第4惑星の生存

帆多 丁

旅立ちに祝福する者なく

 そもそもが「彷徨さまようもの」を意味する言葉であると考えれば、宇宙を漂う透明な球体は確かに「惑星」と言えた。

 硬質な表面には一切の高低差が無く、球体に差し込んだ星々の光は不規則に拡散、またはしゅうれんしながら透過、あるいは反射して、球体内部で屈折面が絶えず変化していることを示していた。

 実際、球体は超高粘度の流体であった。


 そんな球体の漂う宇宙で、ある時、ある恒星の第4惑星に生命が誕生した。

 数十億回の公転を経て、生命群のひとつは知的生命体へと進化し、やがてこの球体を認識した。

 正確には「星の光が歪む」という事象を認識したのであるが、ともかく、彼らがその宇宙で最初にこの球体を観測した生命体となった。

 でたらめに光を歪める球体は、彼らが世界の有り様を探求する中で一悶着を巻き起こしたが、その後も相変わらず夜の不思議として畏れられたり、親しまれたりなどした。


 第4惑星は恒星の周りを巡る。


 球体の認識からさらに千回ほどの公転が終わる頃、発達した知性、および技術によって個体数を爆発的に増やした彼らの目は、残された未知の領域、すなわち宇宙へと向いていた。

 光を歪める球体を、知的生命体は以前にもまして熱心に観測し続ける。

 これには理由があった。

 彼らの母星が属する惑星系の最外縁、第9惑星に球体が衝突すると予想されたのである。


 その頃には球体が「球」であることや、当初考えられていたよりも遙かに小さな天体であることなどが判明しており、有史以来初となる同一惑星系での天体衝突は、どちらかと言えば興奮を以て迎えられた。

 生命体の中には、両者の接触が母星に大破壊をもたらすと期待した個体もあったが、第9惑星に比べれば直径、質量ともに到底およばぬ球体である。母星への影響よりも、衝突によって観測し得る第9惑星の変化がもっぱらの関心事となった。


 衝突は地味の一言であった。


 大半の予想を裏切って、接触した、という事実以外にめぼしい観測結果は得られず、第9惑星に落ちた球体がどうなったのかも、第4惑星からでは伺い知る事が出来なかった。

 こうして知的生命体の研究者たちは数々の仮説を立てつつ、こぞってこの謎に挑むこととなる。

 何世代かの技術的な発展を経て、彼らが宇宙へ出る術を身に付けた頃に、その謎を解く手掛かりが観測された。


 まず観測されたのは、第9惑星の崩壊。

 そして、すげかわるように現れた透明の球体。

 体積を以前の十数倍に増やした球体はほどなくして、他の天体とは明らかに異なる

 

 増殖である。


 その表面を波打たせるようにして楕円となった球体は、天文学的速度で収縮し、内部から二つの小さな球を吐き出した。


 その様子を観測した知的生命体は、おおむねこのような意味の記録を残している。



「運動と増殖を行うあれは、天体というよりは生命に近いと考えるのが妥当ではないだろうか。この事実に私は興奮を覚えている。だが一方で、この出会いに不安も覚えている。この宇宙に我々以外の生命体が存在するならと、何度考えたかわからない。初めての接触がどのような形になるのか、どのような気持ちになるのか、幾度となく思い描いた。そして今、私は喜ぶべきなのだろうか」



 吐き出された小さな二つの球体のうち、一つは惑星系の外へと向かい、もう一つは恒星の周回軌道に乗った事が確認されて、ひとまず安心かと思われた。

 しかし、双子の球体を吐き出した反作用で、親側の球体は運動速度を失っている。

 恒星の引力に引かれて”落下”を始めたこのしんきゅうが最初の恐慌をもたらした。


 幸か不幸か、親球は第7、第5惑星の引力に影響され、第4惑星にかすりもせずに恒星に飲まれていった。

 恒星は第4惑星の生命すべてにとって根源的なエネルギー源だ。その恒星も崩壊するのではないかという恐怖は研究を加速させたが、ついに結論が出ることはなかった。

 次の恐慌が起こった。

 惑星系に残って公転を続けていたきゅうが、軌道を変えたのだ。


 子球は、親球がそうしたように楕円に伸び、収縮し、小さな塊を吐いた。この反作用で子球は公転軌道を外れ、螺旋を描いて徐々に恒星へと近づいて行く。

 この進路が、知的生命体の母星たる第4惑星の軌道に重なると分かったのである。


 親球の落下時に得た知見をもとに幾度もの緻密な計算がなされた後、彼らは母星からの脱出を計画し始めた。

 いかなる計算も、第4惑星と球体の接触が避けられない事を示した。


 彼らの宇宙船が旅立ったのは、いくつもの争いと混乱とを経て個体数を6割弱に減らした頃であり、船に乗った生命体の数は僅か20万6038体であった。


 一方、星に残された40億体は絶望と呪詛の声を上げ、いくらかはさらなる争いに明け暮れ、いくらかは新たな神を発明した。苦しまずに死ぬ方法が求められ、結果、富を築いてしまった個体もあった。また、何ひとつ知る事無く生活を続ける個体もあった。

