第60話 さようなら 8
ですが数人に羽交い締めにされてしまいました。ドレスそのものが、ぼくから自由を奪っているような気もしました。体は宙に浮き、足をばたつかせても、彼らはなんともなく、手はがっちりと掴まれて動かせないまま。
袋がぼくの頭に被せられます。
「あっ!」
その瞬間。袋がぼくの目の前を通り過ぎる直前に、見えたのです。
あとから入って来た男が、耕一の方へ向かう後ろ姿を。
その左足をかばうように少し引きずる姿を。
「黙れ」
袋の上から口を大きな手で塞がれ、肩にチクンと痛みがありました。
「ゆっくり眠るんだ」
「帰りたい……」
とても眠くなり、怠くなっていきます。なにかを注射されたのです。
「気の毒だが、君には、自分ちはないんだ」
「急げ、連中が来るぞ」と鋭い声。
「それでは、みなさん、さようなら」と声をかけました。馴染みのあるあの声。左足を引きずって歩く……。
ぼくは意識が途切れ途切れになっていました。とても眠いのです。
男たちに抱えられて、店の階段を上がり、エンジンをふかしているクルマへ連れ込まれました。
気がつけば、自動車は猛スピードで走っていました。
急ブレーキ。怒号。急カーブ。そうした喧噪も遠ざかっていきます。
兄。あれは兄だったのでしょうか。懐かしい。だけど怖い。もし兄が鬼だったら……。
八千代や先生はともかく、耕一が心配でなりません。グレ太やガル坊、魚屋さんとも、二度と会えないのでしょうか……。
美枝子は……。
そこでぼくの記憶は、ほんのわずかな部分を残してきれいに塗り固められてしまいました。そこに記憶があることは間違いないありません。そう思えてならないのです。勘違いかもしれません。確かめる方法がいまはわからないのです。
壁野俊としての記憶は、まったく違う新たなものへ置き換えらつつある……。
奇妙な夢。それは分厚い雲のような膨大な記憶のわずかな切れ目から差し込む光。そこにぼくがいるのです。
青空と雷雲の間。足元に稲光が蜘蛛の巣のように四方八方へと走っています。上は真っ青。薄い水色の中に漂っています。
天国なのでしょうか。
ここには誰もいないようです。
だけど激しい振動と走行音が背中や足をぶるぶると震わせています。天国にいるぼく。自動車のシートにだらしなく埋まっているぼく。
どちらもぼくなのです。
浮いているぼくが、ぼくにこう言うのです。
「さようなら」
ぼくが、どこかへ行ってしまう。ぼくはいつになったらぼくに出会えるのだろう──。
そんな長い夢に入り込んでいったのでした。
〈「ブラッドシティ2」へ続く〉
https://kakuyomu.jp/works/16816452221171456061
ブラッドシティ 本間舜久(ほんまシュンジ) @honmashunji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます