絶望の才能
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絶望の才能
学校再開から二週間と少し、級友との再会を喜んでいられたのは最初の二、三回くらいで、
クラス別の分散登校により、他の教室の友人とは顔を合わせられていない。クラスメイトととの関係は良好で、喧嘩もイジメも不満もない。ただ少しだけ物足りない。それが理由のひとつだ。
ふたつめの理由は、長期の休校で存在そのものを忘れており、二日に一回の登校では思い出せずにいた役割が、今日、突然に降り掛かってきたからだ。
――日直。
朝の挨拶に始まり、授業前の号令、黒板消しに帰りの会の挨拶に……面倒くさすぎた。
面倒くさいが、トモキがやらなければコンビの相手がやらねばならず、もしサボって学級日誌に書かれたりしたら再当番だ。やるしかない、のだけれど、
「上田くん、学級日誌ここ置いとくからね?」
「えっ?」
声に驚き振り向くと、担任の女教師が不思議そうに首を傾げていた。
「えっと……どうかした?」
トモキは教室を見渡した。残っているのは自分ひとりだけだ。
「あの……僕ですか?」
「え?
「えぇっ!? だって、トイレに行ってくるだけだって……」
「ああ、お腹が痛いっていうから……熱はなかったみたいだけど、こんなときだし」
「…………僕が書かなくちゃダメですか? 今日はちょっと早く帰りたくて……」
トモキの情けない声に、担任が苦笑した。
「他にいないんだからしょうがないでしょ? お願いね」
「……はい」
教室を出ていく担任の背中を恨みがましく見送り、トモキはため息交じりに日誌を開いた。字の汚さを知っていてペンをとるのは辛い。
ってか相方さん今日何もしてないじゃん、とトモキは口の中で愚痴った。
私、声小さいしさぁ、マスクしてるしさぁ……? それが最初。
黒板、上の方まで手ぇ届かないんだよね……。それがふたつめ。
ちょっと先にトイレだけ行ってきていい? それが最後の一言。
トモキは相方のサボりを書いてやろうかと思った。
けれど、文句を言わなかったのは自分だ。嫌なら拒否すればよかった。頼まれると弱い自分に肩が落ちる。スマホが呑気な電子音を鳴らした。
カケル:まだ学校なん?
従兄弟のカケルだった。今日、叔父からの支援物資と称して食料品やら消耗品やらを持ってくることになっていた。もう家についたのだろう。
トモキは慌ててメッセージを返した。
トモキ:そう。すぐ帰るから、帰らないで!
カケル:ウケる。
カケル:日本語。
トモキ:ほんとすぐ帰るから!
カケル:マジか。いづれー。
トモキは日誌に『特に無し』と殴り書き、教室を飛び出した。
東京の大学に通うカケルは斜に構えるようなところがあり、皮肉屋で、トモキの両親にはあまり好ましく思われていない。
しかしトモキは、カケルの冷めた物の見方が好きだった。憧れでは大げさだし、こんな人にとまではいかない。でも少しだけカッコいい。年こそ離れているが、学校では絶対に聞けない話をしてくれる大事な友人だった。
早く早くと走るトモキを赤信号が邪魔した。開かずの信号だ。思わず舌打ちした。苛立ちと焦りが相方への怒りに転じ、トモキはクラス用のメッセージグループに愚痴った。
トモキ:相方さんマジ何なん? 学級日誌くらいやれよ
すぐに、『乙』とか『怒っとるのがおる』とか『頑張れ優等生』とか雑なメッセージが返ってきた。相方の返信はない。
もう一度トモキが書き込もうとしたとき、珍しく、信号が青に変わった。
「ただいま! カケルは!?」
家に入るなり叫ぶと、カケルがリビングから顔を出した。いつもの唇の片端を吊るような薄笑いを浮かべていた。
「おー、久しぶりぃ。デッカくなったなぁ」
絶対、全く、確実にそうは思っていない声だ。あとから出てきた母が眉をひそめた。トモキの視線に気づくと、母はカケルが振り返る前にリビングに消えた。
「もう帰るトコなんだ。支援物資にこないだ――どした? 何かあった?」
カケルが笑顔の角度を変えた。やっぱり気づいてくれるんだな、とトモキは思う。