 それら数多あまたの営みのいかなる音も大気の檻を出ることは叶わず、第4惑星はただ恒星の周りを巡る。


 第4惑星上の知的生命体は死滅する。


 全個体数のほんの一握りとは言え、宇宙への逃亡を可能とするほどの知性と技術を持った彼らである。十分な時間と観測の機会があったのなら、恒星系に彷徨い込んだ球体の正体にも手が届いたに違いない。


 透明で流体の球体も、広義における生命であった。


 生命体は活動を維持するためのエネルギー摂取を必要とするが、この球体のエネルギー源は惑星の核部分にかかる圧力、惑星の質量そのものだ。

 手ごろな大きさの惑星に接触した球体は自らの粘性を低下させてへばりつき、徐々に惑星の中心へと侵食して「食事」を始める。

 質量を失った惑星は形を維持できずに瓦解し、残滓は宇宙の塵となって、いずれ新たな星となる。


 しかし、すべての生命がそうであるように、この球体にも限界はあった。

 例えば、恒星の質量を取り込むことはできない。大きさの面で差がありすぎ、恒星内部の温度にも耐えることができない。

 惑星に暮らす者からすれば終わりがないように思えても、球体には寿命がある。

 また、子球を打ち出した親球は活動を停止し、透き通った天体となる。


 そして何より生命らしい特徴として、この球体には天敵が存在した。




 母星に残った知的生命体のそれぞれが、残された時間をどのように過ごすか苦悩し、優れた知性の限界を知り、滅びを受け入れて静かに生きることを選択し始めた頃。

 星がでたらめに踊る円舞台が夜空にはっきりと視認できた頃。


 球体は奇妙な行動を取った。

 再び塊を吐き出したのだ。

 先に公転起動から外れた際と同様に、吐き出された固まりは球状をしておらず、増殖行動とは別の行動と思われた。

 球体が軌道を変える。第4惑星をすれすれに掠めてやり過ごすような軌道に。

 この瞬間に、母星に残った知的生命体が、そしてその他の幾億にものぼる種が、死滅した。


 第4惑星が捕食を開始したのである。


 惑星の変形は、円盤のように偏平化し、自転軸と垂直に鉤型の突起物を伸ばすというものだった。


 惑星の上に生きる者には実現不可能な速度と、質量に於ける変化である。

 大地に生きる命のほとんどが、地面との相対速度の変化によって命を落とした。

 高緯度地帯では変形によって大気と大地の間に空間が生じ、間隙に流れ込む気体の塊は有機物にとって到底耐え得ぬ衝撃波となった。

 一方で、赤道近辺の海水は瞬時にせり上がった海底に圧縮されて核融合を起こし、光の輪となって爆発した。


 これら、微細な変化を伴って伸ばされた第4惑星の鉤は自転の勢いに乗って、公転軌道の後ろすれすれを抜けようとした透明な球体を刺した。

 惑星上に未曽有の衝撃が走ったはずだが、それを認識できる存在は既に無かった。

 

 鉤を打たれ、透明な球体がその身の流動を止める。

 鉤の先が球体の中心へと伸びていき、その先端に細かくあなが開いた。球体自身の重力が、粘性を失った中身を鉤先の孔へと押し出していく。

 

 この頃、先の宇宙船は第4惑星の海が放った光の輪を観測した。

 星の数より遥かに多くの生き死にが繰り返された母星が、星ではなかったと彼らは知った。

 宇宙船は、もうここには帰ってこない。


 球体の摂取を終えた第4惑星はいくつかに分裂し、それぞれ薄く湾曲した広大な円の形を取った。

 第4惑星だったものたちは、恒星の放つ光を風として非常にゆっくりと公転軌道から外れ始め、長い時間をかけて惑星系から出て行った。


 そして宇宙の塵を集め、いずれ別の惑星となり、球体の訪れを待つ。

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