第二話『ちっちゃくてかわいい先輩についての考察と、照れるアフレコレッスン』3

「今からやるのはこの『ときめき☆ブロードキャスト』。クライマックス部分を台本にしたから、そのシーンの台詞せりふを当てていくの。いちむらがこっちの主人公役で、あたしがヒロイン役だからね」

「分かりました」

 うなずいて先輩の隣に立つ。

 アフレコの題材として先輩が選んだのは、『ときめき☆ブロードキャスト』というアニメのワンシーンを抜粋したものだった。

「ちゃんと映像も用意してあるからね。これを見ながら声を当てていくんだけど、準備は大丈夫?」

「はい、やれます」

「じゃあ始めよっか。──三、二、一、スタート」

 先輩の声とともに、放送室に備え付けられたテレビからアニメの映像が流れる。

 主人公とヒロインが二人きりで見つめ合っているシーン。

 そのヒロインの動きに合わせて、先輩がゆっくりと声を発する。


「『──あたし……きみの声が、好き』」


 目が覚めるような声だった。

 澄み切った水のように清らかで、それこそ深い海の底から流れてくるような響き。

『放送室の人魚姫リトルマーメイド』の呼び名はじゃない。

 思わずその声にれてしまいそうになるのをグッとこらえて、りゆうすけも自分の台詞せりふを口にした。

「『俺は……このままの関係はイヤです。先輩の声を、いつだってそばで聞いていたい』」

「『あたしだってそうだよ。きみの存在を、声をそばで感じて、同時にあたしのものも感じてもらいたい。でも……そうできないのは、きみだってよく分かっているでしょう……?』」

「『それは、でも……!』」

 どうやらこの二人は同じ高校の放送部の先輩後輩で、秘密の恋人同士のようだった。

 放課後の放送室で、人目を忍んでひそかにおうを重ねているところらしい。

 しばしそんな掛け合いが続く。

 互いへの抑えきれない気持ちがあふれた、リリカルな台詞せりふの応酬。

 と、その時、あることに気付いてりゆうすけの動きが止まった。

 これは……

「……」

「あれー、どうしたのいちむら?」

 そんなりゆうすけを見て、先輩が口元に手を当てながらにやにやと楽しそうに見上げた。

「あ、ふふふ、もしかして……台詞ぜりふが青春しすぎてて、実際に口にするのが恥ずかしいとか?」

 からかうようにしてそんなことを言ってくる。

「いや、そうではなくて」

「いいっていいって隠さなくても。しょうがないなー、もー、お子ちゃまなんだからいちむらは。……あ、そうだ、だったらそこの台詞せりふと同じシチュエーションをやってあげよっか?」

「同じシチュエーションを……?」

「そうそう。声だけじゃなくて実際にシチュエーションも再現すれば自然に台詞せりふも出やすくなるんじゃない? 主人公とヒロインがお互いに見つめ合った後に抱きしめ合うんだよね。……ほら、じゃ、じゃあ、あたしがぎゅーってやってあげるからさ」

 画面でヒロインがやっているように、先輩がこっちに向けて大きく両手を広げてくる。

「……」

「どうしたの? こないの? 遠慮しないでいいんだよ?」

「……」

「って、ふふ、こういうのはまだいちむらには早かったかー。そうだと思った。ま、しょうがないよね。やっぱり色々と経験したあたしくらいの大人じゃないと厳しいハードルだったかなー」

 うんうんとうなずきながらそう口にする先輩に、

「先輩」

「うん?」

「……」

「え? な、なに? ちょ、ちょっと? 何で無言で近づいてくるの? え? え?」

「……」

「ま、待って! ほ、本気!? そ、それは実際に同じシチュエーションをやってみようって言ったけど……で、でもまさかほんとにやろうとしてくるなんて思わなかったっていうか……! ほ、ほら、あれだよ? あたしは年上で大人だからこういうことも、その、ド、ドンとこいだけど、いちむらはまだお子ちゃまだから心の準備が……」

