16話

 やっぱり、お金は非常に大事なものである。

 常々そう考えてきたけれど。より一層、その考えは色濃く僕の中に根付いていた。

 結局。僕がこれまでやってきた配信の手伝いによる給料の蓄えていた分は、全額菜美さんの新しいパソコン代へと消えていった。せっかくなので更に性能が良い物を揃えたいという血も涙も情けもない判断により、今まで蓄えてきた貯金にも手が伸びそうになったぐらいだ。


「……セッティング、終わりました」

「おっ、ご苦労ご苦労」


 居間のソファーに寝っ転がっている菜美さんに仕事が終わったことを伝えると、そんな軽い労いをもらえた。

 うん、まぁ。まさか那奈が無理矢理ドアを開けたりしないだろうと高を括っていたのも僕だし、パソコンに止めを刺したのは僕の頭突きだし、文句は言えない。那奈も少なくとも半分は出したいと言っていたが、そもそも双本結のデザインやVtuberとしてデビューするためのあれこれも全て菜美さんにお願いした分の依頼料も込みで考えてくれたのだから、十分温情と言えるだろう。

 自室に戻ってきた菜美さんは僕がセットしたパソコンを意気揚々と操作し、満面の笑みを浮かべている。


「いや良いねぇ。新マシンはやっぱ良いねぇ。どうせだし液タブも買い替えたかったけど、そこは壊してもらってないもんなぁ。ねぇ、ちょっと瓦割してみるつもりない?」

「まな板として使って洗わずに返しましょうか? 壊れるまで弁償しませんが」


 液タブを両手に持って僕に向けてくる菜美さんを見ると、どうしたって素直に感謝する気にはなれないけど。


「データは基本的に別サーバーにアップロードしてたから無事だし、パソコンも新しくなって、芹沢なずなも無事活動を再開して、しかも双本結という新たな相棒を連れてのスタートだ。いやぁ、何事もうまくいってあたしは嬉しいよ」

「散々言ってますけど、ずっと配信に参加するつもりはないですからね。基本的には今までと変わらず、あいつがまたコラボ企画に参加したりする時は付き添いで参加したりとか、その程度ですから」

「いやいやそんなつれないこと言わないでよ。ほら、結ちゃんの人気すごいんだよ。ファンアートめっちゃ描かれてる。しかも、あたしの尊敬する大先生まで描いてくれちゃってるしさ。いやぁ、さすがあたしのデザインだね」

「まぁ、人気出そうなデザインだな、とは思いましたね」


 突然のゲリラ配信が突然の強制終了という、話題性だけは途轍もない配信から数日後。明らかに迷惑を被った人の方が多い配信だったにも関わらず、「芹沢なずなはやっぱりこうじゃないと」という謎の信頼感によって、休止からの復活も双本結という新人Vtuberの存在も、概ね好意的に受け止めてもらっていた。


「……というか、双本結のデザイン、僕が依頼する前から終わってましたよね」

「そうだよ。あんたが那奈の手伝いを始めた頃ぐらいから始めて……まぁ、そんなかからなかったかな」


 パソコンの画面に目を向けたまま、菜美さんは答える。


「……その頃から、僕がこうやって関わることになるってわかってたんですか?」

「まっさか。んなのわかるわけないじゃん。たまたま気が向いたから描いてみてただけだよ」


 その言葉を額面通りに受け取っていいのか。訝しげな目で見ていると、菜美さんは僕のその様子を鼻で笑って、姿勢を僕に向けた。


「……ねぇ。もしもあたしが、那奈みたいに本当は気弱で臆病で、そんな自分を隠すためにこんな格好をしてるって言ったら、信じる?」


 派手な見た目と色のした自分の姿を指差し、菜美さんが僕に向けて問いかける。


「信じないですね。わかりやす過ぎて嘘になってないです」

「うん、まぁ、嘘なんだけどさ。少しは悩んでよ」


 不貞腐れたように唇を尖らせる菜美さんの顔には、今日も濃いメイクを施して、服装も臆病とは程遠い方向性に振り切れている。


「でも、元々こういう格好は、あたしも好きでやってたわけじゃないんだよ。昔、こういう絵を描いてたらさ、周りにからかわれたことあって。んで、普通にうぜぇなって、じゃあ舐められない格好をしたら言われないかなって思って、こうなった」

