2013年【藤澤】 28 波に揺れあれだけ死体をみた海が

「ナツキの事件を利用? はぁ?」


「ここまで口を滑らしたので白状しますね。私はある理由から、警察に湖を調べてもらいたかったんですよ。だから、西野ナツキが犯した殺人の証拠と共に、ナイフを湖に捨てたという嘘の情報をリークしました」


 早口だったチャンが息継ぎをする。藤澤がなにも言わないのを確認する冷静さは、他者を苛立たせる効果を持つ。

 懐に隠している刃物を振り回して、暴れたくなってきた。


「私だって心を痛めました。他に手頃な事件があれば、別のものを利用したのに。あの仕事熱心で、この場にいる我々の誰よりも社会の役に立っていた西野ナツキにこだわる必要はなかったのですからね。それでも、彼の存在はさすがだと感服します。最後の最後まで、事件の裏付け捜査の過程において、我々の役に立ってくれるのですから。二〇一三年現在、あの湖には――」


「ペラペラとうるせぇぞ。こっちが止めなきゃ、オレかフジが襲いかかるまで喋るつもりか? それより先に日が暮れるぞ、ボケが」


 夕暮れ時は、すぐに空の色が変化する。チャンが仰いだ天の色は、半分以上が夜に支配されている。

 ナツキが犯した殺人は、夜の闇のようなものだ。明るかった周囲の世界を暗く染めていく。西野の両親や妹といった家族の人生は、すでに夕焼けの色を失っている。


 たった一人が死んだだけでも、世界は大きく変化する。


「大陸からこちらに来たとき、私の中での常識との差異に驚いたものです。今日、いくつもの死体を見てきたあなた達ならば、共感していただけるかもしれません。一人殺したからなんなのでしょうね? 生死が絡むのならば、一人生き残るほうがおそろしいとは思いませんか?」


「大勢の中で一人死ぬのも、大勢の中で一人生き残るのも、恐怖の質は同じだもんな」


 夕焼けの終わりと夜の始まり。二つが、ないまぜになった曖昧な空に、勇次の言葉は溶けて消える。


「即答されて嫌そうな顔してんじゃねぇよ。さっきからなんなんだよ? 長話してんのは、なにが狙いだ?」


「総江嬢や私を狙うスナイパーを倒す時間を稼ぐのが目的でした」


 過去形で言葉を結びながら、チャンはようやく勇次を睨む。いままで空を仰ぐと見せかけて、奴は遠くで起きている戦いを確認していたのかもしれない。


「勇次さんが顔を見るなり襲いかかってきたら、どうしようもなかったでしょうね。けれど、すぐにはこなかった。いや、これなかったのですかね。珍しく消耗しきっているのであれば、こんなチャンスをみすみす逃す手はありませんよね」


「長い話をまとめると、いまからオレを殺すって言いたいのか? でも、舐めんなよ。一撃はぶちこめるぞ」


「ハッタリでないのなら、私を殺せるでしょう。ですが、たとえそうなっても未来はない。直後に、あなたは私の仲間に殺されて終わりですね」


「面白ぇ。試してみるか?」


 肩を振りほどき、勇次は自分の力だけで立つ。不自然に傾きながらも倒れていないことから、UMAころしを杖代わりにしているのは明らかだ。だから、ジャンケンでグーに勝つためパーを出すように、チャンはハンドガンを懐から取り出す。


