第二話『ちっちゃくてかわいい先輩についての考察と、照れるアフレコレッスン』3
「今からやるのはこの『ときめき☆ブロードキャスト』。クライマックス部分を台本にしたから、そのシーンの
「分かりました」
うなずいて先輩の隣に立つ。
アフレコの題材として先輩が選んだのは、『ときめき☆ブロードキャスト』というアニメのワンシーンを抜粋したものだった。
「ちゃんと映像も用意してあるからね。これを見ながら声を当てていくんだけど、準備は大丈夫?」
「はい、やれます」
「じゃあ始めよっか。──三、二、一、スタート」
先輩の声とともに、放送室に備え付けられたテレビからアニメの映像が流れる。
主人公とヒロインが二人きりで見つめ合っているシーン。
そのヒロインの動きに合わせて、先輩がゆっくりと声を発する。
「『──あたし……きみの声が、好き』」
目が覚めるような声だった。
澄み切った水のように清らかで、それこそ深い海の底から流れてくるような響き。
『放送室の
思わずその声に
「『俺は……このままの関係はイヤです。先輩の声を、いつだって
「『あたしだってそうだよ。きみの存在を、声を
「『それは、でも……!』」
どうやらこの二人は同じ高校の放送部の先輩後輩で、秘密の恋人同士のようだった。
放課後の放送室で、人目を忍んで
しばしそんな掛け合いが続く。
互いへの抑えきれない気持ちがあふれた、リリカルな
と、その時、あることに気付いて
これは……
「……」
「あれー、どうしたの
そんな
「あ、ふふふ、もしかして……
からかうようにしてそんなことを言ってくる。
「いや、そうではなくて」
「いいっていいって隠さなくても。しょうがないなー、もー、お子ちゃまなんだから
「同じシチュエーションを……?」
「そうそう。声だけじゃなくて実際にシチュエーションも再現すれば自然に
画面でヒロインがやっているように、先輩がこっちに向けて大きく両手を広げてくる。
「……」
「どうしたの? こないの? 遠慮しないでいいんだよ?」
「……」
「って、ふふ、こういうのはまだ
うんうんとうなずきながらそう口にする先輩に、
「先輩」
「うん?」
「……」
「え? な、なに? ちょ、ちょっと? 何で無言で近づいてくるの? え? え?」
「……」
「ま、待って! ほ、本気!? そ、それは実際に同じシチュエーションをやってみようって言ったけど……で、でもまさかほんとにやろうとしてくるなんて思わなかったっていうか……! ほ、ほら、あれだよ? あたしは年上で大人だからこういうことも、その、ド、ドンとこいだけど、
「あの、先輩」
「こ、心の準備が……っ……!?」
何やらわたわたと顔の前で両手を振って後ずさる。
その様子も慌てふためく
「先輩のスマホが鳴ってます」
「…………へ?」
「さっきからずっと振動しっぱなしです。着信じゃないですか?」
「……え? あ、そ、そっか、スマホが鳴って……」
はっと我に返ったような顔になって、先輩が慌ててスマホを手に取る。
「──も、もしもし? あ、お母さん。何、どうしたの? え、今日の夕飯はあたしの好きなカレーライスだから早く帰ってこい? そ、そんなことでわざわざ電話かけてこないでってば! だ、だから……」
どうやらお母さんからの電話のようだった。
タマネギは
「……うん……うん、分かったから。ちゃんと寄り道しないで帰るってば。だからニンジンをニャンコ型にするのを忘れないでよ? うん、うん、じゃあね」
やがて通話を終えて、先輩が疲れたような顔でこっちを向いた。
「……ふう、ごめんね
「いえ、ぜんぜん大丈夫です」
むしろ先輩の好物がカレーだと知れてよかったくらいだ。
「それならいいんだけど……」
「それよりさっき言ってたことですけど……」
「! な、何でもない! さっきのは、その、ダウト! 何ていうかちょっと間違っただけだから!」
「でも……」
「い、いいから、わ、忘れろー!」
湯気が出そうなほど顔を赤くしながらぽかぽかと
「はあ……」
よく分からないけれど、とりあえずツーアウトが取れたことは確実みたいだった。
その後もアフレコレッスンは続けられた。
「じゃ、じゃあ続きをやろっか? 今の
「はい」
「……うう、年上の余裕を見せつけて
「『俺は先輩のことを、心から愛しています。世界中のだれよりも、あの丘に咲く美しいバラよりも、夜空に輝く
「何で真顔でできるの!?」
先輩が叫んだ。
飼っているゴールデンレトリバーが絶対にできないだろうと思われていた逆立ち芸を成し遂げたのを見た飼い主みたいな絶叫だった。
「そう言われても、練習ですから」
「う、そ、それはそうかもしれないけどさあ……せ、せめて少しくらい照れたっていいっていうか……」
「?」
「あ、う、ううん、何でもない! じゃ、じゃあ続きをやろっか!」
「次は先輩の
「そ、そうだった。え、ええとあたしの
先輩が台本を持ったままフリーズした。
「え、ちょ、ちょっと、何でこんな恥ずかしい
「先輩?」
「あ、ちょ、ちょっと待って、今ちゃんとやるから……!」
「……」
「え、ええと……あ、あた、あたしもきみのことが……す、すっすっすっすっ……」
「……」
「……き、きみのその……た、たたたくましい
「……」
「……だ、だから……つ、強く、だい、抱いて……みっ、身も心も、とっとけとけとけとけ……とけてひとつににゃるくらい……」
ぎゅっと目をつむりながら一生懸命に
そんなもどかしい時間が五分ほど続く。
見かねて、
「先輩」
「な、なに?」
「よかったらこのシーン、実演しましょうか?」
「……ひょ……っ……!? え、遠慮しまふっ……!!」
目をシロクロさせながら先輩が湯気が出そうなほど顔を真っ赤にする。
図らずも、スリーアウトを達成できたのだった。
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