「……それって」


 前に菜美さんが僕に話してくれた言葉を思い出す。芹沢なずなのあのかわいらしい姿を、菜美さんは「武器」と言った。鎧であり、跳ねのけるための武器だと。

 なら、菜美さんのその格好は、もしかして。


「昔はそんなつもりでこういう格好をしてたけど。もう、今となっちゃ好きでやってるし、あたしの中で本物になってる。あたしはこれだ!って胸を張れるための武器にさ」


 見る人から見れば威圧的な格好を、菜美さんは胸を張って武器と言い張る。その姿に、声色に、少しも虚勢は見られない。


「そんなもんだよ。人間、生きていればなんだって本物にできるもんさ」

「……それ、どうして咲沢に言ってやらなかったんですか?」

「あたしから言われるより、あんたに言われる方が響くでしょ。ま、似たようなことを言ったのはあんたじゃなくて、あたしが描いたかわいい女の子だったけどね」


 ……ここで反論すると双本結が自分だと宣言するようで、僕は何も言えずに口を噤む。双本結はあくまで僕が芹沢なずなと遊ぶための仮初の姿であって、僕じゃない。

 誰がなんと言おうと僕は二木悠里でしかないし、双本結を僕の中の本当にするつもりは更々ない。

 旗色の悪さを感じて、僕は何も反論せずに部屋を出ようとする。その僕の足を、普段の様子とはかけ離れた、優しく響く「ねぇ」という声が止めた。


「たぶん憶えてないだろうけど。昔、あんたたちはこの部屋で遊んでいたことがあるんだよ」

「……そう、でしたっけ?」


 思い返してみても、そんな記憶は菜美さんの言葉通り出てこなかった。当時のことは菜美さんの方がずっと記憶に残っているだろう。それを、嘘だと割り切るつもりもなかった。


「あたしはあんたたちと遊びながらへったくそな絵を描いて。それを見て二人してさ、かわいい絵だって褒めてくれたんだよね。かわいい女の子を描いて、二人ともかわいいかわいいってうるさくてさ。二人して、こんな女の子になってみたいとか言ってたんだよ?」

「……全然憶えてないです」


 男女の差が希薄なほどに昔だったから、僕もそんなことを言ったのだろうか。


「まぁ、憶えてないだろうね。乗り気になってはしゃぐ那奈に引っ張られるみたいに頷いてただけだもん。でも……それでもさ、あの時初めて、絵を描いて楽しいって。喜んでもらえて、楽しいって思ったんだ。だからその日に、母さんに言ったんだよ。将来、あたしは絵を描いて生きていきたいって」


 菜美さんの操作していたパソコンの画面には、二人の女の子が並んで立っていた。芹沢なずなと、双本結。対になる色合いや要素が多い、一番見慣れたVtuberの姿だ。


「ありがとう。母さんに見せるのには間に合わなかったけど。おかげで、あたしの夢は叶ったんだ」


 そう言って笑う菜美さんの表情は、いつもの野蛮さなんてどこにもない、清々しいもので。


「……こちらこそ、ありがとうございました」


 皮肉を返す気にもなれなくて、僕は素直にそうお礼を返して、部屋を出た。もうすっかり歩き慣れた廊下を歩き、すっかり入り慣れた別の部屋に入る。

 すでに配信を始め、芹沢なずなとして笑い、はしゃぎながら話す那奈は、部屋に入ってきた僕に視線だけを向け、笑顔を向ける。昔や、配信中のカメラに向ける笑顔よりもずっとぎこちない笑顔だ。

 それでも、ちゃんと僕に向けられた、咲沢那奈の笑顔だ。

 いつものように慌てて、謝って、それでも、笑顔になって楽しそうに。咲沢那奈は芹沢なずなを映し出す。


「予定にはなかったけど、今日は結ちゃんも来てくれたんだ……うん、だからって、みんなはしゃぎ過ぎじゃない? 結ちゃんの方が人気出そうなのはわかるけど主役は私だから! 今日のゲームは一人用なんだから、結ちゃんはやらないからね!」


 パソコンを操作して、二本結の姿を配信している画面上に映す。那奈が使うものとは別に用意したカメラの画角に入り込み、僕の表情を読み取ってあまりにも似ていない少女が微笑んだ。

 昔、菜美さんが望んでいたのかもしれない姿が。二人の女の子が笑顔を浮かべ、楽しそうに笑っている姿が並ぶ。


「まぁ、私がやったら今日中にクリアできそうだしね」


 「マジでできそう」「結ちゃんがプレイした方が早く終わる」「あの時の一発クリア未遂の腕前を見せてくれ結ちゃん」


 そんなコメントが流れ、思わず二人して笑ってしまう。


「否定できない……味方がいない。コメントも全部敵だ……」


 そんな風に恨めしそうに呟く那奈も、口元には笑顔が浮かんでいて。

 誰よりも。何よりも。今この場を楽しんでいた。


「今日は私がやるから! 結ちゃんはそこで見てて、時々アドバイスください!」

「いいけど、百回負けたら交代ね」

「さすがにそこまでボロクソには負けないよ!? いや、えっと、うん、たぶん。大丈夫!」


 虚構でできた姿を見せつけて、本物の心を曝け出して。


「芹沢なずなは、今日も元気に楽しんでいくからね!」


 僕の幼馴染はそうやって、この世界の何よりも楽しそうに笑っている。








                                     了

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クラスの冴えない幼馴染が実は人気Vtuberとして楽しそうに笑っている ツナ缶 @tunawn

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