 勇次が駆け抜ける。凄まじく速い。

 藤澤は期待する。パーに勝てるグー。理屈を覆えせ。


 生命を賭けている当事者は冷静だ。ジャンケンは一対一で行うとは限らない。当たり前のことを勇次は忘れていなかった。


 遠方から勝負に参加した三人目は、チャンの持つハンドガンよりも弾を速く移動させる。

 すなわち、こちらもパーだ。このまま戦えば、勇次の一人負けだ。

 ならば、戦わずに勝負を仕切り直させればいい。


 勇次はUMAころしを地面に叩きつけた。

 爆発。

 地面に火薬も埋まっていたのではと疑うほどで、土煙が舞い上がる。


 五感が駄目になっていくのを藤澤は実感する。

 最初におかしくなったのは、嗅覚だ。こんな時に、潮の匂いを感じるのはありえない。海でナンパした日を思い出している場合か。

 続いて視覚が役たたずとなる。土煙に遮られる中で、一番近くにいるはずの勇次が別の人影に思えてきた。

 こんなところにいるはずがない人物。川島疾風が、煙の中にいるような気がした。


 錯覚に決まっている。勇次と疾風の共通点に気づいてしまったからといって、笑えない勘違いだ。二人が似ているのは、もう認めてやるよ。けど、全くの別物なんだ。


 中谷勇次は、川島疾風ですらたどり着けなかった道の果てに届く可能性を秘めている。

 いまは若く、成長の途中。

 疾風が走った道の上を勇次も駆け抜けるのならば、道中を共にすれば、藤澤が心に抱えている憧れや嫉妬の正体が判明するかもしれない。


「あなたが本物のヤガ・チャンならば、こんな悪手は選ばなかったはずです」


 正常な聴覚が、藤澤を現実に引き戻す。総江の言葉を頼りに、隠し持っていた刃物で土煙を切る。


 全員の位置を把握する。総江、チャン、勇次。それともう一人――おい、増えてるぞ。誰だ、こいつ? なんで、勇次に敵意を剥き出しにしてんだよ。

 などと考えている間に、藤澤の体は攻撃を繰り出す。


 年端もいかない顔のせいで、敵の性別すらわからない。

 あるいは、幻覚ならば、それでもいい。土煙を切ったように、繰り出した刃物が肉を感じることなく、空を断つだけならば、そういう希望もあると思うのだ。

 このまま切っ先が肉に触れれば、誰かを殺してしまうという確信を持っているから。


 刃物が触れた瞬間、そいつは、ようやく藤澤に気づいたようだ。

 いままで眼中になかったんだけど。ねぇ。邪魔しないでよ――冷たい瞳が、言葉よりも物語っていた。

 どういう理屈かわからないが、刃物は皮膚に弾かれる。叩き込んだ力は、ダイレクトに藤澤の手に返ってきて、刃物がこぼれ落ちる。


 敵が幻覚ではなくて、さらにはヤバい奴だということは、経験して知った。なのに藤澤は、止まらない。アクセルを踏み込んだ車のように、ただがむしゃらに前へ。


 理屈ではなく、勇次を守ろうと直感で動き続ける。

 敵と勇次の間に身体をねじ込んだ瞬間、涙が溢れ出した。

 この涙は、誰のために流れているのだろう。


 自分の体の至るところに、痛みを感じる。

 体が震えるとともに、何かが潰れる不愉快な音がする。ああ、そうか。これは細胞が次々に壊れていく音だ。


 あれだけ死体を見たのに、自分は例外だとでも思っていたのか。

 馬鹿さ加減と痛みに顔が歪む。


 細まる目がそのまま閉じる。

 視界が遮断されると、自分から発せられる音が意識せずに聞こえくる。

 荒い呼吸はうるさい。

 脈打つ生命の音は静かすぎる。

 うるさい音と静かな音が、交互にやってきて、藤澤の意識を奪おうとしている。

 まるで、寄せては返す波のようだ。

 集中しろ。

 生にしがみつけ。

 倒れるな、立ち続けろ。

 肉体が屈服しても、精神だけは――



 沖田屋敷の庭にいたはずの藤澤は、見知らぬ砂浜に立っていた。

 潮が引いても、足が海の中に入る浅瀬だ。メッセージボトルの瓶がプカプカと浮かんでいるのだが、気になるのは砂の上でナンパをしている友達。

 四輪免許とりたての藤澤が車を出した時の、西野ナツキと山本大介。

 あの頃は、車を運転できるだけで藤澤は特別扱いされてモテた。だが、いまでは三人全員が免許を持っている。そもそも、当時ですら、大きな視点で考えれば、免許を持っている奴なんて大勢いたのだ。


 大勢の中で特別になるのは難しい。

 でも、特別すぎてもモテないようだ。


 藤澤の記憶の風景に、勇次が紛れ込んでいる。

 勇次は砂浜に漂流したメッセージボトルを拾い上げる。瓶の中を確認した瞬間、あいつは水着の美女に目をくれることなく走り出す。

 迷いのない後ろ姿を追いかける前に、藤澤は足元の瓶に手を伸ばした。

 掴もうとしたメッセージボトルは、波にさらわれて沖へと連れ去られてしまう。

 別の瓶を拾うべく、海に足をとられながらも歩いていく。

 砂浜には、打ち上げられた瓶がいくつも転がっている。藤澤が手を伸ばしても届かない。他の連中は、拾い上げもしない。

 なんだか虚しくなって、波の音に耳を澄ませていると。

 海が――




 了

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巖田屋葛藤憚 その② ~メッセージ・イン・ア・ボトル~ 郷倉四季 @satokura05

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