「あの、先輩」

「こ、心の準備が……っ……!?」

 何やらわたわたと顔の前で両手を振って後ずさる。

 その様子も慌てふためくねこみたいでかわいらしかったのだけれど……それはひとまず置いておいて。

 りゆうすけは言った。

「先輩のスマホが鳴ってます」

「…………へ?」

「さっきからずっと振動しっぱなしです。着信じゃないですか?」

 りゆうすけが指さした先輩の後ろの机の上では、『ニャンもん』という猫のマスコット型のケースに入れられたスマホがムームーと振動し続けていた。

「……え? あ、そ、そっか、スマホが鳴って……」

 はっと我に返ったような顔になって、先輩が慌ててスマホを手に取る。

「──も、もしもし? あ、お母さん。何、どうしたの? え、今日の夕飯はあたしの好きなカレーライスだから早く帰ってこい? そ、そんなことでわざわざ電話かけてこないでってば! だ、だから……」

 どうやらお母さんからの電話のようだった。

 タマネギはあめいろになるまでしっかりいためてくれとか、ニンジンはあまりたくさん入れないでくれとか、ジャガイモは新ジャガがいいとか、そんな会話が漏れ聞こえてくる。

「……うん……うん、分かったから。ちゃんと寄り道しないで帰るってば。だからニンジンをニャンコ型にするのを忘れないでよ? うん、うん、じゃあね」

 やがて通話を終えて、先輩が疲れたような顔でこっちを向いた。

「……ふう、ごめんねいちむら。中断しちゃって……」

「いえ、ぜんぜん大丈夫です」

 むしろ先輩の好物がカレーだと知れてよかったくらいだ。

「それならいいんだけど……」

「それよりさっき言ってたことですけど……」

「! な、何でもない! さっきのは、その、ダウト! 何ていうかちょっと間違っただけだから!」

「でも……」

「い、いいから、わ、忘れろー!」

 湯気が出そうなほど顔を赤くしながらぽかぽかとたたいてくる。

「はあ……」

 よく分からないけれど、とりあえずツーアウトが取れたことは確実みたいだった。



 その後もアフレコレッスンは続けられた。

「じゃ、じゃあ続きをやろっか? 今のいちむら台詞せりふからね」

「はい」

「……うう、年上の余裕を見せつけていちむらを照れさせ返してやろう作戦は失敗だったけど……で、でも、さすがにこれだけ恥ずかしい台詞せりふを読み上げることになったら、いちむらだって少しは照れるよね……」

「『俺は先輩のことを、心から愛しています。世界中のだれよりも、あの丘に咲く美しいバラよりも、夜空に輝くきらびやかな星座よりも。だから力強く抱きしめてください』」

「何で真顔でできるの!?」

 先輩が叫んだ。

 飼っているゴールデンレトリバーが絶対にできないだろうと思われていた逆立ち芸を成し遂げたのを見た飼い主みたいな絶叫だった。

「そう言われても、練習ですから」

 りゆうすけとしてはそう答えるしかない。

「う、そ、それはそうかもしれないけどさあ……せ、せめて少しくらい照れたっていいっていうか……」

「?」

「あ、う、ううん、何でもない! じゃ、じゃあ続きをやろっか!」

「次は先輩の台詞せりふですよ」

「そ、そうだった。え、ええとあたしの台詞せりふは……って、『あたしも……きみのことが好き。きみのそのたくましい身体からだも、きみの力強い声も、きみの全てをあたしのものにしてしまいたいくらいに、きみのことを愛してる。だから強く抱いて! 身も心も溶け合って一つになるくらいにきつく抱きしめて……!!』……!?」

 先輩が台本を持ったままフリーズした。

「え、ちょ、ちょっと、何でこんな恥ずかしい台詞せりふがあるの……? あ、そ、そっか、さっきのところで絶対いちむらが照れてそこで終わりになると思ったからその先まではよく見てなくて……」

「先輩?」

「あ、ちょ、ちょっと待って、今ちゃんとやるから……!」

「……」

「え、ええと……あ、あた、あたしもきみのことが……す、すっすっすっすっ……」

「……」

「……き、きみのその……た、たたたくましい身体からだも、きみの全てを、あ、あたしのもにょにして……」

「……」

「……だ、だから……つ、強く、だい、抱いて……みっ、身も心も、とっとけとけとけとけ……とけてひとつににゃるくらい……」

 ぎゅっと目をつむりながら一生懸命に台詞せりふを口にしようとするも、それはほとんど声にならない。

 そんなもどかしい時間が五分ほど続く。

 見かねて、りゆうすけは言った。

「先輩」

「な、なに?」

「よかったらこのシーン、実演しましょうか?」

「……ひょ……っ……!? え、遠慮しまふっ……!!」

 目をシロクロさせながら先輩が湯気が出そうなほど顔を真っ赤にする。

 図らずも、スリーアウトを達成できたのだった。

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