第一話『照れさせられるちっちゃくてかわいい先輩と、喜ばせたい素直で不器用後輩』4

「そ、それじゃあまたな、いちむら

 昼休みも終わりに近づき、放送室の鍵を閉めながら先輩がそう言った。

「はい、先輩」

「きょ、今日はちょっとあれだったけど……その、何だ、また指導してほしい時にはいつでも言って。次はちゃんと手本になれるようにするから」

「分かりました。ぜひまたお願いします。先輩の声を聞くと、血流が良くなってリラックスできて、寝付きがよくなりますから」

「あたしの声は酸素カプセルか! ……も、もう、いちむらはそういうことばっかり……。……ま、まあいいや、とにかく、いつでも頼ってきてくれていいんだからな」

 ぶっきらぼうにそう口にすると、先輩は回れ右をして三年生の教室の方向へと廊下を歩いていこうとする。

 と、その途中で、くるりと振り返った。

「あのさ、ほんとに遠慮しないでいいからね。……だって、その、いちむらは……」

「?」

「ええと、何だ……いいやつだし、大事な後輩だし、話してて楽しいし……」

「……」

「その、ちゃんと好きになってもらいたいっていうか……」

「好きに……」

 そこで先輩ははっとしたような表情になると、

「あ、す、好きになってっていうのは放送部のことで……! せ、先輩として、部長として、きちんと後輩から頼られるのは当たり前ってだけだから! べ、別に深い意味はないんだからね!」

 わたわたとそう言いかけて、

「大丈夫です。俺も好きですから」

「!! ひょ……っ……!?」

「さっきも言いましたが……先輩のかわいらしくてキレイな声が、大好きです。そんな素晴らしい声で指導されれば、それだけでうれしいです」

「あ……そ、そう、こ、声ね……」

「?」

「し、知ってたし! も、もうほんっとそーいうところだぞ、いちむらは……! と、とにかくそれだけ! またね!」

 そう赤い顔で一気にまくしたてると、たたたっとその場から走り去っていく……と思わせて、途中で足をもつれさせて「わ、わわわっ!」と一度転びそうになっていたものの、何とか持ち直して廊下を走っていった。

「……」

 その走り慣れていないコウテイペンギンみたいな後ろ姿には、あせりや戸惑いが多く含まれていたけれど、だけどその中に確かに喜びのオーラが見え隠れしていたのであって……

「よし……っ……!」

 スリーアウト、達成だ……!

 思わず今回は心の中だけでなく、現実で小さくガッツポーズを取ってしまう。

 はたから見たらおかしな人かもしれないが、そんなことは構わない。

 今日も先輩に……喜んでもらうことができた。

 先輩を笑顔にすることができた。

 りゆうすけには、先輩に対してやろうと決めていることがある。

 先輩のことを知って、高等部進級とともに放送部(仮)に入った当初から、続けようと心に課していることがある。

 それは……

 先輩のために自分にできることをやって、喜んでくれる顔を見たい。

 先輩には、いつでも向日葵ひまわりが咲いたような明るい笑顔でいてもらいたい。

 それは必ずしも毎回成功するわけじゃないけれど、それでもチャレンジしようとすることだけはやめるつもりはなかった。

 だってそれは……あの時に先輩によって救われたりゆうすけにできる、唯一の恩返しだから。

「……」

 そして同時にもう一つ、ひそかに心に決めていることがあった。

 もしもこの誓いを、一週間続けることができたのなら。

 学校に来ている六日間と来ていない一日の全てで、先輩を喜ばせ続けることに成功することができたのなら。

 その時は、先輩に──

「……がんばるか」

 そう口にして、自分の教室へと戻ったのだった。


 ✿


「はあー……」

 教室へと続く廊下を歩きながら、りんはため息を吐いていた。

 今日も……いちむらに照れさせられてしまった。

 さんざん赤面させられて、得意なはずの発声練習で盛大にまされてしまった挙げ句に、最後には言うつもりもなかった恥ずかしいことまで言わされてしまった。

 思えば会っている間、ほとんど照れさせられっぱなしだったような気がする。

「……」

 でもだってしょうがないじゃん……いちむらがあんまりにもぐいぐい攻めてくるんだもん。

 心の中でそう言い訳をする。

 あんな真面目な大型犬みたいな顔をして、いっつもいっつもこっちが照れるようなことばかりをしてくる。

 それは照れるということはこっちがドキリとするようなことを言ったりやったりしてきてくれているということでもあって、もちろんうれしいことではあるのだけど……でももっとこう、先輩として、部長として、後輩の前では威厳を保ちたいのだ。

「うう、あたし、ぜんぜん先輩っぽくないかも……」

 自分の行動を省みて心からそう思う。

 だから。

 りんには……一つ決めていることがある。

 いちむらが放送部に入ってきて、毎日のように照れさせられるようになってしまった時から、いつかは成し遂げようと決心していることがある。

 それは……

 そんな日を、一週間に一度以上作ること。

 先輩として、後輩にこうも一方的に照れさせられてばかりいるわけにはいかないのだ。

「……」

 そしてそれを達成できた時には、先輩としての威厳を保てるようになったなら、実行しようと決めていることが一つある。

 きちんと、いちむらとの距離を測れるようになったらやろうと決心していること。

 それは──

「……」

 今のところ連敗続きだけど、きっと近い内に達成してみせると心に誓っている。ううん、むしろいちむらを逆に照れさせるくらいのことはやってみせなくては。何といっても、自分は年上で大人で、余裕のある先輩なのだから。

「ぜ、絶対、やってやるんだから……!」

 そう固く決意をして、りんは小さく闘志を燃やすのだった。


 *


 ──これは、とある何でもない話。

 小さくてかわいい先輩をがゆえに結果としてすぐに一人の男子生徒と、そうやってのを何とかして防ぎつつ後輩に対して威厳を示したい先輩の、色々あったりなかったりする日常のお話だ。

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