君という名の物語
木戸相洛
君という名の物語
世界は物語だ。
いかにも賢そうな顔つきのウイはよくそう言っていた。学校にある本を読みふけっていたウイらしい世界観だった。
兵士になる前は小さな村で暮らしていて、学校に通いながら畑を手伝っていたと言っていた。といっても、ぼくらの部隊ではみんな似たような境遇だし、ぼくだってその1人だ。
「世界は物語だ」
「じゃあ俺らはなんなのさ」
だれかの問いにウイはこう答えた。
「僕たちは言葉だ。僕たちが文章となって世界を綴る。それが世界という物語なんだ」
そのときのウイの姿をぼくは鮮明に覚えている。
そんなウイは今、地べたに脳みそをぶちまけている。もったいないな、とぼくは思った。ウイは誰よりも賢かったから。白日にさらした脳ミソのどのあたりで世界という物語を紡いでいたのだろうか。
「すべてのものには意味があると思うんだ。僕たちがこの国に生まれて、やってきたことのすべてに」
ゆっくりと語るウイに、「銃を握っていることにもか」とは言わなかった。言わなかっただけで、間違っていると思った。本当にこの世界が物語だったら、どうして父さんや母さんが殺されなきゃいけかったんだ。どうして誰かを憎んで殺しあわなきゃいけないんだ。
世界は混沌だ。
目を開いたまま右半分が欠けた頭を地面に突っ込んでいるウイの姿は、この考えをさらに少しだけ確かなものにした。ウイの死に方には意味があるとは思えないから。弾幕に飛び込んで無傷なやつもいれば、ちょっと頭が射線に出ただけで死ぬやつもいる。
ぼくらは偶然生きているだけで、ある日偶然死んでいく。気まぐれに支配されたカオスこそが世界の正しい姿だ。秩序とか法則なんてものは、人が無理矢理作ったり見出したりしているだけ。この世界に意味なんてなくて、そうして世界は回っていく。
その日は仲間がたくさん死んで、そのどれもが無意味だった。なにを成し遂げるでもなく倒れていた。
アメリカが味方する敵。ぼくの村を襲って父さんや母さんを殺した憎い敵。やつらはこの日、いつもと違った。武器は変わらず米国製だけど、必要なら恐れもせずにぼくたちのほうに突っ込んでくる。全ての動きが合理的で、その機械的な動きは思考を挟む余地が与えられていないようだった。たったそれだけの理由だけれど、ぼくたちはどんどん追い詰められていった。後退しながら銃を撃っているとなにかにつまずいた。それは上官だった。より正確にはだったものだ。ずたずたになった服を赤黒く染めて、その顔は恐怖と苦痛に歪んでいる。いつのまにか周りにできた死体の山は、ぼくたちの命がなんの価値もない無意味なものだと証明する。
これがなにかわかるか。いつかの上官は派手な装飾だらけの拳銃を見せて言う。
「力だ」
上官は得意げに言った。まるでそれが世界の真理であるかのように。
ぼくにとって銃は恐怖の象徴だ。誰かれ構わず死をもたらす恐ろしいもの。この混沌とした世界そのもの。憎しみよりも恐怖が勝るぼくは誰より臆病で、だからぼくは生き残ったのかもしれない。
アメリカのNGOとかいうところがやってるカウンセリングで、ぼくは戦争中の話をした。順番もめちゃくちゃに覚えている限りのことを話しただけなのに、医者は頷きながら優しく聞いていた。
ぼくが死なずにすんだのは運がよかったからだ。後退した先の建物に逃げ込んだぼくたちは混乱していた。そこへ投げ込まれたグレネードがさく裂すると同時に部屋が閃光で満たされ、視力が戻るころにはぼくたちは拘束されていた。
そのあと少年兵の精神的ケアのための施設に入れられた。衣食住が提供され、学校に通うことだってできる。
「つらい経験をしたね」
慈愛に満ちたやわらかな視線は、村が襲われたあの日の朝に母から向けられて以来だ。
「君は優しいんだね」
一通りの話を聞いた医者は徹底してゆっくりと喋る。ぼくが臆病だと思っていた部分を優しさだと言われて、初めてここが戦場じゃないんだと実感できた。むしろ正反対の場所じゃないか。
「世界はね、本当は素晴らしいものなんだよ」
「本当に」
ぼくはぼくの声に驚いた。わざわざ聞き返さなくたっていいのに。ウイに世界は物語だと言われたあの日のように。
「ぼくはあなたたちにも銃を突きつけられた」
医者は言葉に詰まっている。
「銃で脅されて『世界はすばらしい』なんて言われても信じられないよ」
目の奥が熱いけれど、その理由はわからない。
「そもそも、こんな世界に意味を付けてなにになるんだ」
ぼくはこの思いを初めて吐き出した。ウイにも上官にも、誰にも打ち明けたことがなかったのに。信じるに足らないこの世界への疑いをどうにかしてほしいのかもしれない。
「人は考える葦である。ていう言葉があるんだ」
知ってるかいと聞かれ、ぼくは首を横に振る。
「人のらしさとは考えることにある、ってことらしい。でも私はこう考えてる。『人は意味付けを行う生き物』なんだと」
「意味付けを行う生き物…」