その態度と、顔と、言動と、ほか色々のせいで父と母に誤解されているが、カケルは他人の変化に敏感だった。苦手意識を隠しきれているつもりの両親に、鈍感人間を演じてさえみせる。そしてトモキに言われるまでもなく彼の落胆を察知していた。
「そいじゃオレ行きますわー! おジャぁっしたー!」
そうリビングに呼びかけ、カケルは小声で言った。
「んじゃ――コンビニ行ってっから」
トモキはぶんぶん首を振り、平静を装いながら急いで着替え「コンビニに行く」と家を出た。
ジュースを奢ってもらい、公園で久々の会話に花を咲かす。
外出自粛の合間で生まれた憂鬱が晴れるようだったが、しかし、
「――あんま遅くなるとアレだし、このへんで」
「えぇ!? でも――」
「コンビニ行くって出てきたんだろ?」
「そうだけどさぁ……」
トモキは今日イチのため息をついた。
「相方のせいだ……」
「あん? アイカタ? なにトモキ芸人やんの?」
「違うよ。相方って名前。日直の仕事おしつけられてさ」
「――へぇ? んじゃ、それだけ聞いとこうか?」
そうこなくちゃ、とトモキは全部ぶちまける――はずだったのだが。
カケルが難しい顔をするのを見て、相方の話だけで切り上げた。
「――何か、ごめん……」
「や、聞いたのこっち。つかトモキ、それグループメッセージとかで言った?」
「え? そりゃムカつくし、ちょっとくらい――」
「あー……やっちゃったかぁ」
「へ?」
やったって何を? と混乱するトモキに、カケルは冷ややかな笑みを見せた。
「ソイツがやってるSNSとか知らん? まぁIDとかメアドとか、アイコンとかでもいいけど」
「え? なに? なんで?」
「ちっとスマホ貸してみ?」
トモキは意味が分からないままスマホを渡した。
カケルはクラスのメッセージグループを確認し、自分のスマホで検索を始め、しばらくして。
「やっぱし。見てみ?」
「え? なに?」
カケルのスマホには嘆き悲しむような呟きが映っていた。自分は全くどうしようもない人間なのだとか、酷いことをしただとか、怒られて当然なんだだとか、死にたいだとか、見ているだけで心配になるような言葉が延々と並んでいる。
「アイコン」
「アイコンって……あ」
相方のアイコンと同じだった。トモキは小さく喉を鳴らし、発言の元をたどった。
その大騒ぎが始まったのは、クラスのグループにメッセージを送った後だ。
めちゃくちゃ怒られた。悪いのは自分だって分かってる。ごめんなさい。
そんな意味ありげな文章から始まり、矢継ぎ早に言葉数が増え、大げさになり、大量についた返信に応えるように嘆きが深まる。
その件数に慄き、トモキは顔を青ざめた。
「あ、あの、僕……そんなに怒って、なくて……」
息が詰まった。たった一言。何がどうしてこうなったのか。
カケルが苦笑しながら言った。
「落ち着け落ち着け。知ってる。見たから」
「――へ?」
「いや多いのよ、こういうの。なんつーのかな……絶望の才能がある奴っていうの?」
「え? 何? 絶望の才能?」
「そそ。思い出してみ? トモキ、今日、コイツ、頼んできた?」
「えっと……頼まれたって……何を?」
「日直の仕事ー。この相方ってコにさ、ちゃんと、『お願い』って言われた?」
カケルの斜めに傾いだ笑みに、トモキははっとした。
言われていない。声が小さくてとか、手が届かなくてとか……、
「で、でも、最後はトイレに行くって……」
「言って、出てって、どうなった?」
「それは――」
トモキはポカンと口を開いた。
「先生が『お腹が痛いって言うから帰した』って……」
「なー? いるのよ。絶望の才能がある奴」
カケルは小さく舌を出し、緩く曲げた人差し指と中指でくるくる渦を描きながら言った。
「いやほら、叔父さん真面目だし、いい人じゃん? そんでトモキも真っ直ぐいい子に育てられちゃってたから? 実は前から心配してたのよ。いつかクんだろうなーって」
「……何が?」
「いやほら、いい人ってすぐ利用されんのよ。見てみ、この返信してる人ら」
トモキは言われるままに、カケルのスマホを見た。大量についてるコメントは心配したり励ますものばかりだ。中には、相方を怒った人
「これな? この相方ってのは心配されるワタシってんで承認欲求爆上がりなワケ。もうメシ美味くてたまんねー、みたいな」
「え」
