2013年【藤澤】 27 童貞のぶんだけ夢をみる
「動くな」
夕陽に支配された沖田屋敷の庭は、血の色とは違った赤さに支配されている。
そいつが身にまとう白衣は、冗談みたいに白い。夕陽の強制的な赤さすらも、逆に白で塗りつぶし支配しそうな、おそろしさを感じさせる男だ。
「綺麗な格好だな。戦争に遅刻してきたのか? あ? ヤガ・チャンよ?」
「中谷勇次くん。身体はボロボロでも、口だけはよく動くのですね」
「だったら、脅しの前に撃ってこいよ。そうしない理由は、お前の後ろにあるんだろ?」
チャンの背後から、ひょっこりと顔を出したのは総江だ。冷静な表情のまま、手を挙げて挨拶をしてくれる。二人は手錠で繋がっており、連動してチャンの手も動いた。
「私からも、お二人にお願いします。動かないでいただけますか?」
「つまり、動けば危険だってことですよね? 理解しましたよ、総江嬢」
「ここであったがなんとやらだ。ぶっ殺すぞチャン」
「ベルタに殴られすぎてバカになったのか? そんなことしたら、総江嬢がどうなるか、想像もできねぇのか?」
「鼻をきかせろ。人質にとられてんのは、本当にお嬢ちゃんなのか?」
「なるほど。中谷勇次さんは、噂通りの人のようですね」
どんな噂を総江が知っているのかは知らない。だが、これからのトレンドとなる噂は、肩を組むほど近くで見ている藤澤が広めることになりそうだ。
「勇次さんに暴れられて、取り返しのつかない事態が起きたら困ります。なので、きちんと説明させていただいてもよろしいですか?」
「いいぜ。どうせ動いたら一発で終わるんだ。話に付き合ってやるよ」
勇次の言葉に偽りがないのを、藤澤は重みとして理解する。身体を支えているので、勇次の脱力が伝わってくる。
どんな状況でも、勝つことしか頭にない馬鹿野郎は、体力回復を優先させた。
一撃だけで敵を倒せるのは、ベルタとの一戦で、痛い経験をして教わった。
だからいまは、一撃を叩きこむチャンスを待ち、総江の話に耳を傾ける。
「私は、この戦いで身内の被害をいかに抑えるかを命題としました。戦場にチャンさんの顔をみつけたとき、皆殺しにされる最悪な事態だけは避けられると安堵しました。この人が、わざわざ前線に出てくる時は、皆殺し以外の目的があるに決まっていますから」
皆殺しではないにせよ、犠牲者はたくさん出ている。屋敷の中には、死体がいくつも転がっている。
「藤澤さんの表情が曇ったようなので、私も補足説明をさせていただきます。極道を名乗っている以上、血のバランスシートという言葉はご存知ですかね?」
血のバランスシート。双方の組織の犠牲者の数を合わせる行為だ。一人殺されたから、一人殺してもいいという大義名分。
「組織にとって、よほど重要な人物でない限り、有象無象の死は、せいぜい死んだ人数を合わせる血のバランスシートにしか使えない。だが、沖田総江の生死には価値がある。それになにより、ここまでのことをしてなんら成果をあげられませんでしたなんて、シャイニー組では通用しませんからね」
おもむろに、チャンは人差し指と中指をこめかみにあてて、自分の頭を撃ち抜くようなジェスチャーをとる。シャイニー組の鉄の掟を藤澤は察した。
「つまり、私が死なないように、チャンさんの息のかかったものには、メイドたちを守ってもらうことにしたんです。シャイニー組が約束を反故にしたら、私は殺される算段となっています。もっとも、チャンさんもその後、すぐに処分されるでしょうがね」
周囲を見渡したいが、勇次と肩を組んでいては見える範囲が限られている。
藤澤の不安げな目の動きだけで、総江は汲み取ったように二本の指を眉間にあてる。
「いまもスナイパーが私の眉間に照準を合わせているでしょう。お二人が余計な真似をした瞬間、私は死にます」
だが、余計な真似をしなかったとしても、総江が生き残れるとは限らない。
「けど、総江嬢は生け捕りにされて、そいつのところに連れ去られるってことでしょ」
「最小限の犠牲です。身内は私だけの被害ですむ。それに、私なら大丈夫ですから」
「でも、そんな約束をちゃんと守ってくれるとは限らない。子供とちがって、大人はどうしようもないんだから」
「そうかもしれませんね」
総江の強がった表情は、切なくなるほど下手くそな笑顔だ。
沖田総江が、ママと叫んで泣いていたのを藤澤は知っている。助ける理由なんて、それだけで十分なはずだ。
むしろ、それ以下の理由でも、動く男は存在する。
「なるほど。やっぱ、ここでチャンをぼこるわ。オレらが生き残るために、子供を見殺しにできる訳ねぇだろうが」
「勇次くん。そういう大義名分で闘うのは気持ちがいいでしょうね。私があなたと同じ立場でも、そんな風に語って、本当の理由を雲隠れさせますから」
チャンは手錠を引っ張り、繋がっている総江を引き寄せて背中に回す。
勇次の鼻息が荒くなる。視界にチャンしか映らなくなると、人質がいないように脳が勘違いしそうだ。
「本能に突き動いてみたらいいじゃないですか。それになにより、ここで私を逃したら、守田くんの居場所を知る手がかりがなくなってしまいますよ?」
一理あると藤澤が納得したのと同じタイミングで、勇次は深呼吸をした。
「ありがとよ。いまので、すげー冷静になれたわ。問題ねぇ。いまここでアンタを逃しても、オレはチャンを殺しにいけるってわかった」
「おやおや。無知とはおそろしいですね。私が本格的に姿をくらませたら、発見は難しいと思いますよ」
チャンが人を小馬鹿にしたように笑うと、勇次は人を大馬鹿にしたように笑う。
「アホか。オレはUMAを見つけて、捕まえる男だぞ。それに比べたら、ヤガ・チャンを見つけてぶっ殺すのなんざ、簡単すぎる」
馬鹿げた夢を勇次は口にする。童貞にだけ許された権限なのかもしれない。
結婚を考えている藤澤には夢を宣言するには、枷が多い。
だが、誰かの夢に乗せてもらうことはできる。
「その言葉を信じるぞ、勇次。お前は、そいつを見つけて殺せ。俺はその時に、総江嬢を助けるから」
ベストな選択をしたと藤沢は信じている。まずは、全員がいま生き残るべきなのだ。ここで死ななければ、態勢を整えられる。そのとき、助けにいく相手がいなければ意味がない。
「川島疾風の系譜を受け継ぐ勇次くんは仕方ないとしても、藤澤さんもずいぶんと甘い考えの持ち主のようですね。驚きました。これで、西野ナツキの親しき友だというのですからね」
「どうしてここで、ナツキの名前が出てくるんだよ?」
「西野ナツキが、あなたのような男ならば、殺人を起こさずにすんだ。ひいては、私が事件を利用することもなかったでしょうね」
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