「一番原理的な意味は感情だ。銃が死や恐怖の象徴だといわれるけど、はじめは恐怖という意味を銃に与えたはずなんだ」
ぼくはあの上官の顔が浮かんだ。もしそうだとしたら、あの人はぼくと同じくらい臆病だったのかもしれない。それでも納得できなかった。銃口が向けられた瞬間の言葉にできない恐怖を、あっけなく意味を記述する言葉でしかないと言われているように思った。それを表情から察した医者は、
「君も君自身を臆病者だと意味付けしているんじゃないかな」
そうか。ぼくが世界は意味のないものだと知った戦場で、ぼく自身に意味をつけていたんだ。ぼくも銃も、世界を綴る言葉なんだ。
「そうやって意味付けをして、その意味の連なりを物語と呼ぶんだと思うんだ。だから物語の続きである未来を予想したり、合理性や連なりの欠落に疑問をもつ」
ぼくは臆病だから生き残った。それは立派な物語だ。
「疑問をもつことは重要なことだって本で読んだ。ずっと昔に人が生き残るために大切だったって」
ぼくはウイが言っていたことをそのまま言った。
「そう。人類の生存戦略において疑問は脅威へ準備するための大切な機能だったし、他の生物にはない機能だ。いくつかのサルは簡単な手話で意思疎通をして質問に答えることだってできるけど、疑問を発することはない。これは人だけの特徴だ。じゃあどうやって疑問を抱くのか。それこそが物語を生み出す脳の機能によるものなんだ」
「どうして物語は生み出されるのだろう」
「人は世界を1秒間に4回しか認識できないと言われている」
とても信じられないことだ。ぼくは確かに一続きの世界に生きているじゃないか。でもそれと同時に納得できる気もした。ウイはいつのまにか死んでいたし、死体の山は知らずしらずのうちに出来上がっていたから。
「でもわたしたちは紛れもなく一続きの世界を生きている。そう感じている。それは脳が認識の間を補って連続した世界を構築しているからだ」
ぼくの考えは間違っていなかった。この世界が脳ミソが勝手に生み出したものなら、やっぱり意味なんてないから。でもこの思いも本当は意味のない、この頭が生み出したものに過ぎないのだろう。
「私はその機能こそが意識と呼ばれるものなんだ」
そのせいでぼくはこんなにも苦しんできたのか。
「だったら意識なんてものはいらないじゃないか」
この苦しみに満ちた混沌の世界を、ぼくの意識が生み出しているのなら。
「君は物知りだけど、世界が嫌いなんだね」
寂しそうに言うこの医者はどれだけの物語を知っているのだろうか。少なくともぼくが経験し、意味付けて綴った物語——ぼくという名の物語——みたいな救いのない物語は知らないだろう。
「君は世界が嫌いかい」
そう聞かれれて、僕はうなずく。この物語から逃れられるなら何でもする。
こうしてぼくはアメリカ本国へ旅立った。
戦場において意識は邪魔なものだ。迅速で確実な判断と行動のためには、人の意識が生み出す物語は長すぎて、それを生み出すために生じるラグは、戦場では文字通り致命的だ。もっと処理を軽くして判断を早めよう、というのがこのシステムの発端だった。
視床内部外側中心核の僅か3mmの領域。たったそれだけの領域から意識は生み出されて、物語を綴る。そのことが分かったのは最近のことらしい。麻酔で脳の活動を停止していても、この領域に電気刺激を与えることであたかも意識があるように振る舞うことができる。
しかしそれは“意識があるよう”な状態であって意識そのものではなかった。被験者たちは実験中の記憶が不明瞭で断片的なものだった。被験者の言葉では、「映画フィルムのようにぶつ切りの世界ですごしている感覚」らしい。ぼくはふぃるむとやらを知らないけれど。
医者いわく、意識による物語化が行われない非連続なその世界には感情という意味の出る幕はなく、迷わず正しい行動を選択が可能だ。脳のもつ意味付けをして物語を生み出す機能、意識のはたらきを抑えることで実現されるこの状態を兵士に用いたのがあの恐れ知らずの兵士たちだ。アメリカはちょうど紛争をしていたぼくの国に介入し、現地の兵士たちで実験したのだ。こうして無意識に人を殺す部隊が生み出され、ぼくは死にかけた。
僕も何度か試した。断片的な記憶しかないが、かりそめの物語に生きるこの世界よりよほどマシだった気がする。
僕の望みは物語を中断するだけではない。それでは不十分だし、アメリカ人たちもその先を望んでいた。
僕は今日永遠に物語を終える。麻酔ではなくナノマシンによって、あの3mmの領域を永遠に停止させる。右腕に刺さった注射針からナノマシンが侵入してくる。
この僕が紡いだ人生、僕という名の物語。それにはどんな意味がつけられるだろうか。ウイはどう思うだろうか。
でももう、そんなことも考えなくてすむ。
僕の望んだ世界はすぐそこだ。
君という名の物語 木戸相洛 @4emotions4989
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