「でもって、励ましのコメント、これどんくらいが本気で言ってると思う?」
「どのくらいって――」
「神速で反応してんのはウソな。心配してねー。また始まったよって思いながら書くわけ。そうすっと心配するワタシエライで承認欲求爆上がりなワケよ。WINーWINっつーの?」
トモキは下唇を噛んだ。
「え? 全部? 相方ヘコんでないってこと?」
「ないないない。ほんとに凹んでたらこんなもん書いてる余裕ねーから。ほら教科書とかで読んだことねぇ? 走れメロスとか書いた、太宰っての。アレと同じ」
「……え?」
「あいつね。絶望の才能があんのよ。もうすげぇ泣きわめくのが上手いわけ。そのくせ図太い行動に出るもんだから、ギャップで余計に繊細に見えんのよ。無茶してんのかなみたいな」
カケルに言わせれば、絶望の才能がある人間は、蚊に刺されたような痛みでも死の淵に立てるのだという。
「スポーツなんかでもあるじゃん? 触られたらすっ転んでアピール、みたいなさ?」
「なんでそんなこと……」
「客集めがほとんど。ま、そこはいいんだけどさ。それより問題はトモキよ。このコメントもそうだけど、たまーに本気で心配してる奴がいるわけ。トモキもそのひとり。それヤバい」
「……ヤバいって……だって、こんなの見たら普通心配しない!?」
「だから言ってるの。トモキみたいなタイプはさ、コレ見てバカ正直に悪いことしたとか思っちゃうだろ? それクソ疲れるだけで無駄。いや、実際ちょっとくらいは痛てーって思ってるかもしれねぇよ? けどね、一個コメントついたらもう忘れっから、こいつら」
カケルは苦笑しながら電子タバコを咥えた。辛い匂いがした。
「正直、すげぇ迷うのよ。言うかどうか。トモキすげぇいい子に育っちゃってるからさ」
「いい子って……」
「いや、トモキはいい子よ。すげーいい子。言ってみりゃ善人の才能があるわけ。けど善人の才能って今の世の中じゃ何の役にも立たねぇっていうか、損しかしねぇのよ。俺としちゃさ、損してほしくはねーわけ。けど、いい子でもいてほしいのよ。だから困んだけど」
言って、カケルは明後日の方に煙を吐いた。公園に通りかかった親子連れが白い目でこちらを見た。トモキはムッとした。身内で、外で、よく似てはいるけど煙草じゃない。そんな目でみられる筋合いはないはずだった。
カケルが苦笑した。
「いや、白い目で見られることしてんのは俺だから」
「でも――」
「正しいのよ。あの人らも、トモキも。間違ってんのは俺。けど、考えてみ? もし俺が注目を集めたくてしてたら?」
「……怒るだけ損? いやでも――」
「そこよ。真っ当なのはトモキだけど、絶望の才能がある奴を怒ると、どうなると思う?」
「――あ」
彼らは傷つけられたと叫ぶ。悪者は怒った側だ。加害者と被害者は声のデカさで入れ替わる。
カケルはニヤリと笑った。
「てなわけでさ、本当に苦しんでる奴には助け舟を出してほしいんだけど、絶望の才能がある奴かどうか、きちん見極めてからするように――」
「見極めるって、どうやって?」
「あー……そうだなぁ……まぁ一番大事なのは」
暗くなり始めた空に、カケルが吐き捨てるように言った。
「本当に苦しい奴は言葉数が減る。絶望の才能がある奴はショボいことほど大声で喚く」
「……他には?」
「んー……まぁ色々あっけど……んじゃま、後で送るわ。叔父さんとかに言うなよ?」
「うん。分かった。……色々ありがと」
「イトコだし。気にすんな。んじゃな」
トモキはカケルを見送り、家に帰った。
あまりの遅さに心配したと本気で安堵の息をつく母に、
こういうやり方もあるんだ。
と、トモキは思った。
*
トモキと最後に話してから数日、カケルはメッセージのやりとりに違和感をおぼえ、祈るような気持ちで検索を始めた。
さほど労せずして目的のアカウントを見つけ、カケルはため息をついた。
「……頭、よかったもんなぁ……」
善人の才能があるからといって、絶望の才能がないとは限らない。
もう心配はいらんだろうな、とカケルは電子タバコを咥えた。
絶望の才能 λμ @ramdomyu
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