エピローグ これからも楽しい日々を
目覚めたとはいえ、すぐに退院となったわけではなかった。
体を動かすためのリハビリテーション、心身の状態を再検査する必要があった。
澄香のいる病室には、日替わりで人が訪れ、賑やかな様相を見せた。
そのせいで毎日、看護師から怒鳴られる日々が続いた。
澄香は以前よりも、情緒が不安定となっていた。
急に泣きながら電話をかけてきたり、楽しさのあまりにハイになっている様子もあった。
まだまだ、感情のコントロールについて本調子ではなかったのだろう。
貞彦たちはみんなで、澄香のことを支え続けた。
近くの公園に出かけ、室内でできる作業で脳を動かし、支離滅裂な話にも耳を傾けた。
そして、あっという間に時は過ぎていく――。
「新入部員の、白須美澄香と申します。よろしくお願いいたします」
久しぶりに制服に身を包んだ澄香は、ぺこりとお辞儀をした。
「なんだろう。違和感がすごいんだけど」
「だよねー。まあわたしにとっては澄香先輩の立場は変わらないんだけどね」
澄香はどうやら、休学の扱いとなっていたらしい。
意識を取り戻したことで、問題となったのは、今後の扱いについてだった。
復学をするのか、それとも一度退学の手続きを取るのか。
結局のところ、まずは現状の学力レベルのテストを行った。
結果として、高校三年生のレベルを超えているとの判断に至った。
以降のことについては、貞彦たちは知らないが、噂だけは耳に入っていた。
どうやら澄香の叔父が、裏で暗躍していたようだった。
結果として、復学が許されることとなり、澄香はもう一度、三年生をやり直すことになったのだった。
「なんていうか、すっげえご都合主義的な気がするな」
貞彦が呟くと、素直と澄香は貞彦に詰め寄った。
「いいじゃんご都合主義! 澄香先輩ともう一度部活動できるし言うことないよ。ねー澄香先輩」
「素直さんの言う通りです。それとも、貞彦さん……いえ、同学年ですので、呼び方を変えましょうか。貞彦くんは嬉しくないんですか?」
「そりゃ、嬉しいけど……あああああ。なんだか背中がゾクゾクする!」
貞彦は見悶えた。
澄香から貞彦くんと呼ばれたことで、すごく気恥ずかしい気持ちに襲われた。
そんな貞彦の様子を見て、女性陣は目を合わせて頷いた。
からかい方を思いついたようで、貞彦は嫌な予感に震えた。
澄香はわざと近づいて、貞彦の耳元に口を寄せた。
「貞彦くん」
「あああああああ」
反対側では、素直がすでに忍び寄っていた。
「ねえねえ。貞彦くん」
「あああああああああ」
「貞彦くん。なんで、素直さんが言った時の方が動揺しているのですか?」
澄香は笑顔だった。
笑顔だったことが、余計に怖い。
「ちょっとパン買ってきてよ貞彦くん」
「もう、パパの貞彦くんと私の洗濯物を一緒に洗わないでよ」
「慎重に行動するってことわざあったよね。たしか貞彦くんを叩いて渡るだっけ」
「明日の天気予報どうでした? あー、貞彦くんが降るんですね」
「お前らは貞彦くんをなんだと思ってるんだ!」
めちゃくちゃな扱いをされて、貞彦くんはついにキレた。
女子二人は顔を見合わせて、くすくすと笑っている。
そんな二人を見て、貞彦はため息をついた。
呆れつつも、なんでもない日常が訪れたことを、密かに感謝していた。
「そういえば気になったんだけどさ。澄香先輩が首からぶら下げてるのは何?」
素直は澄香の首元を指さした。
花の形を模した、アクセサリーのような物を、澄香は身に着けていた。
「これは本の
「そうなんだー。かわいいね!」
澄香と素直は、ほんわかと盛り上がっていた。
その件に関しては、貞彦から言っておきたいことがあった。
「あのさ、澄香先輩」
「なんですか?」
「使い方は自由なんだけどさ……本来の使い方をしてくれないかな!」
花を模した金属製の栞を、貞彦はプレゼントした。
本好きの澄香にはうってつけだと思ったからだった。
大変喜んでくれたことは良かったのだが、問題はその使い方だった。
澄香は栞に鎖をつけて、アクセサリーのように肌身離さず持ち歩き始めた。
それだけ大切にしてくれているだろうから、別にいいと言えばいい。
けれど、どうせなら本来の用途で使用して欲しいという気持ちを、貞彦は抱えていた。
目元は笑っているが、澄香は不満げに口元を尖らせた。
「貞彦くんはひどいです。私はただ、せっかくのプレゼントを大事に持っていたいだけなんです」
「その気持ちは嬉しいけどさ……もしも俺が栞だったら、きちんと本に挟んで欲しいって思うかもしれない」
「貞彦先輩は栞なの?」
「人間だよ!」
素直に茶々をいれられ、反射的にツッコんだ。
「そんな……それじゃあ私は、この栞を胸元でぎゅっとしながら寝てはいけないのですか?」
「胸に挟まずに、本に挟めって言ってんだよ!」
このツッコミはセクハラに当たるかと、内心ヒヤヒヤしていたが、特におとがめはなかった。
貞彦は、ほっと胸を撫でおろした。
「おい貞彦くん。澄香先輩の胸に挟まれたって聞こえたんだけど」
