分かったら帰れよ。俺も大人しく寝るから」
「え?寝るって……まさかここで?本気?」
「だからそう言ってんだろ。何聞いてたんだお前、若年性アルツハイマー?」
もうなんか全てがどうでも良くなってきたので、適当に答えながらマイホームの最終チェックとかしてみる。想定外に長い時間放置された新居は、すっかり冷え切ってしまっていた。こうなっては保温もクソもあったもんじゃないが、まあ断熱してくれるだけマシだと思うことにする。
妙に煤けたその背中に、美山は面倒くさそうな溜息を吐いて、
「……じゃあ、ウチくる?」
そんなことを言った。
「……は?」
唐突といえば唐突な提案に、伊月は訝しげな顔で振り返る。
いい加減冷たくなってきた夜風に煽られて、少し寒そうに身を縮める彼女は明後日の方を向きながら口を尖らせていた。
「いや、なんか寝覚め悪いじゃん。このまま放置して帰るのも」
だからさ、と仕方なさげに頭を掻いて。
「ウチ来なさいよ。事情が事情だし、しょうがないから泊めてあげる」
「……はあ」
誠実さも凛々しさもまとめてゴミ箱に放り投げたような性格をしていた割に、正義感が強いというのは抱いていたイメージ通りだったらしい。色んな意味で人は見かけによらないなーなどと伊月は思う。
「ほら。いつまでもボケっとしてないで」美山はそう手を差し伸べてくる。「そもそも学ランなんか着たままじゃ寝られないでしょ。着替えくらい出してあげられるから、早くしなさいよ」
うーん、と伊月は目の前に伸ばされた小さい手を眺めながら考えてみる。
確かにその提案はありがたい。実際、この極限状態において普通に布団で寝れるかもしれないというのはかなり抗いがたい誘惑なのだ。
なのだが、
「…………、」
もう一度彼女の華奢な姿を上から下まで見て、何度目になるかも分からない溜息を吐く。
興味を失ったように砂場へ向き直りながら、後ろ手を軽く振って彼は言う。
「いや、やっぱいいわ」
「なんでよ?」
「だって」携帯のアラームをセットしながら、「フリフリクマさんパジャマとか出されても恥ずかしくて着れないし」
「…………、」
ヒクッと美山の頬が少し引き攣った。
しかし頭を使うことを完全に放棄した伊月修哉は、微妙な空気の変化に気が付かない。
「それにお前の親になんて説明すんの?嫌だぜ初対面の人に『野宿しようとしてたら拾われました、へへ』とか挨拶すんの。ていうか普通に考えてこんな夜中に押しかけるとか、付き合ってるって誤解でもされたらどうすんだ」
「…………、」
美山は差し伸べていた手を降ろし、静かに拳を握る。
繰り返すが、頭を使っていない伊月修哉はミシミシという音に気が付かない。
「せっかく作ったマイホームで一泊もせずに捨てるっていうのもアレだしさあ。つーかお前、ここ俺の家よ?結構居座ってるけど不法侵入だからな」
美山は俯いて小刻みに震えている。
何度でも言うが、頭を使っていない伊月修哉は「あんたねぇ……」という小さな呟きに気が付かない。
「いい加減帰れよ通報すんぞ。ほら、しっしっ」
「……人の、善意を————」
「あ?」
なんだかとてつもなくドスの効いた低音が聞こえて、ようやく伊月は振り返る。
時すでに遅し。
そこには、なんかもう
「————ことごとくバカにしてんじゃないわよ、このクソ間抜けが————————ッッッ!!!!」
「ヒィ!?ちょ、まっ落ち着けぉブチェッ!!」
本日の教訓。
おんなのこおこらせたらこわい。
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