「瑛理! 帰れー!」
瑛理はどこからか現れて、貞彦に怒られてすごすごと帰っていった。
最後の最後まで、油断のならない奴である。
「そういえば、私からも貞彦くんに言いたいことがあります」
「な、なんだ?」
何か責められるのかと思い、貞彦は内心怯えていた。
「もう同学年になったのですから、澄香先輩呼びというのは、おかしくないですか?」
澄香は、からかうように言った。
厳密に言えば澄香は年上である。別に呼び方を変える必要もない。
けれど、澄香が発言をすることの意味を考えると、そういうわけにもいかない。
澄香はきっと、名前で呼ばれたがっているのだ。
「そういえばそうだね。この際だから貞彦先輩も呼び方を変えてもいいんじゃないかな」
「そうですよね。それじゃあ遠慮なく、私を呼んでください貞彦くん」
期待に満ちた眼差しに捕まる。
いざ呼ぶとなると、羞恥心が前に出る。なんだか恥ずかしい。
けれど、澄香の期待を裏切るわけにはいかなかった。
「えっと……澄香」
ぶっきらぼうに呼び捨てると、澄香はパッと輝いた。
「はい。貞彦くん」
目の前でイチャイチャし出した二人を、素直はうんうんと頷きながら見ていた。
蔓延していた深刻さは、嘘みたいな消え去った。
バカみたいなことで笑い合う、新たなる日常が始まる。
望んでいたことも、予想外だったことも、たくさんの出来事に出くわした。
それはきっと、これからも続いていくのだろう。
思わず嬉しくなって、貞彦は澄香を見た。
穏やかな笑みが返ってくる。
それだけで、少しだけ幸せな気持ちが訪れる。
これからも求めよう。
幸福であり続けるように、努力を重ねよう。
自分自身が幸福であることで、愛する人も幸福に出来るのだから。
「あーあーマイクテステス」
良い感じのことを貞彦が考えていると、突如校内放送が流れる。
生徒会役員である光樹の声だった。
貞彦はもう、嫌な予感しかしなかった。
「生徒の皆さん元気かい? 我らが生徒会長から新しい企画のご案内だ! それでは、どうぞ」
「……皆さんこんにちわ。スーパー生徒会長こと、猫之音ネコです。単刀直入に言います。新入生のための、ゲリラ部活動インタビューを敢行します。記念すべき第一回目の部活動は……」
貞彦は嫌な予感を察知して、反射的に逃げようとした。
しかし、澄香と素直に捕まった。
お前ら打ち合わせでもしてるのかと、貞彦は思った。
「……我らが澄香先輩の復活を祝して、相談支援部の皆さんでーす……にげるなよー」
「またまたインタビューに来ましたー。みんなのアイドルカナミですよー」
「ぎゃああああああ」
機材を抱えたカナミと満が、部室に流れ込んできた。
しかし今回は、それだけでは終わらなかった。
「やー貞彦。澄香先輩が復活したって聞いて、お祝いにゲリラライブでもしてやろうと思って来たよ。曲名はもちろん『ヘタレの歌』」
「悪意の塊!」
突然の紫兎にツッコんだものの、来訪者は次々に訪れていた。
「生徒会長の暴走を止めに来たんだけどー。マジウケるー」
「貞彦先輩おめでとうっす!」
「貞彦くん! 瑛理のバカがここに来なかったか?」
「素直さーん。僕もやはり相談支援部に入ろうかと思うんだけど」
「ですわー」
「君たちの物語の結末を見に来たよ」
もはやツッコむのも面倒になるくらい、ワラワラと集まってきた。
インタビューだとか言っている場合じゃなく、周囲はがやがやと騒がしい。
相談支援部室はもう、しっちゃかめっちゃかになっていた。
貞彦は、息を大きく吸い込んだ。
これはきっと、一番の大仕事になるように感じた。
「お前ら全員正座しろ! 誠心誠意ツッコんでやる!」
澄香は、騒がしさの中に身を潜めていた。
孤独であり、孤高であった時を思い出す。
凛とした静けさに、心は鋭く砥がれる。
その度に、小さく摩耗するような感覚を覚えた。
それが今や、見違えるほどに騒がしい。
人が集まり、好き勝手騒ぎ、笑顔を振りまいている。
幸せになりたいと思った。
でも、幸せにはなれないと思った。
呪いのような頑なさも、温めて溶かされた。
幸福になることは、いつだって難しいことだ。
時には負けてしまうことも、困難にひれ伏すこともあるのだろう。
それでも、求め続けてやめないこと。
心の底から幸福を欲した先に、沸き上がるものなのだと、理解した。
幸福とは、他人からではなく、自分の中に求めるものだから。
貞彦はツッコむ。
素直ははしゃぐ。
どいつもこいつも、好き勝手にやりたい放題だった。
それでもいい。
だからこそ、いい。
澄香は、これからのことについて思いを巡らせる。
人生、何があるかわからない。
だからこそ、ワクワクした気持ちが止まらなかった。
澄香は、微笑みを向けた。
「やはり、人と関わることは――とっても楽しいですね」
なんでも肯定する澄香先輩といると、他人のラブコメを見せられる 遠藤孝祐 @konsukepsw
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